うつと読書 第21回 「ジョーカーゲーム」 | ナメル読書

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時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

「ジョーカーゲーム」(柳広司、角川文庫)

こんにちは てらこやです。

本といえば文庫本、というのが、てらこやのなかにある個人的な嗜好です。

同じ本なら単行本よりも文庫本で手にしたい。もちろんその理由には、経済的な問題や収納スペースの問題、ポータビリティの問題があるんですけれども、一番の理由は様式美ですね。本棚を同じフォーマットのもので並べたい。

単行本だと本によってけっこうバラつきがあるし、背表紙の柄がずいぶんとまちまちじゃないですか。あれがイヤなんですよ。それに幼いころから文庫本に親しんでたんで、単行本ってごつくてちょっと重たい感じがする。それを並べると本棚までずしっとした感じになってしまう。それが感覚的に合わなくて、単行本を敬遠してしまうんです。

だからできるだけ単行本では買わない。よほど読みたい本か、「今」読まなければ意味のない本、おそらく文庫本にはならないであろう本以外、辛抱強く文庫本になるのを待ちます。

……というわけで待ちました。柳広司「ジョーカーゲーム」。連作短編集です。単行本が出た時からずいぶん話題になっていたし、好みの題材だし、実は作品のひとつをアンソロジーの一編として読んでとてもおもしろかったしで、早く文庫本にならないかしらと首を長くしていましたが、最近ようやく角川文庫から出ました。

本作はスパイ・ミステリーです。時は太平洋戦争勃発直前、伝説的なスパイであった結城中佐は極秘裏にスパイ養成学校、通称「D機関」を設立します。その信条は「死ねな、殺すな、とらわれるな」。人員も基本的に「地方人」(陸軍士官学校出身者以外の者)によって構成され、軍人臭さは徹底的に排除されます。当然当時の軍内部にあって、D機関は異端、どころか蔑視の対象ですらあります。

そんなD機関あるいはD機関で育った若いスパイたちの物語を描いたのが、「ジョーカーゲーム」です。今回はその中から、『XX ダブルクロス』をとりあげます。

ある日、日本在住のドイツ人記者カール・シュナイダーが毒死します。遺書もあり、表向きには自殺と判定されます。しかし、シュナイダーには独露にまたがる二重スパイの容疑が付されており、D機関による裏付け調査がなされている最中での死でした。調査中の標的(まと)に死なれることなど、あってはならない失態であるD機関にとって、それが本当に自殺であったのかどうか。その死の真相を探ることが本作の中心線となります。

ミステリーなので、その死の真相については触れませんが、てらこやが別に注目したのは、本作の主人公であり、事件を調査する飛崎の立脚点です。

幼い頃両親にそろって出奔され、祖父母宅にて手伝いの若い女に育てられた飛崎。父と母の行状への世間体を気にする祖父母は彼を持て余し、陸軍幼年学校、陸軍士官学校へと送り出します。優秀な成績を収めた飛崎は当然のことながら陸軍に入隊、いわゆるエリートコースに乗ります。しかし、天皇を家長とする疑似家族的連帯で結ばれた軍という組織に、そもそも家族的親密性をもたない飛崎はなじむことができません。

「馬鹿馬鹿しかった。/飛崎には、なぜ自分が家族のために何かをしなければならないのか──命懸けで、あるいは己の命を棄ててまで、家族を、ひいては家族の疑似存在である日本を守らなければならないのか──その理由が分からなかったのだ」

大隊長の不合理な命令に反対した飛崎は、自宅謹慎にて処分を待ちます。そこに現れたのが結城中佐。「貴様か……馴致不能というのは?」と言い、異端であるD機関への加入試験を受けることを勧めます。

「とらわれるな」を信条とするD機関にとって、構成員が依って立つフィクションはありません。彼らは皆リアリストであり、求められた任務をいかに的確・効率的に果たすか(このあたりが「ジョーカーゲーム」の「ゲーム」たる所以です)だけを追い求めます。そこでは、自らの素性が何なのか、どんな経歴を有しているのかといったことは問題になりません。地方人で占められているはずの中で、陸軍出身であるという、異端の中の異端であるというキャリアも問題にはなりません。

同僚の間でさえ互いに素性、本名さえ伏せたままに付き合うという、D機関での冷めた関係を、はじめ飛崎は気楽であると感じます。しかし、死の真相を探る中で飛崎は、自分の中の捨てられない「依って立つもの」の存在に気づき、小説の最後にはD機関を辞することになります(飛崎の「依って立つ」ものがなんであったのかは死の真相と関係するので触れません)。

「結局のところ、優れたスパイとは、己以外のすべてを捨て去り、愛する者を裏切ってなお、たった一人で平気で生きて行ける者たちのことなのだ。/限界だった。/自分はどうやっても彼らのような化け物にはなれない」

結局飛崎は、世の本流にも乗れず、かといって異端になることもできない、「何者にもなることができない」人間として描かれます。

てらこやは連作中本作に最も注目し、主人公飛崎に共感しました。

それはなぜかと考えてみると、まあ、要するに最近の自分に重ねてしまったんでしょうね。いやに親密であることを誇り、互いに調子のいいことを言いあうくせに、少し離れるとペロリと舌を出す。そうした行為を処世術だ大人だと肯定する組織になじめず、結城中佐の言うところ「馴致不能」──いや、格好のいい言葉で自分を消極的に肯定するのはよしましょう──つまるところ世間の厳しさを知らぬ温室育ちが、多少の霜でこころをヤラレテしまった、この個人的には大きな出来事と飛崎の立場とを重ねてしまったわけです。

もしも、自分の器がもっと大きいものであったのなら、組織を離れ、世の本流から離れ、堂々と自分自身のみに依って立つ独自の立場、異端の立場に立てるのにナア、と夢想せずにはいられません。夢想を行動に移す過程に、容易には超えられない壁があるのです。たいした能力も才覚も度胸もないてらこやは、畢竟「何ものにもなることができない」人間にしかなれず、世の本流にある人を蔑む一方でうらやみ、堂々異端である人に憧れる一方嫉妬にかられるわけです。アーア、ヤンナッチャウ。

ちょっと今回は後半ダウナーモードに入ってしまいましたが、「ジョーカーゲーム」自体は全然暗い小説ではないのでご安心を。
ジョーカー・ゲーム (角川文庫)
ジョーカー・ゲーム (角川文庫) 柳 広司

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