アメブロさんには今迄お世話になりました。
本当に、有り難う御座いました。
私はJUGEMブログへ移転致します。
ご迷惑を掛ける事となるでしょうが、何卒ご容赦下さい。

神之戯言(JUGEMブログ)
http://god-boss.jugem.jp/

理由は‥広告が本文中に捩じ込まれて来た為です。
未だサイドバーにある内はユーザに優しいと高評価出来たのですが‥
今回のそれは、やりすぎだと思います。

まぁ良いんですよ。
もう済んだ事ですし、私も移転を終えた事ですからね。

では、そういう訳ですので。
続きは向こうでお話しましょうね。
今日、ふと気になった事があります。
私は社会人になった時も変わらずブログを書き続けているのでしょうか。
少し考えましたが、私が仕事をしながらブログを書いているという、
自分自身の姿を思い浮かべる事は出来ませんでした。
この原因は大きく分けて2つ、考えられるかと思います。

1つは何らかの理由でブログを放棄するに至った事。
もう1つは、そもそも職自体に就けていない事です。
後者の可能性は出来れば考えたくないので、
今は前者の、ブログを放棄してしまっている可能性を考察してみましょう。

さて、私は如何してブログを投げるのでしょうか?
文章を書くのに飽きた‥のでは無いと思います。
明確な理由付けは出来ませんが、漠然とそう思うのです。
恐らく、書き尽くすのでしょうね。
記事の正誤は別としても、私が想う事総てを書き綴ってしまった‥
その時に、“神之戯言”は終焉を迎える事となるのでしょう。

それが社会に出て何年目になるのか、はたまた在学中に迎えてしまうのか。
この期限は今の所解りませんが、兎に角言えるのは
10年後にブログを書いてはいないだろうという事です。

何の根拠もありませんが、何と無くそう感じるのです。
私の持論に“理想の理想”というものがあります。
これは“ある人が理想だと思う位置にいる人が抱く理想は、
決して前者には理解出来無い夢物語である”という論です。

1つ、例を挙げて説明しましょうか。

教師と生徒がいたとします。
その教師は自身の“教え方”に1種のポリシーの様なものを持ち、
この偶像を受け持つ生徒へ投影します。
しかしその像は、教師が生徒に“こうなって欲しい”と抱く理想であり、
経験と実践に拠って培われたヴィジョンである訳です。

対して学生は、教えを乞う以上は教師を1つの到達点と見做し、
そこに目標立てて教育を受けています。

この時、生徒から見て教師の教えは理想の存在が抱く理想、
詰まり“理想の理想”だという事になります。
今いるポジションより2段階上の層なのですから、
学生が理解出来無いのも無理は無いですよね。
正に雲の上のお話です。

教師は現実を教えるべきです。
幾ら熱心に説こうとも往々にして伝わらないのは、
理想の理想で現実味を帯びない夢物語と化してしまっているからです。

理解させたければ段階を踏ませる他ありません。
先ずは教師の現状位置に迄昇らせ、その上で改めて理想を説くのです。
そうしないと折角の機会を無駄にしてしまい兼ねないのですから。