うつと読書 第34回 「儚い羊たちの祝宴」 | ナメル読書

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時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

「儚い羊たちの祝宴」(米沢穂信、新潮文庫)


こんにちは てらこやです。


小説の結末をめぐる評価についても、一筋縄にはいかなくて、うねくるう肉体の運動が一気に収斂し、着地においてぴたりと静止する体操競技のような結末が評価されることもあれば、永遠に向かっているかのように、しだいしだいに秩序を失っていくカーニバル的な、そこがあたかも無限のはじまりであるラストが評価されることもあるし、一転、連続するフィルムをプツンと切り落としたような無造作なけりのつけかたもあります。


今回紹介する米澤穂信「儚い羊たちの祝宴」収録の短編、「玉野五十鈴の誉れ」は、一番はじめにあげた終わり方のお手本のような作品です。


舞台はある地方屈指の名家である小栗家。この家では各代男児に恵まれず、実権を握る祖母はやむなく孫娘である純香に家の存続を託そうとします。祖母の頑なな信念のもと、幼い頃から外界から遮断され、友人を得ることもなく、純香は家の主となるべく躾られます。


そんな孤独な純香が十五になった日、祖母より専従の使用人が与えられます。これがタイトルにもある玉野五十鈴です。同年齢である五十鈴は態度物腰に如才なく、教養もあり、気高さすら感じさせます。ふたりだけであい対しても、純香は五十鈴に飲まれ、友情を求めながらもそれを口にすることができずに困惑します。しかし、そこにたまたま現れた父の、「この家で、本当の意味で純香の味方になってやれるのは君だけだ。どうか純香と、仲良くしてやってくれ」という実直な言葉がふたりの関係性を築きます。


表においてはあくまで一使用人として、しかしふたりきりになればそれ以上に親密な人間として、五十鈴は純香と関わります。純香はそんな五十鈴から小説の楽しみを、現実に賢く振る舞う術を、そしてなによりこころのよすがを得ます。


祖母を説き伏せ、純香は大学生として、外界に出て五十鈴とふたり暮らすことが叶います。それはこれまで抑圧され続けてきた純香にとって夢のような日々でした。バベルの会という読書サークルに出て知己を得て、五十鈴と毎日の生活を行う。万能に思えた五十鈴も実は料理が苦手だということが判り、「始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋取るな」と、ふたりして言い合いながら、米の炊き方からはじめます。


しかし、そんな楽しい時間もほんの2ヶ月しか持ちません。入り婿である父の兄が強盗殺人を犯してしまうのです。親類の汚名は家の名にも及ぶ。祖母の指示により父は放逐され、汚れた血を引く者とみなされた純香も家に呼び戻されて、幽閉されます。頼りであった五十鈴も冷淡に態度をひるがえしたまま、純香の前に現れなくなります。そして、再婚した母が待望の男児を生み、いよいよ立場を失う純香……。


この話がその後どうなるかは、どうか実際の作品をお読みください。ひとつの短編として、非常に完成度が高い作品です。


今、「ひとつの短編」としてと言いました。これはこの作品の書き手とのつながりを無視すると言うことです。つまり、この作品は「米澤穂信」という作家の、これまでの来歴であるとか、特性であるとか、ネームバリューを取っ払っても、たとえ作者不詳で出したとしても非常に質の高い作品だと言いたいわけです。


では、米澤穂信という作家をファクターとして加えた場合、この作品をどう評価すべきなのでしょうか?


文庫版解説にもある通り、当該作品を含むこの連作は、米澤穂信の定番である「日常の謎」系青春ミステリから大きく外れた体裁を帯びた作品です。日現実的な舞台設定、人間関係、その他ミステリ的ガジェット、そしてそれらに合わせた現代的でない甘美な語り口。米澤穂信が、作家として生き続けるために自己の異なる可能性を模索する過程の一産物としてこれら作品は生まれたのでしょう。つまり、模索の一手法としての古典的ミステリへの回帰です。


てらこやは現実から遊離した、人工的なミステリを否定しません。むしろ好んで読んでいるくらいです。しかし、それを米澤穂信にも求めるかどうかは別問題です。個人的には、まだ古典回帰をする必要はないのではないかと思っています。


いかにもミステリ的な体裁で小説をかくこと。もちろんこれには──特に目の肥えたミステリファン環視の中で書くということには──高度なテクニックが要求されます。しかし、テクニックはテクニックです。それらテクニックを存分に振るうことのできる書き手は数多く存在します。そんな中で自らの主題をミステリの体裁で奏でることがはたして現段階で必要かどうかは疑問だと思います。


米澤穂信の主題は、人間のよすがの脆弱性に対するこの作者特有の確信です。自分の依ってたつ基盤なんて簡単なことで崩れてしまう。そんな思想を、ある人物は生来与えられ、ある人物はもって知らされます。今回の連作の基底にもこの主題は流れているのですが、古典的ミステリの体裁によってかえってそれらのことが評価されずらくなってしまうような気がします。評価の軸がミステリのそれに寄りすぎてしまうのです。これはちょっと損な話なのではないのかなと思います。


同じ野心作なら、「ボトルネック」のほうが作者の可能性を広げるような気がします。この作品もパラレルワールドというSF的設定を用いているわけですが、それは話の発端に過ぎず、小説全体の体裁はあくまで現代小説の土俵に立っています。こちらのほうが、作者の主題をストレートに伝えているぶん、その評価も直接的に行われるでしょう。



儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)
儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫) 米澤 穂信

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