シュナン・ブランの強さ・・ジョリー | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る


ニコラ・ジョリー サヴァニエール・プティ・クロ 2002(仏ロワール)
購入日    2007年6月
開栓日    2007年6月21日
購入先    かわばた
インポーター ボニリ・ジャパン
購入価格   3200円

あ~忙しい。
この頻度でブログを更新できているのがウソのようである。
2週間前に在阪5大学(阪大・大阪市大・関西医大・大阪医大・近大)の教授と
それぞれの大学出身の開業医が集まって、計10人で研究会の立ち上げの
準備委員会というのがあった。
こんな忙しい連中を、同時に一箇所に集められたものだと感心した。
ただし、夜の8時から1時間だけホテルで弁当を食べて会議ししてオシマイ。
そのあとすぐタクシーで帰宅した。
こんな会では当然好みのワインは出ないし、自宅で飲むワインが1日分減るのが悲しい。
面白くないのは、教授が5人揃うと誰も本音で物を言わないから、会議はちっとも
楽しくないことである。

今夜も、医会の渉外委員長主催の会議があり、在阪5大学の医局長と、
国保・社保の審査員(一部大学医局長と重複)に集まってもらった。
組織のトップの教授ではなく、ナンバー2か3を集めると、なぜか会議は盛り上がる。
わたしはただの世話役で、会議といってもただ酒を飲んでワイワイ言い合うだけの
会なのだが、こういう会議なら歓迎である。

会議の場所はミナミの法善寺横町にある「えび家」で、2度の不幸な火災に見舞われ、
一部新しい建物になっていた。
会場をここにしたのは、同門の先輩である渉外委員長の意向だが、
わたし個人にとってもたいへんなつかしい店だ。

特に理由はないが、わたしがこの店を訪れたのは実に25年ぶりで、
最後に行ったメンバーは、当時の病院の整形外科医と、19歳の看護学生の2人だった。
何でこんなメンバーで行ったか覚えていないが、その整形の先生は3年ほど前に
肺癌で亡くなってしまったし、美形だった当時の看護学生はきっと今ごろ
いいおばさんになっていることだろう。

26年前の夏、この店の主人の招待で、甲子園球場に阪神ー巨人戦を
見に行ったことがある。
当時わたしは駆け出しの医師だったが、上司の部長がトラキチだったので、
いっしょに連れて行ってもらった。
阪神の先発が誰だったか忘れたが、早々と巨人打線にノックアウトされてしまった。
巨人の先発は当時全盛期の江川卓で、胸がすくほどの快投をみせ、
見事に阪神は完封負けした。
わたしたちはバックネット裏の特等席で観戦していたが、出てくる阪神の打者は
面白いほどにきりきり舞いし、こんなピッチャーは力が落ちない限り打てるはずがない、
とあきれたものである。

隣で観戦していた客は巨人ファンで、われわれの落胆をよそに大はしゃぎしていたのを
覚えている。
奇妙なことに、当時は甲子園球場といえど阪神ファンと巨人ファンが相半ばしていた。
プロ野球ファンの8割が巨人ファン、といういびつな状態が当時はまかり通っていた
のだが、最近世の中が悪くなったと言われるけれど、甲子園球場の巨人ファンは
現在ではずいぶん数量が減少した。
何か1つくらい、世の中が正常化した事実を見つけないとやり切れない。

さて、だいぶ前に開けたワインだが、記録を怠っていた。
ビオワインの創始者のように言われているニコラ・ジョリーだが、georgesさんによると
ビオの正真正銘の元祖ではないそうである。
正直のところ、この造り手のワインは初めてだと思う。
毀誉褒貶の激しい造り手だが、このワインは意外と普通で、肩すかしを食らった。

先日から開けているレ・ヴァン・コンテほどビオビオした特徴はない。
むしろ、シュナン・ブランらしい芯の強さがあって、開けっ放しでしばらく
放置しておいても2~3日はへばってこない。
この品種は、シャルドネやカベルネ・フランほど繊細なブドウではないのだろう。
けっこう糖度も高いし、先日のジャニエールのように100年持ってもおかしくない。

食中酒には少し濃くて強いワインではある。
現在ではまだ少し若開けで、もう飲めるがあと1~2年置いておいた方がよかろう、
と感じた。