宮古島ウルトラ遠足(とおあし)完走記:本編その三~心のスイッチが入ってなきゃ走れない! | 「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

【心のスイッチ】
今朝も朝ランしました。10.5キロ走りました。私は音楽を聴きながら走る事をしません。色々な事を考えながら、
五感をフルに稼動させて走ります。

朝ランをしていると、本当に色々なアイデアが浮かびます。勿論、昼でも、夜でも同じような傾向はありますが、
朝浮かぶアイデアはその日一日を決定付ける事も少なくないので、朝のランニングは私にとって、単なるトレーニングではありません。精神修養の場でもあるのです。

今日は走りながら
「走っている時に動かしているのは両脚と両腕だけど、今日のような寒い日、しかも
早朝の暗い時間に走るために最も重要なのは精神力、即ち“心”である。走るために脚を動かす事は勿論大切だが、その前に心のスイッチが入っていなければ、外に出て走り始める事が出来ない、あるいは走り始めても途中で止まってしまうかもしれ
ない」

と思いました。

この考えも午前7時前の空が少し明るくなり始めるかどうかの時間帯に思い至りました。「朝ラン恐るべし」と今朝も
感じました。

【レース当日の朝】
ウルトラマラソンのスタート時間は大抵午前5時、当日の起床はスタート地点の直ぐ近くの家に住んでいるという
幸運に恵まれている方以外は大体午前2時~3時になると思います。

私とAさんはスタート地点の近くに宿泊しているメリットを少しでも活かそうという結論から3時に起きる事にしました。しかし私は2時20分という中途半端な時間に目が覚めてしまいましたので、2時50分には起きてトイレや洗面を、同室者のAさんの迷惑にならない範囲で始めています。

朝食はホテルのバイキングです。3時過ぎにAさんと共に食堂に行くと、ウルトラランナー、そしてウルトラランナー志望者達が既に凄い勢いで朝食を食べていました。「3時起床、5時朝食」という朝のシミュレーションは当日いきなりは確実にしんどいです。せめて4時起床、5時朝食程度の練習は大会3日前からはしておいた方がいいです。

それにしてもホテル食堂の従業員の方は泊り込みだと思います。ランナーも戦ってますが、おばちゃん達も戦ってますw。

私もいつもの朝食の倍は食べたのではないかと思います。部屋に戻ってからも、ウィダーイン1個、エナジーバー
1個、アバンド(病院やネットで購入できます。医療用ですが、激しい運動の前にお薦めです)1袋を水に溶かして飲み、更にスーパーヴァームを1本飲みました。50キロまではこれぐらいのエネルギー補給でも十分だと思います。
防府読売の際に行った餅は今回は補給できなかったのが、非常に残念でした(笑)。

【当日の装い】
〔携帯用のライト〕
ウルトラの朝は早いので、まず夜明け前のスタートです。どんな大会でもスタートの時は確実に必要でしょう。
ゴールが日没後になりそうなら、日が暮れてからのためにも必要です。

病院勤務の外科医の独り言

宮古島は特にコースとなる歩道に木の根っこが伸びてきていたり、でこぼこが多く、ほとんどトレランのようなコースでしたので、自分用の携帯ライトは必需品でした。

大会にはヘッドセットタイプの物1個と、手に持つタイプの物を2個持って行きました。夜が明けてくると、しばらくは
必要なくなることを考えると手に持つタイプのコンパクトな物を万が一を考えて1個は持っておき、もう1個もウエストポーチやリュックに入れておくのが最善だと思います。

夜を徹して走るレースになるとヘッドセットタイプが威力を発揮すると思いますが、電池の減りが恐ろしく早いので、予備の電池を沢山持っておいた方がいいでしょう。

〔シューズ〕
普通のランニングシューズでもいいかもしれませんが、私はアシックスのゲル・サロマというウルトラマラソン用の
シューズを履いて走りました。足の裏にマメが出来なかったところをみるとゲル・サロマの厚底に救われたのかも
しれません。欠点はシューズが重い事です。フルマラソンでターサー・ジャパンとなどの軽量シューズに慣れている方は、履き始めはとまどうかもしれません。

ニューバランスもウルトラマラソン用のシューズを販売しており、村上春樹氏はサロマ湖ウルトラをこのシューズを
履いて走っています。村上氏は同じシューズのサイズ違いを購入して、中間地点で足のむくみ、腫れを計算して
ワンサイズ大き目の物に履き替えています。この緻密さが本当に必要かどうかは若干疑問ですが、村上氏は
最後まで歩く事なく走りぬいていますので、この作戦が当たったのかもしれません。

〔アンダーウェア〕
下着ですが、各メーカーがランニング用の下着を販売していますので、ウルトラでなくてもフルマラソンでも、ランニング用の通気性のいい下着を着用した方がいいと思います。私はCW-Xのランニング用の下着を愛用しています。

〔ウェア(上)〕
私は昨年から下着の上にまずランニング・インナーを着用しています。ミズノのバイオギアを着用します。効果が
あるかどうか分かりませんが、印象はいいです。そしてその上にCW-Xの半袖のランニングシャツを着ています。

病院勤務の外科医の独り言

長袖の通気性のいいCWーXのアンダーウェアも購入して持って行ってましたが、同室のAさんに半袖シャツに
アームガードをした方が、暑くなった時に調節し易いとアドバイスされ、アームガードを着用して走りました。

ウルトラは長丁場ですので、気温も寒い中でスタートしたとしても暑くなったり、涼しくなったりを繰り返すと思いますので、着脱の容易なアームガードは必須アイテムと思います。長袖のランニングウェアで走っている方もいましたので、個人の好みにもよるかと思います。私はアームガード着用派です。

〔ウェア(下)〕
私は一番下がCW-Xのランニング用の下着、バイオギアのランニングインナーのショートパンツタイプ、そしてCW-Xのロングタイツを着用しています。今ではフルでもハーフでも同じスタイルを選びそうな気がしています。
それぐらい走りやすいです。

ウルトラになるとやはりロングタイツが多かったと思います。ないしはハーフ、セミロングのタイツにカーフガード
着用が目立ちました。ランニングパンツ1枚という方もいましたが、これは初心者は真似しないほうがいいでしょう。
ちなみにロングタイツはCW-Xが一番人気だったと思います。

〔靴下〕
5本指ソックスを着用すべきでしょう。5本指ソックスだと指が独立しているので蒸れ難く、又足の爪が他の指に
接触する事がないので、他の指を傷つける事がないからです。私はTabioの5本指ソックスを愛用しています。
他のメーカーの物に比べて圧倒的に履きやすいからです。

〔帽子〕
フルマラソンでは私は基本的にどれ程日差しが強くてもまず帽子は被りません。帽子嫌いの方は分かっていただけるかもしれませんが、頭が蒸れる感じが大嫌いなのです。

しかし、半日程度は走るウルトラでは被らざるを得ません。日差しに曝される時間が長くなりますし、少々の雨なら
帽子だけでも十分に防げるからです。特に1月の宮古島のように照ったり、曇ったり、小雨が降ったりと一日中
不安定な天候となる大会では必須だと思います。

同室のAさんは首の後が保護できるサハラキャップを被っていましたが、日差しがさほど強くなければ普通の帽子で何ら問題ないと思います。

〔その他〕
腕時計:ストップウォッチ機能はまず必要ないと思います。登山をするわけでもありませんので、普通のマラソンの時に使う腕時計でいいと思います。

雨具:私はアウトドアショップで携帯用の雨具を購入して持って行っていましたし、中間地点まではメッセンジャータイプのスパイベルトに入れてました。雨がひどければ、体力を消耗します。しかし、本格的な雨具になると走りは妨げられます。携帯用のウインドブレーカーと帽子で雨を凌ぐのがベターかと考えます。

ウエストポーチ:私はドイターのヒップケースにカーボショッツ5個とツイッターのフォロワーさんからお薦め頂いたWGHproを5包、アミノバイタルカプシ3本、塩飴5個、携帯用ブドウ糖5個を入れて、このウエストポーチはエネルギー補給専用としました。

ウルトラのエイドは恐らく選手の事を考えて給水は勿論の事、給食もかなり充実していますので、エネルギー補給にこだわりのない方は90%エイドステーション頼みでも問題なさそうです。

ウィグライトプロは感触としてよかったので、リンクを貼っておきます。
勝つサプリメント~ウィグライトプロ

スパイベルトのウエストポーチタイプに携帯電話と予備バッテリーを入れて、これは携帯専用としました。

そして、スパイベルトのメッセンジャータイプに携帯用雨具、携帯用ウインドブレーカー、携帯用LEDライト、エアーサロンパス、手袋を入れています。メッセンジャーバッグのような形状をしていますので、リュックと違って、たとえば10キロ毎に右肩→左肩という具合に掛け返るといいかもしれません。

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スパイベルト~メッセンジャータイプ

ハイドレーション機能を備えたランニング用のリュックをアウトドアショップで購入して、現地にも持って行きましたが、これはハセツネなどのトレランでは必要かもしれませんが、100キロのウルトラマラソンではむしろ邪魔にしか
ならないと思います。

【号砲】
スタート前には結構な量の雨が降っていましたが、スタート直前には一旦止みました。又、スタート直前に決意と目標をツイートしたり、@seikittwanとお会いできたりして、テンションもぐっと上がっています。

病院勤務の外科医の独り言

しかし、スタート直前に又、雨が降り始め、慌てて選手達は雨具を取り出し始めています。この日は本当に一日中雨が降ったり止んだりでした。そして午前5時に号砲。722人のランナー達の非日常の中の非日常である100キロの旅の始まりです。

病院勤務の外科医の独り言

私の人生初のウルトラマラソンはろくすっぽ寝ていない状態、右足首に軽い違和感を感じながらの恐る恐るの
スタートになりました。この時点での目標は何としても完走する。出来れば12時間を切りたい。そして「最後まで
歩かない」でした。

700名の規模でも、道路が狭い事もあり、最初の5キロは渋滞して止まる事もありました。

途中、大会のスタッフからも、「覆面パトカーがいるかもしれないので、歩道を走って下さい。明日の大会は車道を走ります。」とのアナウンスもあり、選手たちの空気もなごんだりしています。

病院でフルマラソンを趣味としており、ウルトラへの挑戦経験もあるS氏に口を酸っぱくして言われた「最初、テンションが上がってオーバーペースになりがちです。後で堪えますから、最初はジョギングペースで行った方がいい」というアドバイスは正直守れていませんでしたw。

ストップウォッチは作動させていませんでしたので、「とにかく10キロを1時間掛けて走ること」を心掛けて走っていました。10キロも走ると、雨も余り気にならなくなります。ただ、ツイッターでも散々言われていましたが、宮古島
遠足のコースとなっている道路は暗いし、道路状態もよくありません。こけて怪我をする方も毎年出るようです。

こりゃ、ウルトラ+トレランだなと思いながらライトを点けたり消したりしながら、闇の中をひた走りました。20キロちょっと走って、午前7時を少し過ぎると夜が明け始めました。やはり明るくなってくると、ライトを持たなくてよくなるので、大分走りやすくなりました。

【池間島】

病院勤務の外科医の独り言

貴方は瞬間最大風速19m以上の風の中を歩いたり、走ったりした事がありますか?私は山口県に住んでおり、
台風が来たときに「今日はえらく風が強いな」と感じる事がありますが、この日の宮古島の風は山口県に住んでいる限り、台風の時でも経験できないような強い、いや強すぎる風が吹いていました。

風が余りに強いと、風がなくて晴れている日なら絶景だと感じる観光スポットを楽しむ余裕が全くなくなる事を体験しました。

選手達が最初にこの日の強風の洗礼を受けたのは25キロ地点に位置する宮古島から池間島に渡る池間大橋でした。ここでかなりペースが落ちます。ただし、この時間帯は確かに風は強かったですが、まだ向かい風でも走る事は可能な風速でした。後に本当の強風とはどんなものかを知る事になります。

池間大橋の往路は向かい風、池間島を1周して、復路の池間大橋は追い風になります。私が中間地点となるエイドまでペーサーとして利用させて頂いた壮年のランナーが池間大橋で向うからやってくる知り合いの選手に「今、27位だよ」と言われるのを聞いて愕然としました。「じゃあ、この人の後を走っている俺は28位か!?」

参りました。1時間で10キロというペースは自分にとってはゆっくりなつもりだったのですが、いつの間にか完全に
オーバーペースになっていました。ただ、私の前を行くランナーの走りが非常に美しく、着いていくには持って来いの方でしたので、48キロの中間地点のエイドステーションまでは、ペースは敢えて落とさず、この人の後を追いました。

【宮古島苧麻村~中間地点エイドステーション】

病院勤務の外科医の独り言

ウルトラマラソンではスタート前30分までに、自分が着替えたいと思っている服や補給したいと思っている栄養源を大会の受付でもらった袋に入れて主催側に渡します。その袋にゼッケンナンバーと氏名が書いてありますので、
中間地点に着くと、その袋の中の物を使います。

使い終わって着替えた衣類、必要ないと判断した持ち物は、後ほど袋に詰めなおして、主催者側に預けるのです。ゴール地点でこの荷物は最終的に帰ってくるという仕組みになっています。

ここでの判断はウルトラマラソンの“肝”だと思います。ここでの判断を間違えると、預けた物はもうゴールするまで帰ってきません。非常に慎重な判断が要求されます。ランナーとしてのIQが高くなければウルトラは上手く走れません。だから面白いと感じ出すと嵌るんだと思います。

中間地点のエイドステーションの雰囲気は非常に独特でした。半分までやって来た安堵感と、まだ半分残っている緊張感がごちゃまぜになっていて、選手達が色々考えて着替えたり、食べたりする熱気は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。さながら砦ですよw。

私が苧麻村に着いたのはレースが始まって約5時間が経過した午前10時を10分か15分ほど回った頃かと記憶しています。後の楽しみのために携帯で写真ぐらいは撮ってもよかったかなと後悔してます。でも、私はレースが始まると「ナルシシズム」という名の自分の世界に没入するため、写真を撮る事さえ罪悪のように感じてしまうので、仕方ないです。

私は預けた袋の中に着替えはランニング用下着、ランニングインナー、靴下を入れてました。エネルギー源としてはエナジーバー、カロリーメイト、ウィダーインを、そして塗りこむタイプの消炎鎮痛薬を入れていました。エネルギー源に関しては、とうきびジュース、おにぎり、だんご汁、バナナ、オレンジなどが大会側から豊富に準備されていましたので、これほど準備する必要はありませんでした。

ツイッターでも呟きましたが、「フルマラソンが食べるスポーツ」なら「ウルトラマラソンはその何倍も食べるスポーツ」でしょう。中間地点のエイドでは、朝のホテルの朝食バイキングの時の勢いを思い出して、ガッツリ食べるべきだと思います。勿論、この後にもエイドはありますので、加減はした方がいいでしょうが、中間地点が一番食べ物や飲み物の種類が豊富ですので、私は次のウルトラではそうするつもりです。

着替えは使いませんでしたが、今にして思えば、着替えは全部使うべきだったと思います。なぜなら着替えないと、筋肉の疲労を和らげるために持ってきた軟膏やスプレーなどをしっかり使えないと感じたからです。

私もロングタイツを履いていましたので、エアーサロンパスを少し痛みを感じていた右足首にかけた程度で、体への労りが全然足りませんでした。下着1枚になって、しっかり筋肉を和らげてあげる、そして靴下も脱いで、一旦
足を自然に返してあげるというプロセスは絶対に踏むべきだと思います。

勿論、ドカッと腰を据えるべきではないと思いますので、15分~20分程度で着替え、ストレッチ、栄養補給の一連のすべき事を澱みなくやる冷静さが必要だと思います。村上春樹氏の「走ることについて…」の中にも彼が中間
地点のエイドステーションでどのように過ごしたが細かに書かれていますので、興味のある方は必読です。

又、この中間地点で私はアームガードを外し、更にはメッセンジャータイプのスパイベルトも外して、ウエストポーチ2個に持ち物を絞りました。アームガードは後々のために取って置くべきでしたし、スパイベルトの中にモンベルの携帯用ウインドブレーカーが入っていましたので、このウインドブレーカーだけはウエストポーチに入れて持っておくべきでした。ここでのミスはゴールまで尾を引きますので致命傷になりました。反省しています。

ウルトラマラソンは速い人は知りませんが、私のように半日掛りで走る人間はゴールが夕方になる事を冷静に考える必要がありました。幾つかある分岐点での判断が非常に重要で、ウルトラマラソンは登山に似ています。

【東平安名崎】

病院勤務の外科医の独り言

中間地点のエイド、苧麻村を出発して後に後悔は色々あるのですが、取り合えず非常に身軽にはなりましたので、ペースはやや落ちたものの、10キロ1時間はまだ70キロ近くまでは守れていました。

私が練習で走った最長距離が53キロちょっとですので、自身の「ジブラルタル海峡」越えが始まっていました。

東平安名崎は灯台があり、風さえあんなに強くなければ、美しい珊瑚礁を愛でる余裕があったかもしれません。
しかし、ここに行くまでの往路は追い風だったのですが、復路はとてつもない向かい風でした。とても走っていられませんでした。

ゼッケンも飛ばされるじゃないかと思える程の強風です。まあウルトラでも時間を真剣に競うタイプの大会じゃなかったので、ICチップなんて付いていませんでしたので、前後のどちらか1枚残っていればいいかなと思ってました。

「走っている選手がいたのかな」と今では記憶も曖昧です。風に負けて1キロぐらい、ここで歩きました。ここが私にとってのターニングポイントでした。「最後まで歩かない」ことを精神的支柱、そして心の拠り所として昨年の10月17日の萩・石見空港ハーフ以降、11月7日の下関海響、11月23日名古屋シティハーフ、12月19日防府読売、そして今年1月8日のトレーニングでの53キロを決して歩かず走り続けた自分の気持ちが「折れた」感じがしました。

80キロ地点まではそれでもある程度頑張っていたような気がします。80キロ過ぎたら世界が開けるかなと思っていましたが、そんなにウルトラは甘くなかったです。宮古島のコースは世界一美しいと行く前に聞いていましたが、
美しさを感じる事は最後まで出来ませんでした。

病院勤務の外科医の独り言

又、やってしまうのですが、それまで被ったり、手に持ったりしていた帽子を80キロを過ぎたあたりで捨てました。
元来、帽子が嫌いなのと、持つと走りがアンバランスになるような気がしたからです。これは大きな間違いで、ウルトラの最後の20キロは普段走る20キロとは全く別物でした。

雨と風を半袖、帽子なしで顔と両腕で受け止めるようになってから、幾ら悔やんでも仕方ないのです。次にウルトラを走る時のためにいい勉強をさせてもらったと思っています。

尚、もう1点誤算だったのは、宮古島は人口が少ないので、沿道からの声援を受ける事はほとんどありません。又、どの大会も恐らく選手の安全確保の問題があるためだと思いますが、選手の数が1000人未満ですので、
自分の前後を走る選手の姿が全く認識できない箇所があります。練習の時に味わう孤独感をレースでも味わうのです。

フルマラソンなら30キロ過ぎてからが勝負だと思いますし、35キロ以降が本当に正念場になると思います。
私はウルトラの場合、80キロを過ぎてからが勝負で、90キロ以降が本当の正念場と今回の大会を振り返って感じました。

参加選手の人数も少ないので、80キロ過ぎたら疲れていてもとにかく前を走る選手の背中が見えていない状況は避けたいところです。歯を食いしばってでも、腕をしっかり振って前を行くランナーの背中を「必死のぱっち」で追わなければ失速してしまいます。「歩き癖」が付くと本当にまずいので、最後になっても脚がいう事を聞くペース配分が非常に大切だなと痛感しました。

尚、80キロ通過時点で午後2時半頃だったと思います。午後5時までにゴールテープを切れば、ツイッターで公約した11時間台です。この時点では、まだ十分可能性はあると思っていました。

【来間島】

病院勤務の外科医の独り言

今回の大会で後世に語り継がれるのではないかと思われるポイントが宮古島から来間島に渡る来間大橋です。

風が緩やかで、天候がよければ私達のような沖縄の宮古島に抱いてる海のイメージが思い切り膨らむような
綺麗なところです。大会翌日に撮影した写真を下に載せます。写真の右側が来間島です。

病院勤務の外科医の独り言

この橋に差し掛かると往路は追い風、復路は向かい風になります。往路では95キロを通過し、後5キロになるので、本当にもう一頑張りなのです。

でも来間大橋は池間大橋よりも、東平安名崎よりも風が強かったです。山口県から来たおやぢはそれまでに風速20m近い風など体感した事がなかったので、「尋常じゃない風だ。ウルトラ自体が狂気が少し入っているのに、
こんななかでウルトラを走る事自体がもう完全なる狂気だ。」と思いました。軽量の女性たちが本当に飛ばされて
しまうのではという恐怖さえ覚える強風でした。

この橋で@seikittwanに抜かれました。又、@seikittwanを応援に来ており、伴走していた@hashire_tamonと出会う
事が出来ました。@seikittwanはすっかり元気がなくなった私を見て驚いていました。彼の中ではもう僕はゴール
しているかもぐらいに思っていたのかもしれません。非常にカッコ悪かったです。

何とか来間島まで渡ると、ここで凄まじい坂道の洗礼を受けます。95キロを過ぎて、あの坂をスタスタと走って登れるようになりたいと思いますが、あの激坂は‘アップダウンがきつい’とかいう生温い表現では済ませて欲しくない
恐ろしく厳しい坂でした。恐るべし来間島です。

復路の来間大橋。たった1.690mです。普段通り走れば10分も掛からない距離ですが、全て歩きました。しかも
橋の欄干にしがみ付きながら、涙を流しながら歩きました。ウインドブレーカーもないので、半袖に凄まじい風が
吹き付けてきます。「俺は明日間違いなく風邪をひいてる、下手したらインフルエンザにかかってるな」と真剣に
考えながら歩きました。進んでも、進んでも中々宮古島側に着きませんでした。

「この強風を思い出せば、この先の人生でのどんな逆風にも耐える事が出来そうだな」と考えました。その決意が本当かどうかは今後、人生という名のレースで答えが出ると思います。

もしあの橋を渡っている時に、車が停まって中の人から「こんな日に走るなんておかしいよ。よかったら乗っていくかい?」と話しかけられたら、後3キロでゴールでしたが、確実に悪魔に魂を売り渡して乗り込んでいたと思います。山口県ではあの風はこの先何年住んでいても味わえないでしょう。

来間大橋を渡りきってからも全部歩きました。95キロで右足が攣りましたので、もう気持ちの問題ではなく、本当に走れない脚になっていました。時計はいつの間にか午後5時を回っていました。12時間台に突入してました。

【ゴール】
約12時間40分、時間も正確ではありませんし、順位もまだ分かりません。これが私の初のウルトラマラソンでの
タイムです。ゴールテープを切るところで記念撮影をしてもらいました。右脚の痛みのせいで、顔が引きつってしまい、上手く笑顔になれませんでした。

病院勤務の外科医の独り言

初ウルトラだし、まずは完走が目標だったのだから、もっと喜びたかったけど、“悔しさ”の方がずっと大きかったからです。「負けず嫌い」なんだと思います。風さえ常識の範囲内だったら、もう少し納得のいく走りが出来たかもしれませんが、条件はみな同じなので、泣き言は言いたくありません。

ゴールした後、おにぎりとだんご汁を頂きました。温かいだんご汁は美味しかったです。宮古島東急リゾートから
宿泊しているホテルまでの道を何度も間違え、本当に泣きそうになりました。

【帰室、そしてAさん】
お風呂に入って、午後7時半過ぎに夕食を食べました。前日にホテルの夕食は8時半までしか食べられないと聞いていましたので、余裕を持って夕食を食べれてよかったです。食堂のテーブルのあちこちにウルトラランナーが座っていました。

同室のAさんは8時半過ぎに戻って来ました。8時10分頃にゴールしたと語っていました。タイムは15時間10分ぐらいだったそうです。ウルトラでのPB更新だと話していました。

来間大橋の事を尋ねると、強風が吹いている上に闇に包まれており、その恐怖は私が渡った時より更にひどくなっていたようです。Aさんは知っている限りの歌を大声で歌いながら、橋を渡ったそうです。「かなり大きな声で歌ったけれども、風の音が凄くて誰も私の声なんて、誰にも聞こえてなかったと思います」という言葉が印象的でした。

Aさんは体力の限界に達していたようで、お風呂に入った後、夕食にと用意していたインスタントラーメンを結局
食べたら吐きそうなので、止めておきますと何も食べる事なく、床に就きました。

レース前夜とは違い、二人とも部屋の灯りを落とすや否や深い眠りに落ちました。自分がうなされている事を一度自覚しましたが、そりゃうなされもするさと思いました。

だってレースの1週間前から既にレースのためにあらゆる事をしてきて、更に100キロを歩きも混じってますが、走ったのです。久しぶりに熟睡しました。

今日はここまでにします。明日はレースの翌日以降の事を書かせて頂きます。

病院勤務の外科医の独り言