それは5月にやって来た
GW前に母の受診を終わらせる事が出来て一安心でした。
血液検査をして数値を見てみて判断しましょうとの事でした。とりあえず塗り薬をもらい経過をみてみることになりました。
足の甲だけでなく腕も虫に喰われたみたいにボコボコしていてやはり自己免疫不全なのかなー?と不安になったりしました。
GW中も仕事は普通にあり…まぁ予定はないからいいけど最近Tさんは「はぁ〜、はぁ〜」とため息ばかりで相当疲れが溜まっていたみたいで心配していました。
GW明けの火曜日いきなり店長に「話があるので仕事少し前に上がってください」と言われました。
えー?何何?なんか嫌な感じなんだけど
そっと他の人がいない時にAさんに聞いてみても微妙な顔つきでなんかいい話ではない事が察せます。
とりあえず仕事上がったら店長が「◯◯珈琲で待っていてください」と言うので着替えて行くとすでに店長がいましたw w
なんか「最近明け方近くに目を覚ましてしまう」とか「お風呂沸かしている間に寝落ちしちゃって」と自分疲れてます的な話をダラダラする店長
思わず「で、本題は?」と聞くと色々な状況を踏まえて最初の店長であるお兄さんに戻ってきてもらうことになったと言う話でした。
お兄さんがそれを承諾する代わりに出した条件が『1人で店をやる』という事らしく今働いている人達は不要になるという事でした。
お店も一度6月末で休業という形を取るそうなのでそれまでの間に新しい職場を見つけて欲しいとの事でした。
えー!!青天の霹靂です
まぁでも私もストレスMAXで辞めよう辞めようなんて考えていない訳でなかったのでちょっとホッとしたかも
確かにTさんもずっと「引退して田舎に帰りたい」とか「もう限界なんだ」とぼやく毎日でしたし、店長も辞めたくて辞めたくて仕方ない感じだったからなんとなく納得してしまいました。
とは言え1年と3ヶ月でまた新たな仕事探さないといけなくなるとはやれやれです。
どんな仕事したいのか?今までずっと飲食関係だからどうなのだろうか?と色々考えてしまいました。
そこで初めてハローワークに行ってみる事にしました。
最初に働いたケイタリングの仕事は自分で応募したけどその後の基地や今の仕事は知り合いからの紹介だったのでちょっと興味を持ってました。
とりあえず翌週に行って登録してインターネットから検索出来るのでやってみるとハローワーク独自の募集などもあり結構仕事って色々あるんだなと実感しました。(和菓子屋さんの募集とか魅力的でしたね〜)
今度またハローワーク行ってみようと思ってました
その前にそろそろリフォームでお世話になった方々を家に招いてもいいかもしれないね、という話を主人としていて不動産屋さんを紹介してくれたUに相談する事にしました。
彼女の同僚で弟である不動産屋さんを取り継いでくれた方にも聞いてほしくてお願いしました。
その時に「実はさぁ〜職場無くなるのよね」なんて話をちょろっとしました。
その時は「じゃあ同僚に聞いてみるね」なんて感じで別れたのでした。
数日後Uから連絡があり
「実は6月で1人辞めるんで欠員出来るんだけどどうかな?」と話を振って来てくれました。
とりあえず5月中に返事くれたらいいよーって言うので少し考えさせてもらいました。
主人や娘の意見も聞いてやってみっかという決断にいたりました。
という事でハローワーク、今回も結局お願いする事無く転職出来そうです
という5月の出来事でございました
なんだってこう毎月毎月色々な事が起こるのだろうか…
4月はなんか暑くね?
早々にアパートを決めて4月中頃に引越す事にした娘
引っ越す前に荷物の整理を手伝ってくれない?と言う事で2回ほど言って選別して廃棄、衣類などはこちらで捨てる為に車で運んだり…でも引っ越しするのに断捨離するっていいよねと思いました。
私が引っ越す時に渡してあった漫画やテレビゲーム(プレステ本体やゲームボーイとか娘が置いて行った物もありました。1番最初のカセットのテレビゲームも取ってありましたよw)を売ったら結構いいお金になったようです
娘の引っ越しが落ち着いたらお彼岸に行けなかったお墓参りにGW前行こうと言う事になりました。
それと今年父の7回忌なのでその相談もあったのでご住職と会って話をしました。
母は今年89歳ですしコロナで3年以上外出していないので山梨までの旅路耐えられないかもしれないという話をしました。
無理に山梨まで行って体調崩してしまうと命取りだし夏の様子で考えましょうという事でした。
そんな話をしていた何日後かに施設から連絡があり母の足の甲に水疱が出来ていて無くなると違う場所に水泡が出来るとの事でした。
施設のかかりつけ医によると「自己免疫不全」かもしれないという事で大学病院の皮膚科にGW明け受診する事になりました。
やはりそんな状態だと山梨までは無理かもねーなんて話をしています。
私ら夫婦も引っ越しをして5カ月になろうとしてだいぶ生活のリズムは出来てきてリフォームで取り外したエアコンを買って付けてもらったりWi-Fiを入れるついでにテレビを買い換えたり休みは家に在宅状態が多かったように思います。
だんだん生活の基盤が出来て来たところでまた運命は畳み掛けるのでした
3月は花粉でやるせなし
ヤバいヤバい
本当にヤバいところだと実感したのはひな祭り
ひな祭りはちらし寿司屋さんでは節分に次ぐイベントです。
何日か前に一度だけレクチャーを受けましたが自分はひなちらし担当ではなかったので全く覚える気はありませんでした。
事件が起きたのはひな祭り3日前の事
それまで職人のTさんがしきりに右腕が痛いと言ってはいました。
魚をおろしたり、硬い冷凍の魚も切ったりしていたので腕が疲れてしまったのかな?と心配してはいましたがそれが現実に
その日は朝からいるはずのTさんがおらずどうしたのか?と思っていたら店長から「病院に行ってます」との話しがありました。
そこで明らかになったのは『帯状疱疹』になっていたという事でした。
腕が痛いと言っていたのが帯状疱疹で痛かったようです。持病もあるし高齢なので休ませた方が良いのは誰でも分かりますが店長は「ひな祭りがあるので無理ないように気をつけて仕事してくださいね」と言う 仕事させんのかい
オープニングスタッフが全ていなくなりカツカツの人数でやっているから相当疲れが溜まってしまっていたようです。しかも職場近くに越してきたので朝から夜閉店するまで毎日出勤してるし
そりゃ体壊すわ
ひな祭り当日もめちゃくちゃ…
私とヘルプのMさんとレギュラー商品の製造担当でパートのAさんと恵方巻きでヘルプに来てくれたYちゃんがひなちらし担当とやっていたのですが…
実は脳に出血してからTさんの脳のスイッチが上手く噛み合わなくなっていてレギュラー商品のどれにどの魚が必要でどのくらいいるのかすぐに反応出来なくなっていました。
なのでレギュラー商品作りたくても魚が切れてないので作れない、進まないのです。
でも店頭に無くなるとレジ係の方はお客様にせっつかれてイライラして「あとどのくらいで出来ますか?お客様待ってるんです」と叫ぶ
でも材料が遅いから製造も遅くなる「すぐ出来ます!」「すぐって何分ですか?」の応酬でどちらもイライラ
本来なら店長が間に入ってお客様やレジ係の人に説明しないといけないのに店長どっか行っていないし居ても厨房の真ん中でぼーっと突っ立って電話してるし邪魔なんだよ
この日はさすがに休憩1時間ありましたが7時30分〜夜7閉店までいました
もう私のストレスもMAXでした。
そんなひな祭りが終わりましたがTさんは腕が筋肉痛のように上げるとダルいとしんどそうでした。
下旬には娘が「お金溜まったから引っ越したい」と言うので新しいアパートを内見したりして着々と新たな生活に向かって前進してました。
そうだよね、人間前向きに生きなくちゃね
と思いつつ仕事に行くのがブルーになっていってました
2月は豆もまけねぇよ
あっという間に1月も過ぎ…
2月は頭から節分でめちゃくちゃな展開になりました
節分では恵方巻きをメインに売らなくてはいけないという事で1月中頃から巻き物の練習をさせられていましたが、巻くたび「シャリが潰れてる」だの「最後にギュッと四角形を整える」と言われたのでギュッと押すと「おし過ぎだ」などなど色々とダメ出しがあり毎回仕事に行くのがだんだん憂鬱になってました
節分当日はヘルプの人も入り狭い厨房がキツキツな状態に
私とヘルプで来たYちゃんともう1人のパートのAさんとで並と上と巻いて行きます。
最悪だったのは節分なんだから恵方巻きだけ出せば良いのにレギュラー商品も出したいという店長の判断で私が巻きながら他の商品も製造するハメに
しかも3人いるんだから並と上と別々に巻いていけば良いのに3人で同じ物を巻くように指示され結局どちらかが足りなくなりの負のスパイラルに落ち込んでしまいました
事前注文の数なども共有されておらず何をいくつ作れば良いのか行き当たりばったりでめちゃくちゃな展開でした。
朝の7時から出勤して上がったのは夜7時
しかも休憩は10分ほどで用意された冷たい弁当を裏の吹き曝しのところでかっこんでまた仕事へという過酷な節分でした。
しかも製造が間に合わず来たお客様にレジ係は謝ってばかり…だったら一度休憩閉店して皆んなで一斉にお昼食べてストック作ってから開店した方が絶対良かったよな…とダメ出し満載でした。
節分が終わりホッとしたのも束の間で今年は花粉の飛散が早く多いという状況だったからか?
中旬に咳が止まらず体調を崩して一週間ほど寝込んでしまいました
幸い熱がなかったので発熱外来にはかかれずぼーっと寝てました
そしてやっと復帰出来たと思ったら今度はひな祭りが待っているのでありました
やれやれ
もうすでに半分過ぎてしまいました
いやー参った、参った
今年もすでに半分が過ぎてしまいましたが…今年も冒頭から波乱万丈で記事をアップするのさえ忘れてしまうぐらいでした
とりあえず1月から振り返りますと
年末年始体調を崩してしまい寝正月になりました。
相変わらず店長のはちゃめちゃ振りと脳に出血した後のTさんの衰え振りに完全に介護に近い状態となりました。
下旬は娘の入院と手術があり病院に行く事が多かったです。
娘の手術は成功して1週間後には無事退院出来ホッと安心しました。
そんな中仕事ではオープニングスタッフとして働いていた最後の若手のMさんが1月で辞めて行きその事を含めて辞めたオープニングスタッフの方々とランチしたり会う機会も増えました。
辞めた後皆さん新しい職場で生き生き仕事しているようでホッとしました
とりあえず1カ月づつ振り返りたいと思います
明日は勝負です
明日は節分ですね
皆さん豆買いましたか?
もう歳の数食べるとお腹壊しそうになる歳になりましたwww
始めて新しい職場で迎える節分…年間の売り上げの半分(残りはひな祭りです)を賄うと言われている日
もう前日からてんやわんやです
14時あがりだったのでヘルプで頼んだ方が15時30分に来ると言うので「残念ながらお会い出来ませんね」と言うと
「別に何時まで居ても良いんですよ!その人に会いたいですよね!」
はぁ?別に会いたくないけど…社交辞令だっつーの
私以外の昔の仕事仲間らしい…仲良しごっこしてたらいいじゃない!私は関係ないでしょう??
「30分休憩でもいいですよ」いいですよじゃねーよ
仕方ないお正月休んだしな…結局16時まで仕事して帰りました。
翌日は「何時に来れますか?」周りくどい
結局1時間早く7時30分出勤する事になりました。
まぁ「早く来れたらそれで記載しますからー」と言うので行ける時間で行く予定です。
なんせ
「1人目標200本です!」はぁ…
だって巻くの私を含めて3人です。
店長は数に入ってません最初からやる気ないんだもんなぁ
私が帰る時も準備がまだまだ終わらない感じでしたよー明日どうなる事やら
もう2月⁈!
あれよあれよと言う間に2月ですか?!
あっという間に1カ月過ぎてしまいました
1月も色々ありました
お正月は引っ越しの疲れからか?体調を崩して寝正月を決め込み仕事始めは5日からでした。
店長の「慰安旅行に行きたいんです」
え?
なんやねん!うちの店の関連から九州に皆んなで旅行に行きたいとか言い出す…行きたいなら1人で行ってくれと心の底から思う私
コロナ死亡者が500人を超えてますけど??私は行きませんよ
「コロナの感染が落ち着いてたらですかね?」とは言ってみた
結局旅行は辞めになりました。良かった良かった
しかしその後LINEに「○○日に今月で辞めるMさんの送別会をしたいと思います」
はぁ…「その日は以前から娘の手術の日なの伝えてあったと思います。皆さんで送別会してあげてくださいね」と返信しました。
すると「あぁそうでした」と平謝りのスタンプが…もうこの時点で疲れてる(娘は無事手術を終えて退院しました)
そして事件は起こります
その日はKさんと一緒に仕事をしていました。
Kさんは私と一回りほど年上なのですが、端的に言うと製造作業などがちょっと苦手な方です。
そこで作る商品の説明などをしたのですが彼女的になにか琴線に触れたのでしょうね(というか後から入った私にはかなりパワハラ的な態度でマウントを取りに来る人です)
作業する私の横でかなり大きな独り言を放っているので嫌でも耳に入ります。
「いちいち細かい事言うな!」「色々一度に言うな!」というような事をブツブツ言っていてちょっと狂気を感じて横目で見てしまいました。
私の方をチラチラ見ていたので私の事??と怖くなります。最後に聞こえたのは吐き捨てるように大きな声で「もっと優しく言え!!」
もう怖くて怖くて誰に対してか聞く事も出来ませんでした。なんか後ろから刺されそうなぐらいの狂気を感じて恐怖とそんなまでに言われるような接し方していないのにと困惑でまともに顔を見れませんでした。悪いけどまともじゃないと思いました。
1月で辞めるMさんとランチの予定を立ててお昼を楽しく食べてましたがその話に及ぶと
「あの人頭おかしいですよ、ホント」と…
やっぱりちょっと変わってると言うかおかしい感覚の持ち主なんだと認識しました。
それ以来なるべく話さないよう挨拶だけしています。どんな事で恨まれるか分かったもんじゃない
向こうも一応感じているのかあまり絡まなくなりましたが、たまーに自分が教えてもらった事と違う事を私がしていると横から「私はこう教えてもらったけど」と言いながら古参のTさんにいちいち確認を取る始末
はっきり言ってどーでもいい事なのでTさんも「あぁ、うんうーん」と曖昧な返事をします。
すると天下取ったかの如く独り言ベラベラ喋り私の肩とかパン!と叩いてきたりします。
はっきり言って他人に身体触られるの凄く不愉快なんですけど
旦那も引っ越した近くで仕事探していいんじゃない?と言っています。
今月下旬には「懇親会しましょう」とか店長が言い始めてやるようなので憂鬱で仕方ないです
旦那曰く「まともな人は皆んな辞めて行くんだよ。おかしい人間しか残らないんじゃない?」
それって基地の状況と一緒だよなぁ
辞めて行ったオープニングスタッフの人たちとはランチしたり連絡取り合ったりしていて仲良く出来ています
その人達曰く「あそこが異常だったと良く分かりました」…だよねーそう思うよ
ちなみに娘は先月下旬に手術して術後5日で退院出来て回復も順調なようです
良かった良かった
大晦日です
悪かった体調もやっと上向いてきて休みにも入りなんとか新年を迎えられそうです
まだまだ荷物は片付け終わらないけどだいぶ減って来ました。
それだけ要らない物が多いという事ですね
毎年年末は生協でお節の中身を注文するのですが今年は引っ越しの為一時中断しているので定番の物だけスーパーで買いました。
娘も相変わらず年末年始は元旦以外仕事らしいので定番でオッケーとの事
いつも頼む美味しい栗きんとんも今年はすっかり注文忘れてしまいました
これも仕方ない
でも毎年欠かさないテレ東の孤独のグルメは見逃さないww
見ながらちょっと片付けしてこれから前の地元のスーパーへマグロの買い出しに行って来ます(コロナ前は店内でマグロ解体ショーしていました)
駐車場は今日まで契約しているので停めて駅まで買い出しです。
ランニングは出来ませんが引っ越しの為ゴミ出しやら荷物の移動やら階段を毎日何往復もしていたら1ヶ月ぐらいして脚が細くなったような?重い荷物持ったりして背筋も鍛えられたのか?腰の具合は悪くないのです。
普段どれだけ甘やかして来たのかwww
落ち着いたら近場を散策がてらウォーキングしてみようと思います
さてさて行って来ますか
今年は色々あり過ぎてブログも放置しっぱなしでしたが来年は頑張りまーす♪
皆さま 良いお年をお迎えくださいませ
波瀾万丈な一年でした
あー、2022年が終わろうとしています。
今年は本当に色々あり過ぎて…
まずは1月17日に娘の病院に付き添った後に見た彩雲から始まりました
あんな綺麗な彩雲が見れたのは幸運でした。
そんな呑気な事を言っていたら1月下旬に事件が起きて「もう無理!辞める!!」と腹を括り2月いっぱいで基地を去りました。
次の仕事どうすっぺかねー?なんて思っていたら
2月下旬に中学の部活の後輩からの声掛けでちらし寿司屋さんで働く事になりました
今まで魚なんてほとんど関係してきていなかったので新鮮でしたね〜
3月からぼちぼち働く事になり、その前にと元レンジャーのホワイトや高校の同級生と会ったりしてました。
その時会った同級生の紹介でずっと先延ばしになっていた実家マンションのリフォーム着手に重い腰を上げる事となりました。
そこからコロコロと転がるように工務店の選択、マンション管理会社への許可取りなど進んで行きました。
そんな中3月に検診した時に7月に手術すると決まっていたのに事前の検査で他の病気が発覚
手術は延期になり2週間ほど入院する事に…やれやれ
そして仕事はと言うとやっとなんとか慣れ始めた頃、オープニングスタッフのパートさん2人が辞める(辞めさせられる?)事になりました。
辞める直前にその1人の子供とレンジャーホワイトに接点がある事がわかり急速和解?しましてそこでパート連合の会が発足しましたwww
娘が退院する頃からリフォームも最終段階になり、壁紙や床材の選択や照明器具の買い出し
あっと言う間に日にちが過ぎてしまいました
職場でもどうもオネエマンにそっくりなやり方の店長に皆の不満が爆発寸前でした。
モヤモヤした中10月には引き渡しが終わり本格的に移動の準備が始まります。
とにかく、とにかく50ん年間一度も引っ越しした事のない私ですので荷物の選択がスゲー大変でしたwww
小中高の成績表はもとより生徒名簿や交換して皆に書いてもらったサイン帳などなどもう同窓会のネタばかりwww
小学生の時の記録会の証書とか
すげぇ汚くなってるけど…3kmを16分27秒だけどどうなんだろうか?でも11位って
とにかく捨てていいのか?捨てないで取っておくのか?選択が難しいかったぁ〜
片付けて運んで片付けて運んでをしている間に職場で事件が起こります。
職人で経営コンサルタントもしているTさんが出勤途中転んで脳に出血を起こしてしまいました。
(なぜか詳しい情報を私は全く教えてもらえてないのですがパート同士の会話で知りました)
入院してしばらく自宅静養となっていたのですが11月下旬にこれまた魚を捌けるパートさんがコロナにかかり1週間休みだったのが復帰間際に家族が感染してさらに1週間休みとなりました
まだまだリハビリ途中のTさんも毎日出勤しなくてはならなくなり…
年末29日から休みが欲しいと言っていた私も結局忙しいからと30日まで出勤になりクリスマスから休めず疲労困憊で絶不調です
こんなんで来年どうなるんだよ?と思っていたら同じパートの若いMさんが「1月24日で辞めます」となり…もうここも長くはないのかな?と思ってます。
実は通勤に今までの倍以上かかるのでちょっと考えてしまいます。
来年から新しい職人さんが入ると言っていますが私には全く情報入れてもらえないし
私って虐げられてんのかな?と思っています。
皆さんと随時会談していきますと言っていたけど私にはそんな予定なさそうだし
とにかく店長からのコミュニケーションが足りない!そう思えてイライラする事が多くて…
昔からの知り合いの人も「店長が何をしたいかわからない」とボヤく始末
さてさてどうなる事やら
そんな中でも娘の手術が来年1月下旬に決まりちょっとホッとしています。
今年は一生のうちに色々決断する事柄がいっぺんにやって来たって感じです。
とりあえず生まれてから今までお世話になった場所に感謝を告げて新たな場所での生活が始まっています。
来年は父の七回忌がありますし、叔父さんの納骨が4月にあるようですので法事が多い年になりそうです。
同じ基質?
前の記事で書いたオープニングスタッフとして働いていたパートさん2人が8月いっぱいで辞めるのを聞いたのは7月の終わり
時間を減らされ、日数を減らされ、週に3日だった勤務のところ2人で週3日という事になり私も「これって辞めさせようとしてるんじゃないですか?」とポツリと漏らすと他のパートさんたちも「やっぱりそうだよね?!」と不満に思っていたようでした。
だってさぁ、前の基地でのオネエマンのやり方そっくり「お店の売り上げがぁー」「人件費削減でぇー」とちょっとずつ時間を減らし日数も減らし「これじゃぁやっていけないから他で働きます」と言わせるやり方
デジャブか??
で、結局2人は8月いっぱいで辞める事に…
でも良く話を聞くと今の店長(最初は店長のご兄弟がやっていた)になってから男性を何人か同じパターンで辞めさせていたらしい。
やでやで
お坊ちゃんお嬢ちゃんの思考回路って似るのかね?
そんな辞めて行くパートさん1人とは先週が会うの最後でした。
結局4か月半しか一緒に働いてなかったのですがその人からしたら私が入ってからシフトが減ったという事もありちょっと好戦的な感じでした。
ところが話の流れで前の基地のレンジャーさん達とたまに会うんだという話になり1人は幼稚園の先生なんだよ〜なんて言ったらどこの幼稚園か聞かれたので教えたらなんとその人のお子さんが就学前に通っていた幼稚園でしたマジか…
名前を聞かれたのでホワイトの名前を言うと
「えー!!ホワイト先生ですか!大好きあの先生のおかげで楽しく通えたんですよー」といきなり親近感を持たれてしまいました。
最後の最後で判明するなんて!もっと早く分かっていたら良かったのにねー世間って狭い狭いw w
ホワイトに連絡したら覚えていて「とっても頑張り屋のお子さんでしたよー」と返信が来ました。
ホワイトからの返事を辞められる前に手紙に書いて渡すつもりでいます友人を褒められるとなんだか嬉しいですね
そんなハプニングもありましたが、先月のお給料をもらう時に店長から言われたって言葉を聞いて絶句しました。面と向かって「辞めてもらって構わない」なんて言っていたのに
「来月以降新しいパートを雇うつもりないんです。もし忙しい時に手伝いに来てもらえたら嬉しいです」とか「本当に辞めてしまうんですか?」と聞いて来たらしい。
もちろん2人は断ったそうだ(当たり前だよな)
いや、もうなんかヤバ系な人なのですかね?