八人の 子供むつまし クリスマス・・・三國清三シェフのクリスマスディナー『オテル・ドゥ・ミクニ』 | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。






八人の 子供むつまし クリスマス ―正岡子規
 


昨日は“空寒く冬となる”「大雪」初候を迎え、ようやく朝晩の寒さが身に凍みる頃となりましたが、

街中がクリスマス一色の今週はいかがお過ごしですか?


『由美』では、今週から煌びやかなツリーと、金色の枝とのアレンジで深紅のポインセチアを飾り、

クリスマスの装いに様変わり致しましたが、昨夜は月曜日・・・ということもあり、

まだまだ賑やかさには欠け、人通りも疎らな銀座並木通りでした・・・




銀座由美ママの心意気-銀座資生堂クリスマスツリー  

銀座並木通り資生堂“クリスマスツリー”

銀座由美ママの心意気-ノエビアクリスマスツリー

並木通りの反対側は、ノエビアの“クリスマスツリー”

銀座由美ママの心意気-銀座ルイヴィトン 銀座由美ママの心意気-銀座ルイヴィトン2

ルイヴィトン並木通り店のイルミネーション





さて、掲句は、1896年(明治29年)作の子規の句ですが、

まるで子だくさんの家の賑やかな“クリスマス”の風景が目に浮かぶかのようで、

明治のこの時代から“クリスマス”を祝っていたことに驚かされますが、

実際に、正岡家ではクリスマスを祝った記録はないものの、

西洋好きの子規にとっての“クリスマス”とは、“一家団欒”の楽しさが感じられる特別な日で、

子規は、随筆「病牀六尺」でも、“一家団欒”は平和の基だと述べています。




また子規には、“クリスマス”の句が6句存在し・・・

「会堂に国旗たてたりクリスマス」「臘八のあとにかしましくりすます」

など、その内容はともかくとして、子規は既に、1892年(明治25年)には、“クリスマス”の句を詠んでいて、

この“クリスマス”の他にも、子規自身が明治の“新題”に大きな関心を持っていたことはよく知られています。



中でも自らが初めて用いた季語「夏帽」に対しては・・・

「古来誰一人詠まざりし新題なれば一句々々陳套を脱せしこと自ら保証しても可なるべし」(松蘿玉液)

とのコメントを残しており、門人・碧梧桐も、子規の“新題”への関心を高く評価し、

著書『新俳句研究談』(大学館・明治40年10月)の「新事物の諷詠」の項にて・・・

「明治の新題といふことに著目するものが多くなって、“夏の海水浴”、“冬の手袋”、“吾妻コート”までが

詩題となるに至つたが、其第一著の標準を示したのは子規子の“夏帽”である。

子規子の事業多きが中にも、一些事のやうで忘るべからざるものは、この新題を捕へた点である・・・」

と述べていて、このような記述からも、冬の“クリスマス”も「明治の新題」の一つと想像できますね。http://sendan.kaisya.co.jp/ikkubak_1203.html




そんな子規らによって、明治には既に“新題”となっていたこの“クリスマス”ですが、

日本に於いての歴史はと言うと、実に1552年(天文21年)、

現在の山口県周防にて日本に布教活動に来たイエズス会の宣教師たちが、

日本人信徒を招いて“クリスマスミサ”が祝われたと言う記録があり、

また1568年(永禄16年)には、イエズス会士ルイス・フロイスによる織田信長の「クリスマス休戦(松永久秀)」

の記録もあり、一切の権威を否定していたかの信長が、“クリスマス休戦”していたなどど、

俄かに信じられない事実ですが、

その後、1612年(慶長17年)のキリスト教禁止令、さらには鎖国により、

長崎の出島や隠れキリシタンを除いては、“クリスマスミサ”は一切行われなくなりましたが、

このような歴史を振り返ってみますと、戦国時代から明治までの“クリスマス”は、

キリスト教の宗教的意義から開催されていたことが伺えますね。




また、歳時記としては、1903年(明治36年)2月刊の高浜清(俳書堂主人・虚子)編『袖珍俳句季寄せ』(俳書堂)の「冬」の「人事」の項に「クリスマス 十二月廿五日」とあり、

かなり早い例であるように思いますが、もっとも、1898年(明治31)2月刊の『新撰東京歳事記』下編(東陽堂)の“十二月廿五日”の項には、下記のごとき記述が見え、
「欧米諸国に於ては所謂大物日にして我国の十二月三十日三十一日とも云ふへき景況なりされは

市中繁忙「クリスマス」贈物を販売するか為めに此月廿一二の頃より商店は各其售品を陳列し

翫弄物なぞを粧飾せり諸人之を購買して親戚知人の小児に贈ることなれは小児は贈らるゝを楽み居ること恰も我国の小児か歳暮年玉を受くるを楽み居ると同一なり小児心の愛らしさ何処も同しことなり・・・」

と、いわゆる今日的な意味での歳時記ではないものの、興味深い記述で、

その後、少し時代が下って、1908年(明治41年)12月刊の今井柏浦編『俳諧例句新撰歳事記』(博文館)では、「冬の部」の「宗教」の項に「基督降誕祭」を立項していて・・・
「十二月二十五日。基督の降誕を祝する耶蘇教の祭にして、信者互に贈物をなし、各教会は、男女打交りて種々の無礼講をなして面白く遊ぶ」と記述されています。http://homepage1.nifty.com/haiku-souken/oninokai/haiwa66-76.htm http://www.christmasmuseum.jp/ChristmasHistoryJapan.html

 
銀座由美ママの心意気-ミクニ クリスマスツリー 銀座由美ママの心意気-ミクニ クリスマス飾り

由美ママお薦めの“クリスマス”は・・・由美ママブログでも度々登場するあの三國清三シェフ経営の『オテル・ドゥ・ミクニ』http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10252950621.html です。

銀座由美ママの心意気-ミクニ1階カウンター 銀座由美ママの心意気-ミクニ 1階バー

『オテル・ドゥ・ミクニ』1階カウンターでは、まずチーフとシャンパンを飲みながら写真談義をするのが由美ママ通?・・・(なぜなら、チーフは実は写真家でもあり、ミクニグループのHPやパンフレット等の写真を撮影していらっしゃいます・・・すごい!!!)http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi http://r.gnavi.co.jp/g860700/

銀座由美ママの心意気-ミクニ 黒トリュフ 銀座由美ママの心意気-ミクニ evian

黒トリュフの前菜


銀座由美ママの心意気-ミクニ 白トリュフのリゾット 銀座由美ママの心意気-ミクニ メイン

白トリュフのリゾットと黒毛和牛フィレステーキ!(やはり由美ママは毎回“肉食獣”ぶりを発揮?・・・笑)

銀座由美ママの心意気-ミクニ 牛ヒレトリュフ 銀座由美ママの心意気-ミクニ デザート

四ッ谷の洒落た一軒家『オテル・ドゥ・ミクニ』にて、自然あふれる風景を眺めながら、ゆったりとした贅沢な“クリスマス”のひとときをお楽しみください。


☆☆☆~クリスマス特別メニューのご案内~☆☆☆


 期間:12月19日(土)~12月25日(金)

価格:ランチ¥10,000 / ディナー¥25,000(※消費税・サービス料込み)

※12月24日(木)は、クリスマス特別メニューのみ

銀座由美ママの心意気-ミクニクリスマスメニュー  銀座由美ママの心意気-ミクニクリスマス

『オテル・ドゥ・ミクニ』“クリスマスメニュー”http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi






子供がちに クリスマスの人 集ひけり ―正岡子規
 

由美ママは、今週は子規が好きだった“クリスマス”に想いを馳せ、久々に「子規庵」へと出掛けたく思っておりますので、どうか“一家団欒”の賑やかな日々をお過ごし下さい。