結局、わたしが長年追求してきたのは、
「人の気持ちを知る」こと。
わたし、どうやら空気が読めないようなんです。
でも人の気持ちはわかる。
いわゆる「同調圧力」のような空気を理解することと、
誰か特定の人の気持ちを理解することは別なんです。
そんなの知ってるよ、という人は、
たぶん、空気が読める人。
なのに、人の気持ちがわからなさすぎて苦悶したり諦めたりしてる人、かな?
わたし自身は、空気を読むって、比喩だと思ってたんですよ。
同調圧力っていう言葉は知ってるけど、
個人の受け取り方だって思ってた。
反発か無関心かで誰も手をあげない教室で、
自分だけ賛成だったら平気で賛成するわけです。
こういう場面で、
「いつも声の大きいあの子と威張ってるあの子が、不満な顔をしているな」とか「数人が居心地悪そうに下を向いている」とか、
観察でわかることで、多くの人の気持ちを「推察する」ことはしているんだけど、
これと空気を読むことって、厳密には違うみたいなんですよね。
だから特に集団の場の空気で「重~い雰囲気だったね」とか言われて頷くけど、
実はそんなにピンときていないの。
でも、わたしは観察が昔から好きなんです。
行動やその人が使う言葉や、人と人の関係性(好きか嫌いか、主か従か、上か下か)っていうのに反応して、データとして蓄積されていく。
たぶんわたしだけじゃなくて、
空気を感じる人と、人の反応を観察によって理解する人の二種類がいるんだと思う。
これは逆に言うと、
人への観察力が高くて個々の気持ちを理解しやすい人と、
空気は感じるけど人の言葉とか行動とかから意味を推察することに不慣れな人がいるってことでもありそう。
カウンセラー育成をして10年くらいになるけど、
個人の気持ちを理解することがすごく苦手な人っているんです。
でも空気は読もうとする。本当に読めてるのかは、わたしにはわかりませんけど。
スピリチュアルな人と付き合うと、
確かに空気から「良いもの」「悪いもの」を感じるっていうことってありそうなのよね。
そういう人には、言葉や観察力はもしかしたらあまり必要ないのかもしれない。
というか、「人の気持ちを理解する」という方法以外で、
相手に良い影響を与えることができるなら、
人を理解するっていうプロセスもそんなにいらなくなっちゃうかもしれない。
わたしも、多少スピリチュアルな勉強とか興味あってかじったけど、
でもやっぱり何か「感じる」ようになる気がしない!
不感症か?!と思うくらい、よくわからない笑
わからないだけで、何かできていることがあると言ってくれる人もいるんですが、
やっぱり自分がわかるようになりたいので引き続き修行することにして、
お仕事としては観察と言語感覚を磨いて「人の気持ちがわかる」を追求していきたいと思いまーす。