子どもに、なにを教えるか。
どう教えるか。
ということを考えなければならない機会は、
時を選んでくれるということは全くなくて、
いろんなことが立て続けに起こって、
親も余裕なく、
何もかもに追われているような時にも訪れます。
タイトルの質問!
これって、
子どもからの質問としては何年にも渡ってメジャーではないでしょうか。
でも、子どもの年齢やキャラや状況で、
ほんとはなにを知りたいのか、
って違いますよね。
うちの場合で言えば、
絶賛、大人への階段のぼり中の中1長女と、
世の中は全部思い通りと思っている小3次女では、
同じ質問でもその意図って全然違う。
この先も、進路を考える時とか、
根本に立ち返りたくなってきかれたりもするかもしれないですが・・・
今、うちでは長女の乱が起こっており
タイトルの質問
「なんで学校に行かなきゃいけないの?」
にまさに、遭遇しているところです。
今回の場合は、
もともと学校という場所が好きでなくなってきて行きたくない、
嫌な気持ちを我慢してまで、
毎日通うことにどういうメリットがあるのか、
世間的な意味ではなくて、
本当に自分の人生にその価値があると言えるのか、
を、
自分で考えたかった。ということだと思います。
自分で考えたいんです、どんな人でも。たとえ子どもでも。
ただ、知識が得たいわけじゃない。
かーさんの意見を鵜呑みにしたいわけじゃない。
そして、相手が、自分にとって判断材料になるようなことを一緒に考えてくれる人かどうか、自分の問題意識を共有できる人かも知りたい。
子どもに、
何か悟ってほしい、気づいてほしい、
短絡的な判断をせずに広い視野を持ってほしい、
とか親のニーズが先にあると、
ついつい、
質問されたらすぐに答えを出さなきゃ、って思ってしまったりします。
でも、
自分で考えて、自分で決められる人に育てる必要があって、
これは子育てでも部下指導でもおんなじですが、
そのためには
経験豊かで視野が広い人の「アドバイス」なんて役に立たないんです。
教えても教えた通りにならない、っていうのはそういうこと。
教える側は、相手の問題意識とか、
何か決めるための優先順や大事にしていることとか、
そもそもその「気づいてほしいこと」をそのように認識できる土台があるかとか、
をまず、観察とか、対話で知っていかないと、
まったく届けられないということになっちゃう。
公立の中学に行くかどうか、
わたし自身もすごく窮屈でつまんないと思っていたけど、
他に毎日やりたいことがあるとかではなかったので
消極的選択の結果、休まず定時に行ってました。
考え始めるとめんどくさくなる種類の疑問、とは感じていたのかもね。
でも、長女は、
学校に行かないでその時間を他のことに使いたい。
自分の人生において、勉強は価値があっても、
学校に行くことは特に価値が見出せない。
仮に何かあるとしても、今価値を感じてることよりは下である、ともう、判断してるんだと思う。
だから今度は、行かなかったときの長期的なデメリットを検討したい、
という意図の質問でしたね、今回は。
それは、いろいろ話し合っていくうちにわかって、本人もその時点では納得したんだけど、
明日の体育祭はまた、別の話みたい。
どうなることやら。
続く! かも!