コロンボのこと №1 「いたずら」 | 脚本家/小説家・太田愛のブログ


『刑事コロンボ』は子供の頃、初めて熱狂した海外推理ドラマだった。
あの特徴的なタイトル音楽が流れる前にテレビの前に正座していた。
(なにせ倒叙ものなので、最初を見逃すとパァだ)
今でもコロンボは大好きで、CSでやっているのを何度も見たりしてしまう。
コロンボはウルトラマンなどと並んで自分たちの世代のヒーローのひとりだったような気がする。と、前置きが長くなったけれど。
  
*註・以下ネタバレあり。


『指輪の爪あと』と『ロンドンの傘』には、最後の犯人の落とし方に小さな共通点がひとつある。それは何か。


『指輪の爪あと』のストーリーは、犯人役常連のロバート・カルプ扮する探偵社社長が浮気調査の内容をネタに大新聞社の社長夫人をゆすろうとして失敗、思わずカッとして殴り殺してしまうというもの。一方の『ロンドンの傘』は、スコットランドヤードに視察に来たコロンボが、当地で起きたシェイクスピア俳優がらみの殺人事件の謎を解くというストーリー。(犯人の女優役の吹き替えは岸田今日子さん!)


あ、あれか、と思い出す方も多いと思う。


まず『指輪』。犯人のカルプ氏は自分の車で死体を運んだ際に被害者の所持品を車内に落としてしまったことに思い当たり、慌てて証拠隠滅を図ろうとするが、あいにくその車はエンジンの調子が悪くて修理工場に出したばかり。そこでカルプ氏は深夜こっそり修理工場に忍び込んで例の所持品を見つけ出したところを、張り込んでいたコロンボと警官たちによって御用となる。実はその所持品自体、したたかなコロンボが仕込んだもの。
そこで居合わせた偉い人がコロンボに言う。


「しかし、運よく、自動車が故障したもんだ。でないと細工できんだろう」


コロンボがいつものあの飄々とした口ぶりで答える。


「あたしの育ったところは修理工場やら駐車場のたくさんあるところでしてね、気取った車を見つけるとよくいたずらしたもんですよ……じゃがいも持ってってね……排気管につっこむんです。そうすりゃ、別に害はないけど、エンジンはかからないんで……」


もう一方の『ロンドン』。犯人の俳優夫婦を呼び出しての大団円は、蝋人形館とロンドン気分満点。有名人だった被害者の蝋人形が飾られており、その腕に被害者が殺された時に携帯していた雨傘がかけられている。コロンボがこの傘を引っくり返すと、中からコロリと真珠の粒が転がり出す。犯行時にちぎれた犯人の真珠のネックレスの一粒だ。動かぬ証拠に観念した犯人たちが犯行を自供して御用となる。一本とられたスコットランドヤードの警視が悔しげにいう。


「運がよかったな」

ここでも当のコロンボは飄々と答える。


「部長もね、三年生か四年生の頃、気になる可愛い女の子があったでしょ…振り向かせようってんでね、盛んにやったもんだ………」


何を? と思った瞬間、コロンボはピンと親指で真珠の粒を弾いて、蝋人形のひとつが手に持つ金杯の中に見事に入れて見せる。


というわけで、まったく別のこの二つのエピソードの共通点、実は、コロンボが犯人を落とす時、どちらも「子供時代に実際にやった悪戯」で引っ掛けるところ。


ほんの小さな共通点ではあるが、この挿話、ピーター・フォークのイノセントな笑顔の向こうに、少年時代、親戚のお下がりの膝に穴の開いたズボンで裏路地を駆け回っていた腕白坊主のコロンボや、教室の机に頬杖をついて前列の気になる女の子を何とか振り向かせようと小さな消しゴムかなんかを盛んに弾いていた少年コロンボの姿が台詞ひとつでパッと見えてくる。


コロンボは劇中でよくイタリアオペラを鼻歌で歌っているけれど、「カミさん」や「いとこ」などの、どことなく眉唾なエピソードばかりでなく、子沢山のイタリア系の家庭で逞しく育ったリアルな少年時代の挿話をさりげなく挟むところ、キャラクターの肉付けが心憎い。


おかげで私は長い間、ピーターフォークはイタリア系の人だと思い込んでいた。ところが、父はロシア系ユダヤ人、母は東欧系ユダヤ人で、イタリアとはまったく無縁。ずっとコロンボに騙されていた感じだ。