半径3m以内に大切なものはぜんぶある。 | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地



「半径3m以内に大切なものはぜんぶある。」
                                            宮崎駿

今まで、半径3m社会学とかさんざんぱら揶揄しておいてなんですが、同じ半径3mでも宮崎監督にかかると、散歩の途中でバス停を見て雨の中トトロと邂逅するシーンが浮かんだり、煙突を見て千と千尋の着想を得たりと次元が違いすぎて絶句。とりあえず半径3mを愚弄してごめんなさーいと謝っておくことからはじめます。

ついに後藤和智さんの新刊「おまえが若者を語るな!」が出版されました!!!今回も何気に巻末でお礼の言葉をいただいていたりしますが( ´∀`)σ)Д`) 前著では実名批判は控えて(まあ各章ごとに附されている参考文献で批判対象は丸分かりだったわけですが)、俗流若者論とはどういうものかという一般論を語っていたわけですが、今回は綺麗に太陽の塔の如く突き抜けました。それも、宮台・東・鈴木といった半径3m社会学者から、よく知りませんが宇野某までまさに根扱ぎです。書きも書いたりと(私が言えた義理では決してありませんが)、ここまでひっくるめて全否定キタ━(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(  )━(  )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━ !!としか言いようがない。

語り口もなんら韜晦かませず、ストレートど真ん中。まさに著書のタイトル通りであり、そして今後はおまえらは若者「を」語るな!と綺麗な退場宣告になっています。私はこれだけのことを後生の論者に言われて何の有効な反論も紡げない連中は、潔く半径3m界隈に引き篭もる「決断主義」(笑)とやらを実践してもらいたい。

この本で指弾されている連中がさも若者のことを分かった風な口調でばら撒いた言説が、非正規雇用なり治安問題なりどのように悪用されていったことか!こういう批判こそが「私的」ではなく「公的」な批判であるのですが、部分否定ではなくほとんど全否定になっているがゆえ人格批判としか受け止められない論者がいたとし・た・らその方にとっては不幸なことと「リアルのゆくえ」でのやりとりを読んで感じました。

というわけで、私も世界の片隅で武器庫の在庫を補充させていただきます。以下、抜粋する前に私なりにこの論考がいかなるものかという「愚考地図」をつくると

1.未だに経済(だけ)ではなくココロ。しかもあちこちで延々と秋葉事件について語る=食い物にしているということの無自覚。それこそ池田晶子氏あるいは大塚英志氏でも見習って加藤容疑者個人の「実存」に向き合えばいいのにそれもせず、若者論として利用しているだけ。

2.レッシグを引用してレイヤーがどうとかほざいていたくせに、自分たちが「潮」という雑誌でまさに創価学会にいかに都合のいい言説を吐いているかということの無自覚ぶり(政権与党としてまさに非正規雇用の問題を規制緩和で作り出した創価学会の免罪とともに、貧者にココロのセーフティーネットを提供することで信者を教勢を拡大した創価学会にエールを送っているだけ)

「秋葉原事件」が私たちに突きつけたこと。~繰り返される凶行から何が見えてくるのか。二人の気鋭の論客が、日本の”いま”を語り合う。 東浩紀×鈴木謙介(「潮」2008.10月号)

浮き彫りになったメディアの機能不全

鈴木
>東さんは、秋葉原事件の後、「いろんな取材を受けたけれど、いくつか話が折り合わずに断った」という趣旨のことをブログに書かれていましたよね。どういうところが折り合わなかったんですか。


>やっぱり、オタクとかゲームが事件の背後にある、ということを言わせようとするわけです。いくら「そうじゃないんだ」と言っても、メディアは「でも、秋葉原で起きたわけですよね」「秋葉原といえば…」と。加藤容疑者がケータイで書き込んでいる。事件が秋葉原で起きた。周りのみんながケータイで写真を撮っていた。そういう話ばかりがクローズアップされて、あとはなんでこんな事件が起きたのかというと、例によって「心の闇」だと。

ことさら、アキバという場所をもちあげたのは一体誰なんでしたっけ ( ゚д゚)ポカーン

鈴木
>ワイドショーでも、暴発する若者と「ゲーム脳」の関係が紹介されると、出演者が一様に納得しているわけです。他方で、ネットを少し見れば、ゲーム脳に科学的な根拠など何もないことが多数指摘されている。リアリティーの乖離というか、ネットの常識とは全然違うことが、テレビの中では当たり前のことのように享受されているんですよね。

ちなみに鈴木謙介や東の言説に何ら科学的根拠がないことも指摘されていることも忘れないでくださいね♪

鈴木
>マスメディアの問題というのは僕もすごく感じるところです。僕も含めた若い世代はある程度、「こういうことが起きるかもしれない」という不安を共有していましたし、その問題を扱うべきだと何度か提案したこともあります。でも大人の側は、事件が起きて初めて「なんでこんなことが起きたのか」と慌てている。若い世代の意見を聞く回路を閉じていても、マスメディアの役割を果たす上で何の不都合もないと思われていることが、この事件で明らかになった気がしますね。

何度も何度も何度も(以下略)指摘するのもうんざりだけれど、そんなに若い世代の無差別殺人は頻発していません。犯罪白書なり警察白書を、白書が読めないというなら「戦前の少年犯罪」を読めばそれこそ昔の世代のほうがというのは明らかなことです。いつだって起きているし、これからだって普通に起きる事件にすぎません。


>もともとこの国では、戦後、世代間対立のほうが階級対立や地域対立よりも強かったわけです。それが若い世代がネットというオルタナティブな(もう一つの)メディアを持ったことで、いよいよ深刻になってきた。かつては若い世代が自分の意見を発信するためには、何らかのかたちで新聞やテレビと関わらざるをえなかったわけだけど、いまはその必要がない。若い世代の意見や感情はネットでだけ流れていて、従来のメディアはそっちのほうはほとんど気にしないという構図ができている

だとしたら毎日新聞問題と言うのは何なのでしょうね?もはやメディアは普通にネットを気にしていると思うのですが。

鈴木
今回の事件では、かなり早い段階から「格差の問題だ」ということが、マスメディアの中では語られていましたよね。それを受けるかたちで「日雇い派遣を原則禁止しよう」ということになりました。それは必要な措置だったと思いますけれど、一方で非常にまずいなと思うのは、この事件で、格差や貧困の問題ばかりに焦点が当てられるようになってしまったことです。そのために、たとえば加藤容疑者の書き込みに現れる実存の問題や、それに対するネットでの共感という茫漠とした感情の広がりが掬い上げられていないけですよ。

格差の問題だという方向に水脈つけたのはネット世論の速度だと思うのですが、マスメディアは結局「トヨタ」グループの非正規雇用問題ということを語れずして終わっています。


>秋葉原事件が突きつけた深刻な問題の一つは、もしかしたらメディアの機能不全かもしれない。この事件には、尊厳の問題、派遣労働の問題、世代の問題、若者文化の問題とじつにいろんなことが含まれていたにもかかわらず、従来のメディアはそれに対する読解・考証を提供することができなくなっている。

いろいろな要素・背景が含まれているのは当たり前のことでこの事件だけ特に問題視することでもなく、メディアは元々提供できていないでしょうが。

鈴木
>その代わりに出てくるのが「ゲーム脳」という。

今回、ゲーム脳という言説はあっというまに葬り去られましたがそれはひとえにネットの「非正規雇用」問題と言う焦点化の効用でしょう。すでに政経問題となっているところに、あとから似非科学問題もってきてもインパクトありませんから。


>もう少し大きい話で言うと、この問題は社会全体の共感が失われていることを象徴している。いまの社会は、いきなりキレて10人、20人殺す若者が現れても、「ではそういう前提でリスク管理をしていきましょう」ということで粛々と進んでいく社会になっている。異常者への共感から社会全体について考える、という包摂の回路が働かない。

 |  /l、 ??
 | (゚_ 。 7  ツンツン
 し⊂、 ~ヽ
    しf_, )~

まるで逆でしょうが。極めて稀なリスク問題であることが共有されていないがゆえに環境犯罪学に基づいた治安対策が恐ろしい勢いで進められているわけですが。冷静なリスク評価ができないがゆえに、異常者への共感をする余地がなくなっていると考えるのは私だけ?

>たとえば1989年の宮崎勤事件なんていうのは、普通に考えればまったく社会性がない。宮崎勤事件と秋葉原事件とどっちが「社会的」かは難しいけれど、秋葉原事件のほうが語りやすいことは確かです。でも秋葉原事件については冷淡です。ある事件が起きたときに、それを社会的文脈のなかにきちんと意味づけることができなくなっている。

女子りべさま 後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」でも指摘されていますが、宮崎事件に結局20年間付き合うことになった大塚氏に対して東氏がいかにも大塚氏のことを分かっちゃった風の言説をとることがいかにイラつかせるかということが非常によくわかります。東氏は加藤容疑者を自分もああなっていたかもしれないというように自分の問題にひきつける、擁護のリスクをとらずによくもいうものです。第三者的立場ならばどんな事件だろうが語り「やすい」ですよ。

鈴木
>97年の酒鬼薔薇事件を境にして、社会問題ではなくて治安問題になっちゃったんですよね、この種の事件は

お前の師匠の宮台が「底が抜けた」だの「酒鬼薔薇に呼びかけられる」だの「脱社会的存在」など体感治安を悪化させる言説を撒き散らしたのが原因の一つですがそこは指弾しないのかい?麗しい師弟愛ですね!(棒読み)


”縁が切れやすい”方向に進む日本

鈴木
>ネットの書き込みでも、多くの人は何に共感しているかというと、不安定な雇用しかないことへの不満というよりは、加藤の書き込みに見られる、コミュニケーションとか実存とか尊厳の問題というところですよ。ところがネット以外では、彼が抱えていた問題は、そう深刻には捉えられていない。

そういうココロの問題なんて誰でも当たり前に抱える問題ですからね。

>たとえば、彼は「モテない」ということを書いていますけど、それがどういう意味の苦しさなのかというのはほとんど伝わっていないと思うんです。「非モテ」という不満は、異性にちやほやされないということじゃなくて、自分に対して包括的な承認を与えてくれる彼女がいないということなんだけれども、そこは彼の同世代でも理解できない人が多い。つまり彼の書き込みの、たとえば「俺はもう一生彼女ができない」とか、「俺、どうせブサイクだから」ということにみんなが共感しているかというと、そういうわけではない。けれど、犯行は許せないが、彼の鬱屈した感情には共感するという若者も一定数、確実にいるわけです。じゃあなんで「非モテ」でこんなに鬱屈していたのかということをだれかが説明しないと、問題の本質が経済の話だけにされてしまうと思います。

問題の本質は経済の話です(キッパリ)。「非モテ」にひきつけてもいいけれど、結局結婚して子供を育てられる家庭の年収などのデータをみれば歴然すぎます。逆にあくまでも加藤容疑者個人の問題とするならばそれこそこういう凶悪な犯罪を犯してしまった彼の脳内の異常でも見るしかないでしょ。


>それは普通に考えて、家族とか共同体が崩壊しているからでしょうね。個人が剥き身で社会と向き合っているから、モテなくても大失敗しても自分を包括的に承認してくれるという存在、拠り所がない。もう少し抽象的に言うと、社会の近代化の結果、家族にしろ結婚にしろ、以前は「縁が切れないもの」だった多くのものが、いまや「縁が切れるもの」に変わっているわけです

抽象的に言っても言わなくても別段大差ないじゃんという冷笑はさておき、分かりやすいところで津山三十人殺しは何なの?あれだって非モテの大量殺人でしょ。近代化とか関係ないから。宗教で包括的に承認してくれるダメリカで大量殺人は頻発しているわけですし。

>それが自己決定と関係しているわけだけど、ここで問題なのは、「縁が切れるもの」からの承認というのは非常に脆弱だということです。彼だって友達もいただろうし、同僚だっていたわけだけど、すべていつ縁が切れるかもしれない、不安定なものだった。そういうものに承認されても意味がなかったわけですね。

東は一体何に承認してもらっているの?そんな承認があろうがなかろうが殺人を犯さない人は犯さないでしょ。

鈴木
>流動性が高まってくるほど、自己責任で自分の人生を選択しないといけなくなるのだけど、それは同時に個人の意思で縁が切れるということでもある。だからこそどこかに「トゥルーエンド」自分の意思ではない、運命によって定められた幸福な結末)があるんじゃないか、と強く願ってしまうんですよね。

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  ,|:::i | (,,゚д゚)||  < ソース出せ。ゴルァ!!
  |::::(ノ 中濃 ||)
  |::::i |..ソ ー ス||
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…トゥルーエンドって言われてもwww(そもそもゲームのトゥルーエンドって幸福な結末とは限らないでしょ、だからこそハッピーエンドはトゥルーエンドの後に用意したりするわけなんですが)。ここではない私、自分探しなんかそれこそ90年代バブル全盛期からさんざんぱらあったことだけど今回の事件と何の関係が???

選択肢の拡大に苦しむ若者たち

鈴木
>若い世代にとって深刻な状況が生まれているということを語るときに、社会科学の言葉ばかり出てくるのはまずいんじゃないかと思うんですよ。たとえばロスジェネが苦しいのはなぜかということを説明しようとすると、統計データを持ち出してきて、「フリーターが200万人」みたいなことを言わないといけない。でも、それって言えば言うほど当の若者の実存の苦しみとは関係のないものになってしまうんですよね。

そこで田中秀臣教授「秋葉原事件に関する論説メモ」待ちですね。さっさと疎外論的言説つまりはこの東×鈴木的なもののいかがわしさを明らかにしていただきたいところ。

フリーターが200万人みたいな統計データがなぜ必要かというと、そういう言説がないと「自己責任」論でお茶を濁されてきちんとした政策がうたれないからでしょ?ココロの問題なら何度でも書きますが

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 失 や 精   |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
 せ る 神  |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
 ろ か 安  |,. '"    /      `ヽ、::::::::::〉
    ら 定  | / /  i ハ ヽ 、   ヽ::/
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     `´ / /7 ハ !ヘ       十::::::::iィ´   ノ

>とくに経済学ですね。近代経済学のロジックは、出発点がバラバラな個人だから、共感の効果について語るのがむずかしい。社会がバラバラになった時代には適合的なんでしょうけど。そういう立場の人からすれば読み込みすぎということになるんでしょうが、僕はこの事件には意外と哲学的な問題が表れていると思うんです。というか、哲学的な問題がすごい具体的なかたちで出てくる、そういう時代の象徴だと思うんです。たとえば存在の遇有性というか、自分はこうであったかもしれない、という問いというのはまさに哲学的な問題です。

要は加藤容疑者の実存が実際にどうだっかはともかく、この問題をつまにしてココロの問題を語りたいんだということでしょ?語るにおちてます。経済学のロジックで好景気になりさえすれば少なくとも新卒採用の問題は解決したという実績はどう踏まえているんだろう?ロスジェネがそれこそ採用試験の中で、おとされるたびに自分のココロの問題として傷を負ったことなんかまるで眼中にないんでしょうね。

>ちょっと前まではふつうの人はそんなことは考えなかった。「俺、サラリーマンになったんだ。こういう人生で、これが俺」ということで確定していた。ところが、いまは選択肢がたくさんあるから、常に「自分の人生は別にあったかもしれない」という思いに苛まれている。加藤容疑者の悩みというのは、じつはそういうところにあったのではないか。

ちょっと前というのが具体的に何年前をさすかによるでしょうね。職業選択の自由が保障されてからというなら、そりゃあそうかもしれません。幼稚園児が将来の夢ということであげる職業と、将来その子が就いた職が一致していることって少なそうですからねってそういうこと?

鈴木
>つまり選択肢が増えて、「自由意志で選べるよ」と言われると、選択の以前に持っていた自分の意思が問われるわけですよね。

だから何?自由意志で選べない時代にはどうして選べないんだと苦悩したのが人権の歴史なんですが。


>自由も拡大してきたし、選択肢も拡大した。そのために昔は哲学的な問題だったものがけっこうリアルに問われるようになってきた。そうすると、それに耐え切れなくてキレる若者が出てくる。この事件の本質は、そういうところにあると思います

これが結論だそうです!いやーさすがは東くん、すごい事件の本質を指摘してくれました。自分で「尊厳の問題、派遣労働の問題、世代の問題、若者文化の問題」など含まれていると言っておいて帰結はこれだそうです( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽ

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154) (角川oneテーマ21 C 154)/後藤 和智

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