秋風にしろくなびけり山ぐにの浅間の王のいただきの髪
―与謝野晶子
この週末
由美ママは
軽井沢へ出かけておりましたが
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*けさりんと体のしまりや秋の立つ!銀座時代より長く常連客に愛される軽井沢の隠れ家【寿司軽井沢加納】 (2013年8月19日号他)
*2014年世界アマチュアゴルフチーム選手権開催コース【軽井沢72ゴルフ東コース入山】チャレンジ! (2013年8月18日号)
昨日は
日本有数の
“名門ゴルフ倶楽部”として名高く
白洲次郎が理事長だった
【軽井沢ゴルフ倶楽部】
にてラウンドする機会に恵まれました
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*かの“白州次郎”が理事長だった名門コース『軽井沢ゴルフ倶楽部』&浅間山を背にした丘陵『浅間GC』 (2009年9月21日号)
【軽井沢ゴルフ倶楽部】No.12 伊藤由美ママwww.yumi-ito.com
【軽井沢ゴルフ倶楽部】クラブハウス
さて、
【軽井沢ゴルフ倶楽部】は
「メンバーによるメンバーのためのメンバーだけのゴルフクラブ」
として最も理想的ながらも
超難関な“入会審査”で知られる
“会員制ゴルフ倶楽部”ですが、
この倶楽部は、
昭和7年、
旧軽井沢離山の9ホールのみの旧コースから、
現在の南ヶ丘に18ホールの新コースを造って移転した歴史から始まります
ちなみに
この地に
別荘が造られたのは、
明治21年
英国聖教会司祭アレキサンダー・C・ショウ氏が
旧軽井沢の大岡山に造った簡素な山小屋が第1号で、
その後
多くの外国人が軽井沢へと来訪するようになりました。
さらに
明治26年
碓氷新鉄道が開通後は
東京からの別荘族が急増したことから
大正8年、
“軽井沢族”の間に
「ゴルフ場を」という気運が広がり
『軽井沢ゴルフ倶楽部』が設立され、
大正9年10月
旧軽井沢地区離山に、
英国人プロ・トム・ニコルの設計で
野沢組が別荘分譲していた土地6万坪を借りて着工。
ただ
当初は
ティーグランドと旗が立つ
シンプルな設計だったようで、
フェアウェイは野芝、グリーンはサンドの9ホールでした。
それが
3477ヤード・パー36として完成したのは
大正11年の夏で
これが現在の『旧軽井沢ゴルフクラブ』です。
やがて
年号が昭和に変わった後、
「18ホールが欲しい」というメンバーの希望から
昭和4年9月5日、
軽井沢町成沢地区南ヶ丘に46万坪が売りに出たのを契機に、
新ゴルフリンクス建設の発起人会を結成。
昭和5年3月
コース移転と新ゴルフリンクス建設が決まり、
昭和7年
発起人の一人である小寺酉ニ氏設計により
別荘地の中心部に18ホール
6573ヤード・パー71のコースが完成しました
【軽井沢ゴルフ倶楽部】No.1
朝靄の由美ママ
No.11よりの浅間山の雄姿
No.2
No.3よりの浅間山
No.4
No.5
No.6
No.7由美ママ
No.8
No.9
この後
スルーでNo.10へ
No.11
No.12由美ママ
No.13
No.14
No.15由美ママ
No.16
山アジサイ類アメリカアジサイ“アナベル”
No.17
そして
いよいよ最終No.18 シンボルマーク“赤いリス
”のティーグランド
再び
由美ママ
「同じ10フィートでも、速い10フィートと遅い10フィートがある。速い10フィとは、葉先の先へ先へと転がる。そういったグリーンを目指した」
―グリーンキーパー大野哲也
由美ママの
“二度目”の【軽井沢ゴルフ倶楽部】
チャレンジは
そんな
高速グリーンに悩まされたものの
心地よい“秋風”に吹かれ
浅間山の見事な夏山の景観を
堪能したひとときでした
そして
機会あれば
“メンバーのためのみ”・・・
とされていますが、
この日本有数の名門コース
【軽井沢ゴルフ倶楽部】へ、
“ビジターOK”の時期に
「Play fast」のウエアを着て
再チャレンジしたく切に願いました
【軽井沢ゴルフ倶楽部】
長野県北佐久郡軽井沢町南ヶ丘3000
0267-42-2220
0267-42-2740
*要メンバー同伴(時期によりメンバーのみでビジター不可)