「フルートベール駅で」という映画を見た。
今思ったこと、感じたことを風化させないように、
あえて、ここに書きます。
この作品は史実です。
2009年1月早朝、
電車の中で暴動騒ぎがあったと通報を受けた警察(白人)が
無抵抗の黒人を拘束し、発砲。
その後、その黒人は死亡した。
22歳で娘がいた青年でした。
発砲した白人警察は、
ショック銃と間違って発砲したと供述し、
2年の懲役が11か月で出所。
時代的な問題でいうと、
現オバマ大統領が当選されたのが2008年11月。
正式に就任するのが、2009年1月だった。
たまたまなのかもしれない。
でも、差別はたまたま起きてない。
いつでも、どこでも、社会のすぐそばで起きてる。
みんな、見ようとしない、知ろうとしない、
気にしないだけで、差別はいつもそばにある。
人種差別、人格差別、性の差別、見た目の差別。
理由なき差別。
自分も在日コリアンという立場で、
どちらかといえば、人種差別をされる立場です。
正直、「何故?」というのが一番に浮かんでくる。
差別問題に関しては、
ネットなどでも嫌なら帰ればいい、野蛮だ、汚い、臭い。
危険国家の因子だ。死ね。
いろいろ書かれてます。
仕方がないんでしょうか?
選んで、朝鮮人に生まれたわけじゃない。
選んで、黒人に生まれたわけじゃない。
選んで、傷害を持ったわけじゃない。
それこそ、
たまたま、そうやって生まれてきて、
ただただ、親が授かった命を大切に、
日々一生懸命生きてるだけなのに、
それが罪になるんでしょうか?
みんなと一緒で、
腹が減れば飯を食う。好き嫌いもある。
便意ももよおす。アクビもする。くしゃみもする。おならもする。
悲しければ泣くし、嬉しければ喜ぶし、楽しければ笑う。
ただ、肌の色が違うだけ、
ただ、国が違うだけ、
ただ、他の人と違うだけ、
違うことはいけないんでしょうか?
みんな、同じ色で、みんな同じ言葉で、みんなが同じ親なら、
そんなことは起きない?
みんながみんなそうじゃないと思ってるし、
誰が悪いというのも言えない。
時代のせいにもできない。
今となっては、いつが始まりだったのかは分からない。
人間だから、という一言では済ませられない。
許されない、という一言では終われない。
解決策は正直なかなか見つけづらい問題です。
ただただ、
「何故?」
という想いが強く残ります。