理詰めタイプと想い出タイプがある。
理詰めといっても結局は想い出タイプみたいなものだがそうなると大きく分けると
一つにしか分けられないことになるのだがいいだろうか。
いいとしよう。
そうしなければ話が始まらない。
というかここで話は終りなのだが。ここで終りで、本当にすまないと思う
(どきどきキャンプもっとテレビに出ないかなロケがいいな素人と絡むタイプのやつで)。
つぅか誰かが大別した正解があるタイプと前例がないタイプに分かれるだろう。
例えば星新一氏のエッセイにこんなのがある。
米はふとるが使い出がある。
めんたいこでも塩でもあんこでもケッチャップでも合う。
こんなに合体させるのに苦労が要らなかった食材はなかったのではないか、という内容。
とんねるずののりたけ氏が白い飯が好きなので有名だがうまそうなおかずがあったら
すぐ白い飯が欲しいねといったギャグが有る。
米というキーワードでギャグから食材に優れているとなるまでの正解があるわけだ。
でもテレビと違って本は生きていないので難しいが。
生きていないというのはおおげさか。
笑い声とかつっこみとか第三者が入ってこない。
ニコ生っておもしろいよね。関係ないか。
理詰めなら一人ですら本も生きてくるのだが。頼りになるのがおのれしかないという点で難しい。
というか何のことはなしてたんだっけ。わけわからねぇだろ。
そういう仕様です。
例えば音楽乗れた食事うまさ異性かわいさAV勃起ドラマ泣いたグロさとか
好き嫌いと笑いとか生理的なものはおのれで大体はかれるものだがじゃない
もの車のかわいさとか人がすごいとか生理的なものではかれないものはすごく苦手になるでしょう。
そうでしょう。というわけで以上です。もう話し足りないことはございません。