以前にも書いたことがありますが、私は教養というのを文化力と読み替えています。
明治になってCULTUREの訳語として文化という言葉が使われてから、文化という言葉の持つ意味は非常に広がり、自然界に人間が手を加えてつくり出してきたものすべてを文化と言うようになりましたから、本来の教育を強化するなどというような意味だけでなく、宗教、言語、習慣、風習なども全て文化と称します。
このCULTUREの訳語として教養もありますので、すなわち教養があるということは文化をよく知ること、文化を理解する能力が高いことと同義だと思います。
それを私は文化力が高い人を教養があると言いますから、教養がないというのはすなわち文化力が低いという風に考えます。
文化力が高いと、多くの文化の成り立ちに思いをはせますから、すなわち歴史を考えますし、工芸品などはその職人さんの仕事ぶりなどに興味を持ちます。
私も旅行をするとその先で必ず美術館、博物館、工芸館等に参ります。
そうするとその土地の先人の紡いできた歴史が見えてきますし、京都との結びつき、海外なら日本との交流、文化の質の差などを考え、その土地に興味が増します。
地元の人とそういう類いの話をすると大変喜ばれ話が盛り上がります。
つまり文化力が高いとコミュニケーションが円滑になると思います。
外交官の文化力が高いと、良好な国交関係が樹立できるのではないでしょうか。
そのように為政者の政治と文化力の高低は大きな関係があると考えます。
文化をよく知るものはその底辺までを考えますし、それを維持するためにどうすればいいのかまで頭をめぐらします。
ですから文化力の高い人はすなわち思いやりや優しさ、つまり愛があります。
振り返って日本の歴史を考えたとき、明治維新政府の文化力の低さはとんでもないレベルでした。
廃仏毀釈などその最たるものですが、その流れで大正、昭和と続き、昭和20年にこの国はいったん崩壊したのと同じです。
明治天皇をだまし利用して東京に拉致した1868年から1945年までたったの77年です。
京都の歴史から考えたら、一瞬の様なものです。江戸幕府でも260年以上続いたことを思うと、本当に僅かな間で国を壊してしまったわけです。
もっと文化力が高ければ、近隣諸国との関係も含めて、アジアの盟主としての尊敬を得ることができたかもしれません。
クーデターがなって、権力を握り、女と金と保身のためのとんでもない教養レベルの低い政治がこの国を壊してしまいました(文化力の高い人は遠ざけられました)。
そして現在はどうでしょうか。
戦後68年でまたこの国はふらついています。
正に文化力の欠如した政官財のために(中には大変立派な方もおられますが
)、アイデンティティは喪失するばかりで、戦前の無能大本営と同じ道を歩もうとしています。
文化力が低く、思いやりのない机上の空論を続ける限り、血の通った政治も経営もできるわけもなく、文化的なレベルは下がる一方です。
日本人が日本の歴史や文化も知らず、どうして日本を世界で誇り語れるでしょうか。グローバリゼーションは英語が喋れることではありません。
まず己を知ることから始めなければなりません。どういう教育が必要なのか真剣に考えないと頭でっかちな輩ばかりが増えていくのです。
ああ、また口うるさいことを言ってしまいました。朝刊で超無能馬鹿銀行の記事を見ておもわず書いてしまいました。