こんにちはダニママです。5月3日の祝日は、父の四十九日でした。お坊さんに来てもらって、父のあちらへの旅立ちを見送りました。
ダニエルの時は号泣したのに、この日はお経をあげてもらってる間、全く涙も出ませんでした。いまだに死んだということが受け入れられないせいでしょうか。今にも玄関が開いて、父が「いやあ遅くなってしもうた」と、入ってくるような気がしてなりません。
そうそう、ほぼ毎日行ってしまう近くのコンビニ。顔見知りの店員さんに、彼女も父を知っているので亡くなったことを話したら、「ええー!? でもこの前一緒に来はったですよね.. ? 」と。。
3月17日に亡くなったというと店員さん、独り言のように、確認するかのように、ぼそぼそと呟いて、はたと気づいたのかそれ以上、話をしませんでした。私もツッこむ気持ちの余裕がなかったから、あとは互いに無言になっちゃったんだけど、家に帰って、ちょっと待てよ、と思い返して。
父はやっぱり家にいて、私が買い物に行くのに一緒してくれてたのかな。私に見えずに店員さんには見えてた? と、思うと、妙に嫉妬してしまった。私はずっとお願いしてるのに姿を見せてくれないし、夢にも出てきてくれないから。
なんだかなあ。。
今日、母が教えてくれたことが。
虫の知らせだったのか、救急車を呼ぶことになったあの日の数日前。就寝の時、どちらからともなく、手をつないで眠ってたんだそうです。一緒の布団で寝てたけど、そんなことは今まで一度もなかったんだとか。母がしみじみ、その時のことを話してくれて、- あれは父ちゃんの虫の知らせだったのか、自分のだったのか。- そう言って泣いてました。
母は最近不安定で、日に1度は必ず私に聞きに来るのです。「父ちゃん、どこ行ったん? まだ帰らんの?」と。
ひどい時は、「朝、話ししてたのに、おらんようになったから。どこ行ったん?」って。
その都度、父の死を説明するのですが、ああ、そうだった、と思い出し、そして泣きじゃくるのです。
毎日そんな会話を繰り返す度に、母は父の死を何度も何度も、改めて知り絶望するのが、たまらなく辛いです。
ばあやん。見てるぼくも悲しいよお
じいやんとお散歩、また行けるようになって、ぼくは幸せだよ。だから泣かないで。