宮古島ウルトラ遠足(とおあし)完走記:終章~長距離走での達成感 | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

【達成感】
ウルトラマラソンを走り終えて、100キロ走ったからと言って必ずしも達成感が大きいわけではない事が分かりました。

正直昨年の11月7日に下関海響でサブフォーランナーとなったレースや、12月19日にサブ3.5を達成した
防府読売の方が達成感は遥かに大きかったのです。

私の勤務している病院のマラソンが趣味のS氏に「歩いた事が敗北感になっている」旨を伝えると、レース途中で「歩くこと」はウルトラではどうしても避けられないそうです。「計算づくの歩き」あるいは「戦略的な歩き」を積極的に取り入れることは実際必要なのかもしれません。

又、エイドステーションで立ち止まるときに単純に給水や給食を行うのではなく、サプリメントを摂ったり、筋肉を
ほぐしたり、ストレッチをする「動的な休憩」も又、重要でしょう。

長い距離を走る事で得られる達成感も勿論大きいと思います。しかし、たとえアマチュアでもランナーが最も大きな達成感を得る事が出来るのは、やはり「頭と心を総動員」してレースを自分の思い描いたように攻略し得た時ではないかと考えます。

例え10キロのロードレースでも、ハーフマラソンでも最後まで、自分で想定したペースを緩める事なく、駆け抜けたレースは大きな満足を得る事が出来ると思います。しかし、100キロのウルトラマラソンを走り終えても、後半失速したレースでの達成感はそんなに大きくないと思います。少なくとも私はそうでした。

昨年10月から、今年の1月までの4ヶ月の間にハーフ、フル、ウルトラの3つのレースを全て経験した私の率直な
思いです。

私がウルトラマラソンを走り終えた時に心から「俺はやった!」と叫べるのは、最後まで歩かずに走って、ゴールテープを切った時でしょう。

【ウルトラマラソンの定義】
ウルトラマラソンにも色々な種類があります。何も100キロ走るレースだけがウルトラマラソンではないのです。
42.195キロを越える道のりを走るレースは全てウルトラマラソンと呼ばれます。

一般のマラソンのように一定の距離を走るタイプと一定時間を走り続けるタイプ(その時間内に走った距離が最も長い者が優勝となる)があります。

国内で行われる有名なウルトラマラソンの大会にも今回私が参加した宮古島ウルトラ遠足も入っているようです。
参考までに主な大会を下に記します。()内の時間は完走制限時間です。

1月 宮古島ウルトラ遠足(沖縄) 100キロ(16時間)
   宮古島ワイドーウルトラマラソン(沖縄) 50キロ(7時間)/100キロ(14時間)
4月 奥熊野いだ天ウルトラマラソン(和歌山県) 100キロ(14時間30分)
4月 チャレンジ富士五湖(山梨県) 72キロ(11時間)/100キロ(14時間)/112キロ(14時間30分)
5月 星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン(長野県) 100キロ(14時間)
6月 阿蘇カルデラスーパーマラソン(熊本県) 100キロ(13時間30分)
6月 しまなみ海道100kmウルトラ遠足(広島県/愛媛県) 100キロ(16時間)
6月 天体界道にちなんおろち100kmウルトラマラソン全国大会(鳥取県) 100キロ(14時間30分)
6月 隠岐の島ウルトラマラソン(島根県) 100キロ(14時間30分)
6月 サロマ湖100キロウルトラマラソン(北海道) 50キロ(8時間)/100キロ(13時間)
9月 歴史街道丹後100kmウルトラマラソン(京都府) 60キロ(9時間30分)/100キロ(14時間)
10月 四万十川ウルトラマラソン 60キロ(9時間30分)/100キロ(14時間)

ご自身がお住まいの地域の近くの大会に興味があれば、フルマラソンを走る体力があれば、後は気持ち一つです。フルマラソン以上に体力も必要ですが、むしろ大切なのは「疲れている自分」と最後まで向き合う精神力こそ
肝要だと思います。

【レース翌日:ウルトラランナー達の朝食】
レースが終わった日に、同室のAさんと翌朝の起床時間は7時にしましょうと約束しました。7時のアラームで起きました。「え!もう起きる時間」と愕然としました。

「体がとんでもなく重い」と目覚めた時に感じました。レース終了後、入浴した後にSKINS A400の上下を着て、そのまま寝たのですが、全く用を成していませんでしたw。そして脚の筋肉痛がかなりひどかったです。

私もある程度の脚力が備わっていますので、ハーフマラソンやフルマラソンの当日あるいは翌日に軽い筋肉痛を
感じたとしても、歩くのに支障を来たす事は今では皆無になっています。ですので、ウルトラ翌日の脚の痛みと、
レースで痛めた右足首から右足背にかけての浮腫には驚きました。土曜日にレースがあったのですが、完全に
まともに動けるようになったのは火曜日だったと思います。

ちなみにAさんは私よりも筋肉痛が軽そうでしたので、「動きが軽いですね」と私が言うと、「私ぐらいのスピード
だと、ウルトラマラソンも山登り感覚になるんですよ。だから体はそんなに痛くなりません。むしろ明日の方が筋肉痛がひどいかもしれません。」と語っていました。

二人で朝食を食べにホテルの食堂に行くと、あちこちにロボットのような動きをしている人が多数いらっしゃいました。Aさんの食欲も戻っており、二人で物凄い勢いで朝食を掻きこみました。

ウルトラマラソンが始まるまでに節制を重ねておりますし、自分で用意した物の他に、エイドでもかなり食べました。レース終了後の夕食もある程度食べましたが、100キロ走った翌日はとにかくお腹が空いて仕方がなかった
です。金哲彦氏はウルトラを走り終えた後は、人生でも経験した事がないぐらい肉が食べたくなると話していましたが、その話は嘘ではないと身を持って感じています。

Aさんの方が先に空港行きのバスに乗るため、お部屋でお別れの挨拶をしました。ウルトラを主戦場としている方ですので、ウルトラに参戦していればどこかの大会でいつか再開できると思っています。ただし、Aさんと会うには制限時間が16時間の大会を選ばなければなりませんw。

【翌日の来間島】
大会翌日ホテルをチェックアウトした後、宮古島東急リゾートへ行く道すがら、レース当日強風に苦しめられた
来間大橋方面を臨みました。この日も相当な強風でした。

この日は宮古島ワイドーウルトラマラソンが開催されており、来間大橋もコースになっていました。「ワイドーウルトラの参加者も苦しんでいるだろうな、みんな頑張れよ!」と心の中からエールを送っています。

【タラウマラ族】
「BORN TO RUN」で取り上げられた走るために生まれたとされる民族です。今回私は日本人でありながら、タラウマラ族と呼んでいいのではないかと思われる方の存在を知りました。

その方は宮古島ウルトラ遠足の優勝者です。鳥取県から来た南場英敏さん(50)は9時間14分8秒でゴールし、
優勝されたそうです。優勝者でも9時間は切れなかったようですので、結構タフな大会だったと改めて感じました。

宮古島ウルトラ遠足速報!

これだけなら何て事ない話なのですが、南場さんの凄いのは翌日のワイドーウルトラに出場し、この大会でも
優勝したのです。2日間で200キロ!しかも連日の優勝ですから、タラウマラ族と呼ばせて頂いてもいいでしょう。
驚異の50歳です。恐れ入りました!一度は南場さんにお目に掛かりたいものです。

【走ることについて語るときに僕の語ること】
村上春樹氏の「走ることについて…」を昨年11月の下関海響マラソンの前に1回読了しています。その中に村上氏
がサロマ湖ウルトラに挑戦し、完走した事をかいてある箇所が非常に印象に残りました。

今回のレースの約5日前にその部分を読み直し、気持ちの持ち方やウルトラへの準備などを再確認させて頂きました。そして、大会終了後にもう一度同じ箇所を読み直しました。

合計3回読みましたが、やはり実際のウルトラ終了後に読んだのが、一番心に滲みました。

「あなたは100キロを一日のうちに走りとおした事があるだろうか?世界の圧倒的多数の人は(あるいは正気を保っている人は、というべきか)、そのような経験をお持ちにならないはずだ。普通の健常な市民はまずそんな無謀な事はやらない。僕は一度だけある。(以下省略)」という書き出しで始まり、ウルトラマラソンがいかに非常識で
過酷なレースであるかを豊富過ぎる語彙で綴ってくれております。

印象的なフレーズとしては「ジブラルタル海峡」、「緩めの肉挽機をくぐり抜けている牛肉のような気分」、「僕は
人間ではない。1個の純粋な機械だ。機械だから何も感じる必要もない。前に進むだけだ。」、「ああ、これで抜けたんだな」、「もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった。彼らはその疲弊を、歴史的必然として革命的成果として、ただ黙して受容していた。」、「リスキーなものを進んで引き受け、それを何とか乗り越えていくだけの力が、自分の中にもまだあったんだ」など多々あります。

中でも
「でも僕は一度も歩かなかった。ストレッチングのための休憩はこまめにとった。しかし、歩かない。僕は何も歩くためにこのレースに参加したんじゃない。走るために参加したのだ。そのためにーそのためだけにー飛行機に乗って日本の北端にまでやってきたのだ。どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけにはいかない。それがルールだ。もし自分で決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらく難しくなる。」
というこの下りが私の走る原動力になっていました。この文章に拘りすぎた事が後半失速した時に、1回切れた
「心のスイッチ」が入らなかった要因かもしれません。

私も歩くために宮古島まで行ったんじゃないのです。あくまで走りとおすためにかなりのお金と時間を費やして
レースに参加したのです。ですので、走りきって村上氏と同じような言葉を発するできるまで、私のウルトラは
終わらないのです。

今後、フルマラソンでもウルトラマラソンでもトライアスロンでもこの言葉は挫けそうになる自分の心を支えるフレーズになると信じています。

【家路】
昨年の11月に学会で東京に行った時に、TUMIのキャスター付きのかなり大きな旅行鞄を買いました。今回の遠征でもこのキャスター付きのバッグは非常に威力を発揮しました。階段、段差など鞄を持ち上げざるを得ないところではかなり苦戦しましたが、もしこのバッグがなければどれ程苦しい旅路になっていたかわかりません。

宮古島ウルトラ遠足は参加賞に泡盛を頂けるのですが、これが結構重いのです。又、家族、上司、職場へのお土産も買いましたので、行きよりも帰りの方が荷物が増えていました。

宮古空港で荷物を預けた後、福岡空港までは少し楽する事が出来ましたが、福岡空港で手荷物を受け取ってから、博多駅に行くまで地下鉄に乗るのですが、この道のりはなかなか険しかったです。

それでも、思ったより早く博多駅に着きましたが、新山口ー徳山間で列車トラブルがあった影響を受け、ダイヤがかなり乱れていました。のぞみは運転再開の目処が中々たたないようでした。こだまの運転が先に再開しました。

時間帯も夜のラッシュ時でしたので、車内はかなりの混雑していました。荷物も多かったので、座る事は断念し、博多から新山口までデッキで壁にもたれて立ったままで行きました。ハードラックだなと思いました。

しかし、大会当日の強風に耐え抜いた事や、100キロを走り抜いた事(歩きが混じってますが)で、精神的にかなり
タフにはなったようです。このトラブルにもさほど苛立つ事もありませんでした。

新山口に新幹線が近付くと、街には薄っすらと雪が積もっていました。妻が新山口まで迎えに来てくれていましたので、家までは車で帰りました。何でも宇部市でも氷点下6度まで気温が下がったらしく、市内でもお昼頃まで
お湯が出なくて困ったそうです。自宅の前には子供達が作った雪だるまが、全く原型を損なわずに残っていました。

子供達が私を見る目が少しは変わったはずです。はいw。

【職場にて:完走できてよかった】
翌日は仕事でしたので職場に行き、お土産を配ったりしています。仕事始めの会で宣言していたせいか、思った
以上に「宮古島どうでした?」と声を掛けてくれる職員が多くて驚きました。

「時間はかかったし、思った以上にきつかったけど完走したよ」と話すと、「凄いですね」と100%言ってくれました。
この時になって、本当に最低限の目標と強気な事を言ってましたが完走できて本当によかった。もし挫折してたら、今年一年負の遺産をずっと引き摺る事になったかもなと思いました。

マラソンを趣味にしている人でなければ、フルマラソンのタイムさえよく分からないのですから、ウルトラマラソンのタイムなどどうでもいいのです。興味を持つのは完走出来たか否かなのです。

12時間40分とか聞いても速いのか遅いのか分かるわけがありません。とにかく100キロ走りきったという事実だけが重要なのです。タイムは自分の課題として、自分の心の中にしまっておけばいいと思っています。

昨日、間寛平氏がアースマラソンを完走しました。地球を1周は凄すぎます。だけど、ああやってテレビ番組で
本当にその一部分だけを見ても、彼の偉業は分かり得ないと思います。

レース途中に前立腺癌に罹患している寛平さんがどれ程苦しみ、そしてどんな思いで昨日のゴールを迎えたかを
心底理解するためには、私たちも彼と同じ事、即ち地球を1周してみなければ無理じゃないかと私は思っています。

それをしなければ、「何か詳しい事はよく分からないけど、とにかく感動しなきゃ」って感じになります。テレビ局の
思う壺に入ってしまうのかなと感じます。彼の偉業にけちを付ける気持ちは全くないです。でも、地球1周は余りにもスケールが大きすぎて、ピンと来ないのが正直な感想です。

【練習再開:1月20日】
ウルトラマラソンを走ると村上春樹氏の言葉を借りれば「ランナーズ・ブルー」といった状態になる方も多いかも
しれません。「もうしばらく走るのはいいや」「半年ぐらいゆっくりしたい」といった感じでしょうか。

確かにウルトラマラソンはレース当日だけがしんどい競技ではありません。レース前1週間を切ると精神的にも
張り詰めてきますし、準備物もフルに比べて遥かに多くなります。地元開催ならまだいいのですが、遠くで開催
される大会ともなると尚更大変です。

レースは勿論ですが、レースで疲労し切った体と心がある程度元に戻るまでに1週間は必要とするなと感じています。私も家に帰るまでがレースと当初は思っていましたが、現在はこのブログを書き上げるまでがレースと思って
最後の力を振り絞って書いています(笑)。

さて、私はウルトラ後としてはかなり早く練習を再開しました。1月20日、午前6時20分、レース終了後5日目の朝
です。まだ右足の痛みと腫れが完全に引いていませんので、最初は5キロぐらい走ろうと思って走り始めましたが、宮古島での自分に借りを返そうと思い始めて、10.5キロ走りました。翌21日にもほぼ同じ時間に、同じ距離を
走りました。

私のウルトラデビュー戦は完走したけど、本人だけが達成感の薄いレースだったと思っています。次回のウルトラで自分の描いたレースが出来るよう、日々精進するのみです。負けず嫌いにも程があると少し呆れております。

【今年のレース予定:結構走ります】
今年、エントリーしている、あるいはこれからエントリーする大会を以下に記します。
2月6日 きららカップ(駅伝、山口県宇部市)
2月27日 そうじゃ吉備路マラソン(ハーフマラソン、岡山県総社市)
3月13日 くすのきカントリーマラソン(フルマラソン、山口県宇部市)
3月20日 とくしまマラソン(フルマラソン、徳島県徳島市)
4月17日 石垣島トライアスロン(トライアスロン・ショートディスタンス、沖縄県石垣島)
5月3・4日 萩往還マラニック(140キロマラニック、山口県山口市~萩市)
6月4日 しまなみ海道ウルトラ遠足(ウルトラマラソン100キロ、広島県福山市~愛媛県今治市)
7月3日 トライアスロンIN徳之島(トライアスロン・ミドルディスタンス、鹿児島県徳之島)
8月、9月は未定(9月に独立して診療所をオープンするので、この2ヶ月は近場で、適当な大会があれば出場
しようと思っています)
10月 萩・石見空港ハーフマラソン(ハーフマラソン、島根県益田市)
11月 下関海響マラソン2011(フルマラソン、山口県下関市)
12月 防府読売マラソン(フルマラソン、山口県防府市)

今のところ上のような感じです。これ以外にアクアスロン、トライアスロン、サイクルイベントに可能な限りエントリーするつもりです。
今年も自分の限界よりも少し高めと思われる目標を設定し、それを超えてみせて、自分で自分に驚き、そして
褒めてやりたいと思っています。

現時点での最大の目標は5月の萩往還の完走と、6月のしまなみ海道ウルトラを最後まで歩かず、12時間以内でゴールする事です。頑張ります!