6月20日(土)、21日(日)は、
富山県射水市(いみずし)の親鸞会館 で、
親鸞聖人降誕会が勤修(ごんしゅ)されました。
親鸞聖人のお生まれになられたことをお祝いして勤められる
「降誕会」(ごうたんえ)では、親鸞聖人が90年のご生涯、
教えていかれたことを聞かせて頂きます。
今回、私の先生である高森顕徹(たかもり・けんてつ)先生
より、
親鸞聖人のお言葉、
「利他(りた)の信楽(しんぎょう)うるひとは
願(がん)に相応するゆえに
教(きょう)と仏語(ぶつご)にしたがえば
外(げ)の雑縁(ぞうえん)さらになし」
について、聞かせて頂きました(文末に『独り言』の内容を掲載しています)。
仏教の言葉は難しいですが、その心を知ることが大事です。
今回は、2日間にわたって、言葉の意味を詳しく教えていただきました。
御法話で、1回1回、真剣に聞かせていただきましょう。
さて、「布施」について、前回の続きです。
※前回はこちら
http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10283536115.html
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翌朝、目覚めと同時に立ち上がり、
たちまちねぐらを飛び出した難陀は、
今までにない熱心さで、施しを請うて回るのだった。
食物を恵んでもらうためではない。
空腹も忘れて彼女は、お釈迦さまのましますこと、
その法の尊いことを説いて回った。
皆彼女の熱気に気押されるが、
変な物乞いが来たとしか言いようのない顔で、断りを浴びせるばかりだった。
だが難陀には、ひるむ心は毛頭起きなかった。
そしてついに、ある一軒の戸をたたいた時、
覗いたふくよかな顔は、どこか懐かしい香りのする高齢の婦人であった。
老婆はにこやかに好ましい様子で難陀を見つめ、熱心な一言一言に聞き入った。
ひととおり話を聞き終えると、おもむろに部屋へ戻り、
心ばかりの施しを、難陀の掌に託したのである。
難陀は天にも昇る気持ちで、恭しく礼を告げると、足早に油屋へと向かう。
今晩の法座に、今なら間に合うに違いない。すでに陽は西に傾きつつあった。
老婦人から施されたわずかな金を手に、難陀は息を切らして油屋を探している。
仏陀のましますこと、その説法の尊さを無我夢中で説いて回るうちに、
こんな不案内な土地まで来ていたのだ。
すでに陽は傾き、お釈迦さまのご説法には、もう間がない。
行き交う人に何度か尋ねながら、一軒の小作りな油屋に行き着いた。
そっと店をのぞき込むと、いかつい風貌の店主が、油を器から器へ移し替えている。
店で買い物をしたことがない難陀は、"あの……"とささやくと、
主人が気がついて愛想よく近づいてきた。
難陀は伏し目がちに、
「あの……一灯分の油が欲しいんです」
か細い声で告げ、握りしめた拳を広げた。
にこやかな店主の顔が曇った。
「残念だが、
それでは足りないな。油をあげるわけには……」
お金を出しさえすれば、油をもらえるとばかり思っていた難陀は落胆した。
だが、ここであきらめることはできない。
油屋の顔を凝視して懇願した。
「どうにかならないでしょうか。
今日一日求め歩いて得たお金なんです。
どうか……」
店の土間に膝をつき、頭を下げたが、主人はまだ渋っている。
・・・・・・・・・・
さて、この後は、どうなるのか??
次号へ続きます。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
最近、ブログを家族で読んでくださっているうれしいニュースを
2つ、3つ頂いております。
がんばります!
さてさて、21日(日)は父の日でしたね。
降誕会の係で、バタバタしていたのですが、
行事も無事に終わり、落ち着いたところで実家に電話。
いつもなら、すぐさま(2~3秒以内)母が出るのですが、なぜかコールが続く。
「出かけているのかなぁ」
と切ろうとしたとき、男性の声が……。
「間違い電話? いや、そんなはずはない。
携帯のアドレス帳からかけてるんだから」
と0.2秒ほど考えてると、父の声と確認できました。
「お母さん、手を洗ってるところだったから。もうちょっと待ってて」
と言うので、最初から自分に用事はない、と思っている様子。
確かに、たまに電話に父が出ると、
「お父さん、元気? お母さんいる?」
という調子だったので、罪悪感……。
「いやいや、ほら、今日は、父の日だからさ」
ということで、父との会話が出来たのでした。
父から、
「健吾(弟の名前)と話でもしてたの?」
と聞かれたので、どうしてか聞いてみると、どうやら、私の弟からも、
私の電話の直前にかかってきたようで、何というか、このタイミング!
(兄弟間の打ち合わせは、基本的にありえない)
つくづく、兄弟だなぁ、と思ったのでした。
姿形は、ぜんぜん似てないのに、行動パターンは一緒??
○兄 身長176cm 体重60kg
○弟 身長180cm以上 体重80kg以上
並んで歩いているところを「兄弟」とわかる人は、おそらくないでしょう。
ちなみに、弟は6歳年下ですが、
私のことを「ひでくん」と呼ぶため、ますます兄弟に思われない。
「お兄ちゃん」→「兄ちゃん」→「兄貴」→「ひでくん」
だんだん、ランクが落ちてきたような……。
兄としての威厳を取り戻すべく、がんばらねば!!
降誕会で教えていただいた親鸞聖人のお言葉について、
高森先生の『独り言』(ひとりごと)という本から紹介したいと思います。
「利他(りた)の信楽(しんぎょう)うるひとは
願(がん)に相応するゆえに
教(きょう)と仏語(ぶつご)にしたがえば
外(げ)の雑縁(ぞうえん)さらになし」
(高僧和讃)
「唯除五逆誹謗正法」(ゆいじょごぎゃくひぼうしょうぼう)と
切り堕とされた劣機(れっき)が、
「若不生者不取正覚」(にゃくふしょうじゃふしゅしょうがく)の
弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)によって、
至心信楽欲生我国(ししんしんぎょうよくしょうがこく)の
大満足に生かされたときが、
阿弥陀仏の本願に相応した時。
その無碍(むげ)の世界まで調機誘引(ちょうきゆういん)するための
釈尊一代の教えであったのだから、
その時が釈迦の教えにしたがったのだ。
十方諸仏(じゅっぽうしょぶつ)の証誠(しょうじょう)は、
この極難信(ごくなんしん)の弥陀の本願を
信受(しんじゅ)させんがためのものであったのだから、
信楽開発(しんぎょうかいほつ)の一念(いちねん)が
諸仏のお語(ことば)にしたがった時でもある。
“堕つるに疑いなし”“助かるに疑いなし”のこの境地は、
機法二種一具(きほうにしゅいちぐ)の深信(じんしん)だから、
四重(しじゅう)の破人(はにん)にあおうとも信心が動乱しない故、
“外(げ)の雑縁(ぞうえん)さらになし”と、
聖人は喝破(かっぱ)なされたのである。
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ぴょんたの
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