今につながってる | BLUE TOY BOX

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息子と娘とおべんとと

   秋田市内のとある住宅街に・・・

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    しょぼい遊園地じゃなくて!!

       汗o(・_・= ・_・)oあせる


   これ、油田なんだよね。今でもちゃんとキーコ、キーコと動いている。

      油田って、私の中では、こんなイメージなもんだから これ↓


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 秋田で初めて見た油田に少なからず衝撃衝撃!衝撃を受けた。

昭和20年代後半から30年代にかけては国内最大の油田であり、産油開始から

現在までの累積産油量は国内で最大というだけあって、小学校の総合学習でも

取り上げられている。


 メモ 少し歴史を紐解くとね・・・ メモ


 1870年に千蒲善五郎(ちがまぜんごろう)なる人物が製油所を設置。東京から

石油ランプランプを取り寄せてランプと灯油の販売を試みたのが始まりとされるが

事業は失敗に終わっている。


   本格的に発展していくきかっけは戦争にあった


 1935年に日本鉱業(現在のジャパンエナジー)が本格的に産油開始したのを

皮切りに、日本石油も相次いで開発に乗り出していく。

 1937年に勃発した日中戦争が長期戦の様相を呈してくると、国をあげて

戦力に投入するため、いろいろなかたちで経済統制がおこなわれてゆく。


 1938年の国家総動員法により国の全機能をあげて戦争に集中する体勢を整え

石油資源の緊急増産がはかられた。


    戦争には不可欠なものだったからね・・・


 太平洋戦争に突入した1941年には更に統制を強化し、その趣旨を実現するため

国策会社帝国石油会社を創設し、秋田の油田経営にあたっていた日本鉱業や

日本石油から地質調査及び試掘部分を分割して吸収統合することにし、石油資源

開発は国の事業となってゆく。


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 戦後、帝国石油(現在の国際石油開発帝石)が開発を受け持ち、各地に油井を

掘って産油にあたるわけだが・・・


 BLUE TOY BOX ←フジテレビ系ドラマ「不毛地帯」


 「私にやらせてくださいメラメラと、石油事業に燃える竹野内豊ばりのイケメンが

いたかどうかはおいといて、昭和30年代には国内最大の産油量を誇る油田へと

成長を遂げてゆくのだ。


 昭和40年代以降その産油量は急激に衰退し、現在の産油量は当時の1割にも

満たないが、今でもキーコ、キーコ毎日稼働している。

   当たり前のことなんだけど、歴史は今に繋がっているんだよね。


   というわけで、今日のお弁当は歴史つながりで・・・(広すぎる)
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           【西郷隆盛】


        最近、ちょっとだけ・・・

    歴史上の人物を作るのがマイブーム

     ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノわ~い



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