理性と感性共生する場を | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

『人々が集まり、人々が流れる。そこで出会いがあり、祭りがあり、体験がある。ときにはそこに孤独の空間を求めて逃避することさえできるのだ。この多様性の中から人々は、自分の価値を選択し、目的を発見する。情報がそこでつくられ、交換され、増殖する。』

 黒川紀賞「ホモ・モーベンス」1969年(著)


2006/07/25 はジブリアニメの視聴率一覧をメモしていますが、先日放映された「時をかける少女」も12.2%とまずまずの視聴率をだしたみたいですね。あと警察ピンボケ自殺要因メモに、久保大氏が書評で大絶賛されていた(今、気付きましたがこの褒めておられる苅部東大教授って丸山真男について著作で冷静な評価をものされていた方ですね♪)メモと。

で、東大繋がり(強引w)として東大新聞2007年6月13日より抜粋

「理性と感性共生する場を」

―建築を志したきっかけは何だったのですか?

>私の親父は建築家でした。私が小学校5年生のとき、日本は終戦を迎えたのですが、そのとき私が住んでいた名古屋は爆撃によって灰になってしまいました。それを目にした親父が私の横で「これから俺たち建築家がまた、人間が住めるような街を作らなくてはならない」と呟いたのです。敗戦により人々が茫然自失している中、その親父の力強い言葉と建築家が街を作るという考え方に私は強い衝撃を受けました。それまで建築家は家やビルは作っても、街を作るものとは思わなかったからです。そのとき私は将来、建築家になろうと決めました。

なんか惚れ惚れしますよね、今や他国の首都を設計しておいでです>< 敗戦時の想いについてはまた別の話を党大会時に語っておられましたのでお楽しみに♪

―東大の大学院に進学されたわけですが

>哲学者として生きることも考えましたが、やはり建築家としての夢も捨てきれませんでした。当時数々の優れた建築を発表し非常に有名だった丹下健三先生がおられます。私は先生に師事したいと思ったのですが、先生の研究史はいっぱいで、先生のもとで勉強するには先生の大学院のゼミに所属する必要がありました。その大学院が東大だったということです

東大だからではなく丹下先生のために選んだって、学歴ロンダリングなんて言葉があるこのご時勢なんと眩しいことか!

>先生がスケッチをして書き損じた紙を屑篭に捨てるや否や、後ろで様子を見ていた学生は、我先にとそのスケッチを奪い合ったものです。みんな先生を尊敬していましたね。

素敵なお話ですね。アニオタが放棄された原画をまんだらけなどで我先にと買い求めるようなものです(←違う)。

―黒川さんは建築をデザインする際、デザインだけでなく背後の思想を大事にしています

>「住宅は住むための機械である」と言ったコルビュジェに代表される近代建築の理念は二元論を土台とする構造主義でした。人間中心主義、西欧中心主義でもあるこの考え方を明治以降の日本は必死に取り入れてきました。ところが、1956年になるとコルビュジェを中心とするCIAMという建築運動が解散してしまったのです。以前から物事を何でも二つに分けようとする二元論的な考え方に反発を感じていた私は、これを機に1958年以降ポスト構造主義を建築に取り入れていきました

1958年!!!筋金入りのポストモダニスト!!!

―東大は学際的研究を進めようとしています。学際的研究をするためにはどのような仕組みが必要ですか

>例えば外国ではエンジンの設計を、技術者と作曲家が手を組んで、車による騒音を心地よい音楽にしようという試みがあります、東大の中でも学部間の提携は進められていますね。しかし、これは昔から言っていることですが、私は例えば東大と芸大が一緒になるといったように、異質な大学間の融合がもっと進むべきだと考えています。

>近代では二元論の下、学問における専門化が進みました。その中で理性と感性は、お互いが別次元のものとして綺麗に区別されてしまいました。ところが、世の中には理性と感性が共生しなければ達成されない課題がたくさんあるわけです。先のエンジン開発がその一例でしょう。

―最後に大学院進学を志す東大の学部生にメッセージをお願いします

>大学での4年間は多くの先生と出会い、そして色々な学問に触れる時間です。学問とは何かを考えるのも良いでしょう。対して大学院というのは「先生に付くところ」だと思います。私が丹下先生に師事しようと決意したように、誰につくかということを一度考えてみてください。その先生が例えば早稲田にいらっしゃるのであれば、早稲田に進学すればよいでしょう。東大にこだわる必要はないのです。自分が付いていきたいと思えるような先生を見つけてください。

>私はこれまで世界中の都市を設計してきましたし、現在も世界各地に居を構えて何十ものプロジェクトを並行して手がけています。来週にはプーチン大統領とお会いしてきます。グローバル化の進行とともに従来支配的であった西欧の思想が疑問視され、新たな共生という思想が広まりつつある現代の大きな時代のうねりの中で、学生の皆さんは自分の座標をしっかりと定めておられるでしょうか。どうも狭い視野にとどまってしまっている学生が多いように思います。世界を股にかけて活躍するのだ、という気概をぜひ持ってもらいたいですね

ハードルが高すぎますw


以下 共生新党ニュース+アニメ感想

関口氏 2億円フェラーリに落書きして!
>同じセレブ候補の建築家、黒川紀章氏(73)=共生新党、東京選挙区=のクルーザーなどに対しては「ちょっとダサイ。あのぐらいのものはいいものではない。私は質のいい物を買っている」とライバル心をのぞかせた。一方、黒川氏は愛艇「ガバナー号」(約6000万円)で約30分間、隅田川などを「気持ちいいね」とクルージング。この日朝に納品されたばかりの英国高級車のアストンマーチン(推定約3000万円)でマリーナまで乗り付けてご満悦だった。(スポニチ 2007年07月21日)

真実のセレブはそんな「持ち物」ごときを他人と比べてごたごたぬかしません><

黒川氏が宮崎でダンスにサッカー、“絶口調”の遊説展開
>各党の党首が分刻みのスケジュールで動き回る中、黒川夫妻は予定を臨機応変?に変更しながら、“気ままな”宮崎遊説を展開した。黒川夫妻は21日に福岡入り。同市内のホテルのツインルームで1泊した2人は、22日午後、空路で宮崎入りした。この日の宮崎は、最高気温36.7度とこの夏一番の暑さ。まず向かったのは同市内の社会人サッカーチームが練習するグランド。黒川氏は背番号「96」のGK用ユニホームで登場した。

>選手らを前に黒川氏は「『96』はクロカワのクロ。永久欠番だね。どお、似合う?」などと胸を張ると突然、「君たちはW杯に行ける! 頑張ろう」と選挙とは全く無縁のエール。グラウンドでは黒川氏によるPKが予定されていたが、「暑いから」(黒川氏)とドタキャンし、次の遊説先となる市の中心街の演説会会場へ向かった。

無縁じゃないです、希望と夢とそして笑いを日本中にプレゼントしてくれているんです。それが分かるからスポーツ紙の記者はこれだけ破格の扱いを黒川夫妻にしてくれているんだとそう思います(もちろん、スポーツ紙の記者だからといった偏見なく接するという黒川氏の人柄による部分は大きいかと思いますが)。

>会場では黒川氏や若尾氏らによる盆踊りが予定されており、やぐらが設営され、和太鼓隊が待機していた。黒川氏ははっぴ姿で、若尾氏は薄ピンクのスーツで登場。和太鼓に合わせて軽快に左右にステップする黒川氏を、若尾氏は手拍子をしながら、笑顔で見守った。しかし、炎天下で約300人もの聴衆に演説を終えた黒川氏は、すでに疲労困憊(こんぱい)。若尾氏も「宮崎はきょうの気候のように、情熱的ですね」と直射日光に目を細めながらコメント。選対の判断で盆踊りは中止となったが、黒川氏は「盆踊りはホテルの個人演説会でやりま~す」と、予定外の演説会を有権者らに宣言し、市内のホテルへ直行した。

私はこの夫婦のやりとりが本当に大好きなんです。フィジカルなものではない精神的繋がりという意味での「愛」の可能性を信じたくなります。

個人演説会で黒川氏は「次の衆院選では政権を取る」。続けて、21日のサッカーW杯で豪州を破った日本代表に刺激を受けたのか「少年サッカーチームを作って、日本代表の選手を出す」などと“絶口調”。結局、盆踊りは披露しなかった。

>また若尾氏は個人演説会で「ひとりのつまらない女として言います。このままでは主人は『徒労のおの』です。みなさまのお力で、主人を当選させてください」と声を震わせて訴えた。この発言について若尾氏は「主人は当選するまで何度でも選挙に出るでしょう。体調も心配だし、今回でなんとか、選挙を終わらせたいと思った」と説明した。(サンスポ 7.23)

。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン黒川氏が・・しないのは既に百も承知の上で思わず心中を吐露したということでしょう。既に本人は衆院選をも視野に入れているし…。

大女優のオーラに聴衆メロメロ!若尾文子氏が明治座前で遊説
>共生新党の比例代表候補で女優の若尾文子氏(73)が24日、都内4カ所で、公示後2度目の単独遊説を行った。普段は同党党首で建築家の夫、黒川紀章氏(73)=東京選挙区=と遊説する若尾氏は“職場”の明治座(東京都中央区)前で第一声。舞台ファンらに、「残りの人生をみなさまにささげたい」などと演説。聴衆は大女優のオーラに圧倒されたようで、握手すると、若尾氏より深々と頭を下げていた

「大女優」なんと似つかわしい言葉か!このオーラに圧倒される気持ちは実際ご本人を目の当たりにして体感済みです、そりゃあ、若尾氏より深々と自然と頭下がります!

>若尾氏が「皆さんがお芝居に入る前にごあいさつさせてください」と訴えながら登場すると、ドドッと60~70歳代のファンらが取り囲んだ。若尾氏は、ボーダーシャツと黒のロングスカート姿。シャツはフランスの高級ブランド「ソニア・リキエル」製(某デパートによると推定5、6万円)で、候補者用のタスキもかけず、「残る人生、最後の時間を、国民が安全で、少しでも生活しやすい国にしようと、夫の黒川と必死に頑張っております」。選挙演説とはほど遠い、優雅さを漂わせた“舞台”に、聴衆は拍手を忘れてうっとり。若尾氏が「なにか質問はございませんか?」と切り出すと、ようやく拍手がわき起こり「もっとしゃべって~」などと歓声が上がった。

「残る人生最後の時間を国民のために」という言葉を綺麗ごとではなくて本当に信じられる、そういう力が言葉にあります。

>明治座職員によると「舞台ファンにとって若尾さんは『好き嫌い』の枠組みを超えた存在」。演説後、若尾氏が握手を求めると、「いえいえ~。とんでもない」と恐縮して頭を下げる聴衆が続出。“勇気ある”1人が携帯カメラで若尾氏を撮影すると、“及び腰”状態で握手を求める聴衆らが列を作った

オーラ浴だけで幸せになれます。

>その後、若尾氏は銀座三越前(中央区)→砂町銀座商店街(江東区)=写真下→伊勢丹新宿店(新宿区)と遊説。これまでは、“女優の命”である肌を日差しからから守るため、日傘を陣営職員に差してもらいながら遊説することが多かったが、この日は自ら差した。

>この日、黒川氏の札幌遊説のため単独遊説となった若尾氏。堂々の演説のようにみえたが「芝居は見たい人が集まってくれる。演説はそうはいかないでしょ。そりゃもう、死にモノ狂いよ」。これまで約50年にわたり、多くの舞台や映画などに出演し続ける大女優は、意外なホンネを漏らした。(サンスポ 7.25)

立て板に水、あるいはお安いお涙芝居とは格が違います。たとえ言葉すくなでも…ってこれは褒めすぎですねw

若尾文子タンに萌え~巣鴨のお年寄りに大人気…突き飛ばされる黒川氏
>いつものように30分以上遅刻した黒川夫妻だが、約300人集まった聴衆は帰らない。2人を乗せた黒いベンツが「とげ抜き地蔵」前に到着すると「キャー」と一気に人波が押し寄せた。おじいちゃん、おばあちゃんたちの目当てはやはり若尾氏。「若いわ~」「きれいね」とたちまち群がった。白いスーツの黒川氏は笑顔で歩いていたが、群衆に突き飛ばされひざをガクッ。「あまり強く押さないでね」と苦笑。あまりの熱気を目の当たりにして「僕の奥さんどこかな~。みんな美人で分からないや」とつぶやいた。

可愛い♪

>演説が始まっても黒川氏が演説している横で若尾氏にサイン待ちの行列ができる始末。若尾氏はマイクを握ることはなかったが、黒川氏が「僕は74歳とちょっとになります。奥さんも74歳です」と年齢を1つ間違えると「ウソよ!」と女優魂で夫を一喝。「え~間違えました。来年70歳になります」と低めに取り繕うと笑顔を取り戻した。

>その後、とげ抜き地蔵まで練り歩いたが若尾氏の周りには常に約100人の人だかりがあったのに対し、黒川氏は後ろでポツリ。一人でまんじゅうを食べながら歩いた。地蔵では3つのさい銭箱に5円、1万円、1000円を2人分ずつ入れるなど男気を見せたが、若尾氏の横顔に「チュッ」とキスを迫るとかわされた

だからこそサインももらえたのですがw

>都知事選でクルーザー遊説を行うなど知名度を上げた黒川氏だが、長く映画界に君臨した若尾氏の国民的人気にはかなわない。関係者によると若尾氏の選挙ポスターは全国から「張らせて」とオファーが殺到。17日に1万5000枚が追加で入ったが、この日午前にはゼロに。黒川氏も「奥さんの方が永田町に近いと言われるけど、本当だなあ」と認めざるを得なかった。この日のフィーバーが終わった後、感極まって泣き出す70代男性も。「若尾さんを見られてよかった。もう死んでもいい」と目頭を押さえていた。(2007年7月19日 スポーツ報知)

・・・・・・・・(涙)

黒川&若尾氏、今度は“人力車”遊説
>共生新党の黒川紀章氏(73)=東京選挙区=が23日、妻の若尾文子氏(73)=比例代表=とともに宮崎市・青島で“人力車”遊説を行った。これまでクルーザー、ヘリコプターなどで遊説を行ってきた黒川氏だが、人力車は初めて。

>人力車に揺られ、青島海水浴場にたどり着いた2人は「あら、きれいな海ね」(若尾氏)と感激した様子。2人で人力車に乗るのも初めて。若尾氏は「撮影時代を思い出して、懐かしい」。黒川氏も「ドラマの主演のようでいいね」とご機嫌。宮崎県の東国原英夫知事と面会予定だったが、知事の公務のためキャンセルに。若尾氏は「本当に会いたかった」と残念そう。東国原知事も「今は参院選中。選挙後、ご意見を交換できたら」と話した。(2007年7月24日 スポーツ報知)

どぶ板選挙を否定した黒川氏なんですから、どぶ板やる必要ないと思います。専門家をその発想力を必要と国民が感じたら自ずと結果も伴われるはず…なんですけどねorz

若尾文子氏が政策披露「役者育てる公的機関を」
>建築家の黒川紀章氏(73)=共生新党・東京選挙区=の妻で女優の若尾文子氏(73)=比例代表=が25日、これまでベールに包まれていた「文子プラン」の一端を披露した。

>出馬後、初めて具体性のある政策を披露した。それは、当選後、後進育成のために女優や役者を育てる公的機関の構築を、国会で訴えていくというもの。「昔から思っていた。選挙だからではない。お金をかけずにやれたらいいと思う」。大女優は考えを明かした。

>夫の紀章氏は、スポーツ文化の醸成に意欲的だが、若尾氏は文化や芸術を担当する。「(公的機関がないことを)昔から不満に思っていた。自分からやれればと思う」。いつもは政治について多くを語らない若尾氏の口調が、珍しく熱を帯びた。 この日は東京・町屋、北千住、新小岩、船橋などを回り「あとはやるしかない!」と気合をみせた。26日は「いつ行ったか覚えていないくらい久しぶり」に母校のある宮城・仙台市を訪れ、夫と一緒に街頭演説する。(2007年7月26日 スポーツ報知)

共生新党の小選挙区立候補者がいる選挙区や大票田を自然と夫婦で回った結果芽がでてきたのは・・・と。



「らき☆すた」第16話

なんかここまで暴走されると微妙。普通に親子・家族ネタの前半は楽しめたのに…毎度毎度アニメイトや京アニネタ、しかも今回なんてもろだしは食傷気味。


「桃華月譚」第17話

さっぱりわかりません><