昨日の続き ↓ です (’’ノ
昭和のダブルライダーは ・・・
① 1号ライダーの藤岡弘さんが怪我で降板
② 2号ライダーとして佐々木剛さんが「藤岡弘さんが復帰するまで」という条件付き(本人申し出)で参加
③ ライダー変更の際に視聴率アップのための様々なテコ入れがなされた結果、人気上昇
④ 藤岡弘さんの怪我は一応、治っていたのだが、番組として「仮面ライダー」の人気が出ていたので対応に苦慮。
⑤ 放送局側の意向で「藤岡弘」さんの復帰が決定され、イベント的に「ダブル・ライダー編(第39・40・41話)」が編集・放送される。
⑥ その後も局側としては「ダブル・ライダー」路線としての定着化も考えていたが、佐々木剛さんが「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは彼が付録のようになってしまう」と頑として拒否する。
⑦ 藤岡さんの怪我の状況を見ながら、数か月後に藤岡弘さん復帰。佐々木剛さんの2号ライダーはショッカーを追って南米に行ったとなる。
⑧ その後も最終回時などにはダブル・ライダーが実現
というのか大まか過ぎる昭和のダブル・ライダーの流れです(超反省 (。。;)。
振り返ってみると、佐々木剛さんの対応が立派 (’’(、、
2号ライダーを打診された際も友人である藤岡弘さんの「役を取りたくない」と言って最初は断っているほど。
こうした画面上には現れない(平成の現在では大分、明かされているが (’’;)様々な要素があってダブル・ライダーや、その後のシリーズでのゲスト客演が人気を得ていった訳です。
そういった状況を考慮せずに視聴率テコ入れのためだけに複数の仮面ライダーを出すのは邪道 ><;