昨日は、小矢部市のクロスランドおやべで、仏教勉強会をしました。
今回は、親鸞聖人の生涯について皆さんと学びました。
約800年前(平安時代の末期)、日本の京都にお生まれになった親鸞聖人は、
4歳でお父さんが、8歳でお母さんが亡くなりました。
親鸞聖人は、
「次に死ぬのは俺の番だ。死んだらどうなるのだろうか」
と、自分の暗い後生に驚かれ、9歳で仏門に入られたのです。
800年の時を越えて、
今も多くの人を魅了する親鸞聖人とはどんな方であったのか?
次回も、続けて話をしたいと思います。
小矢部市での次回の勉強会は、
7月24日(金)を予定しています。
ちなみに、勉強会が終わってからは、いつも短い時間ですが茶話会が開かれます。
なんと、昨日は、手作りケーキと、笹寿司を、参加された方が作ってきて下さいました!!
さぁ! いただきまーす!
笹寿司も、酢が絶妙!いくつでも入ってしまいます!
お味は、もう、なんと表現して良いか……。
あぁ~、幸せなひと時でした。
さて、「布施」(ふせ)について、お話していました。
「布施」とは、施しのことですが、
布施にも大きく「財施」と「法施」の2つに分けられます。
今回は、「財施」についての2回目です。
前回は、施した人が恵まれることをお話しました。
「だけど、お金なら、金額が高いほうが、
それだけ功徳もあるんでしょう?
俺は、貧乏だしなぁ……」
と思う人もあるかもしれません。
そんな疑問にお答えしておきましょう。
財施の功徳は決して、その量の多少で決まるのではありません。
心こそ大切だと教えられます。
一つのエピソードを何回かに分けて紹介します。
・・・・・・・・・・
とっぷり陽が沈み、冷たい闇が辺り一面を覆い始めた。
たくさんの灯明で照らされた精舎(=寺院)が、闇夜にぼうっと浮かび上がる。
目指す先がようやく姿を現して、難陀(なんだ)は疲れ切った体を励まし、
歩みを速めた。
初めてお釈迦さまのご説法を聞きに来た彼女は、
ふだんは物乞いしながら足を棒にしている。
たまたまこの日は、親切に食事を施してくれた人が、
お釈迦さまの法座(法話の御縁)を教えてくれた。
その人の幸せそうな笑顔に魅了され、
哀れな女乞食はこの郊外まで足を運んでみる気になったのだ。
ようやく精舎にたどり着くと、あたたかな灯明が香気を放つようにきらめいている。
富豪が喜捨(きしゃ:財施)した絢爛(けんらん)な灯台や、
街の人々が布施した明かりが思い思いに瞬いて、
まるで別世界へ来たような気分になる。
美しさに見とれていると、遠くにほのめく台座に仏陀がお出ましになった。
初めて拝見する尊姿に何かを感じ、彼女は頭を深く垂れる。
深い響きを持つ、そのみ声をもって説かれる教えに、難陀は聞き入った。
そしてわが身の来し方を、振り返らずにいられなくなった。
生まれついての貧乏暮らし。
生きる意味どころか、働く術(すべ)も分からず、
人様の慈悲にすがって、口を糊する(=やっと暮らしを立てること)毎日を
送ってきた。
生活の不安はいつも心の重石となり、何も恵まれぬ日は胸が締めつけられる。
明日も明後日も金輪際、食事にありつけぬのでは、と
行く末の不安とひもじさ、惨めさで眠れなくなるのだった。
食べるためだけに生きる日々に心はいつも闇。
一日として安らかに過ごしたことなどなかった。
"こんなにまでして、どうして生きなくてはならないの?"
絶えず叫んでいた彼女の心に、
「男女貴賤(きせん:身分の上下)を問わず、
すべての人が平等無上の幸福になれるのだ」
お釈迦さまの説法は深くしみ入った。
「人はただ生まれ、生きているのではない。
先が見えず、胸つぶれるような日々にも、
この教えを聞き、救われるという意味がある」
声に出してみて、改めて彼女は心が熱く震えるのを感じた。
同時に、"どうにかこの教えを求めたい"。
突き上げるような願いが生まれた時、お釈迦さまの教えが胸に迫った。
「この法を求むる者、常に布施を心がけよ」
“……布施?
施すこと?
何も持たない私はどうすればいいの?
でもお釈迦さまを慕い、真実の法を求める一人として、
何か──そう、この精舎に輝く灯明の一つでもいいから、
仏法のために施してみたい”
帰る道すがら、前を行く人の気配を頼りに彼女は、
真っ暗な道にじっと視線を落としつつ、
どうすれば仏陀に灯を布施できるか、考えながら歩いた。
その目は道をとらえながら何も見ていない。
それほど何か一つに専心し、思慮を巡らすのは、これまでの彼女にはなかったこと。
帰り着いて床に入るまで、それは続いた。
(つづく)
・・・・・・・・・・
身分の差別なく、お釈迦さまは教えを説いてゆかれましたが、
これは実に驚くべきことなのです。
当時のインドには、厳しいカースト制度という身分制度があり、
婆羅門(バラモン)、
刹帝利(セイッテイリ)、
吠舎(ベイシャ)、
首陀羅(シュダラ)
という四階級がありました。
婆羅門(僧侶)と刹帝利(王族)はほぼ同等の貴い身分とされていましたが、
吠舎はそれらに対して婚姻はもちろん、交際や職業も禁じられていました。
首陀羅に至っては、直接、言葉も交わされず虫ケラ同然に見なされていたのです。
人種差別や身分差別は、今日でもあることですが、
2600年前の、この厳しい階級制度がある中で、
お釈迦さまは、「万人は平等なり」と説かれたのですから実に驚きです。
阿難(あなん)というお釈迦さまの弟子が、ある夏の暑い日、
祇園精舎に帰る途中、あまりにノドが渇いたので、
樹の蔭で一人の若い女が手桶に水を汲んでいるのを見て、
一杯の水を求めました。
阿難に言葉をかけられた娘は、小さな声で、
「私は卑しい素性の女です、あなたのような尊い身分の方に、
あげとうてもあげられません」
と断わりました。
その娘は、首陀羅という身分の女性であったのです。
阿難は、優しく娘を慰めて、
「人間は生まれながらに貴賤が定まっているのではない、
仏の教えは
一切の人々は、生まれながらに平等であり、自由だと教えられているのです。
どうか遠慮なさらずに私に水を一杯布施して下さい」
と少女をはげましています。
人命の尊さは、その人の身分で決まるものではありません。
身分にかかわらず、すべての人が本当の幸せになれる道を、
お釈迦さまは説いておられます。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
冒頭にも書きましたが、昨日は小矢部市での勉強会でした。
高岡から小矢部までは、車で1時間弱。
極度の方向音痴の私は、地図を見ながら、目的地へと向かいます。
デパートでトイレに入って出てくるとき、かなり高い確率で、袋小路に突き当たります。
(入り口の右手から入ったのに、出るときに右に出て行くから)
自分の「直感」にも、今まで、相当、裏切られてきました。
「急がば回れ」
のことわざを何度、痛感したことでしょう。
建物の中でも、よく迷子になります。
私の人生は「人間は、努力するかぎり迷うものだ」という、
ゲーテ『ファウスト』の言葉にうなずく実例に事欠きません。
(本来と違う意味ですが……)
おかげさまで、他人より多く歩く人生を進ませて頂いています。
さて、明日、明後日は、富山県射水市の親鸞会館で、
親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)がつとめられます。
親鸞聖人降誕会とは、
親鸞聖人がお生まれになられた5月21日前後に開かれる、
報恩講(ほうおんこう)と並ぶ二大行事の一つです。
親鸞聖人がお生まれにならなければ、
絶対に知ることのできなかった大切なことがあります。
それを聞かせていただく御縁。
海外からも、親鸞聖人の教えを聞きたい、と多くの方が来られます。
混迷の時代、仏教は今、世界的に注目されています。
いつでも、どこでも、仏教の教えを伝えられる日本人でありたいですね。
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ぴょんたの
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