こ、これが、脱力だッ…!
想像を越えておりました。ええ、ABO FANさんのことです。
前回のエントリ でも触れたように、TAKESANさんのところの掲示板 で、ABO FANさんは以下のようにおっしゃっておりました。
> ・能見さんの説については、現状ではそれを正しいとする科学的な根拠はない。で、このトンデモない言明に対し、なんとか通常のロジックで理解できないかと以下のように仮説を提示したわけですが。
統計的なことだけなら、正しいと断言していいと思います。
これが真であるためには、次のように解釈するしかなさそうです。「バイアスのかかったサンプルを集めれば、そのサンプルに対しては血液型と性格の間には相関があるというのは正しい」、と。これだと、科学的ではないが、統計的には正しいということになります。無論、バイアスのかかったサンプルを使うという前提の下で、統計的に正しい、という意味ですが。ところがところが。
今回の掲示板でのABO FANさんのレスで、見るようにと言われたABO FANさんのウェブページ 、開いてビックリ。こんなことが書いてあります。
《私の主張》私の主張は実に単純です!
- 心理学には、「血液型と性格に関係がある」というデータやロジックがある
- しかし、否定論者は、これらのデータやロジックをすべて否定している
- 私は、この否定論に反論し否定している
- 従って、血液型と性格は関係がある
〔ご注意〕心理学的に「血液型と性格に関係がある」といっても、まだ科学的な根拠は発見されてはいません! 単に統計的に相関や有意差があるという意味です。
もう一度書きます。
〔ご注意〕心理学的に「血液型と性格に関係がある」といっても、まだ科学的な根拠は発見されてはいません! 単に統計的に相関や有意差があるという意味です。
…えーと。(^^;;;;
こんなこと書いてありましたっけ?リニューアル、と言ってるから、私が見た時にはなかったかな?見落としてただけ?こんな衝撃的な事をもし見落としてたら、私の目は節穴だわ。上の4点は記憶にあるんですけどね。
前半の4点に関しては、もうあちこちでふれられていた(と思う)ので割愛しますが、結局、今までも指摘されていた、「帰無仮説の意味をわかっていない」ということに帰着しちゃいますね。程度問題がわかっていない、ということもあるのですが、帰無仮説がわかっていないということは程度問題もわかっていないということになるので。
もう一つは有意な差があるというだけでは意味のある言明にはならん、ということですね。当然、安定した差が常になければ意味のある「差」とは言えないわけだし(たとえば松井豊[1991]では有意差のある項目があったわけですが、年によって結果が違った、つまり安定していなかったので意味があるとは言えないということになった)、なにより5%有意水準だったら(大雑把に言えば)20回に1回は偶然に有意差が出るということなわけで、有意差が出たと言うだけでは意味のある言明にはならない。
たぶん、有意差が出た項目があるにもかかわらず「関係があるとは言えない」と心理学者が言うので「心理学者は否定している」とABO FANさんは言うのでしょうけど、当然ながら心理学者は有意差が出たデータや有意差を導いたロジックは否定しないでしょう(よっぽど杜撰だったら別ですけど)。そうではなくて、その上でその有意差にどんな意味があるのかを考え(考察・議論)、結局、意味のある差とは言えない、あるいはもしかしたら意味があるかもしれないが、現状ではまだあると言いきれるほどではない、今後の調査が必要、ということになるわけですね。
それをもってABO FANさんは「否定」と取るのですから、これはもう「関係があるとは言えない」=「関係がまったくない」とABO FANさんは(真意はどうあれ)主張している。つまり統計学の計算はできるけど、その意味は根本から理解していない、ということになるわけです。
…あ~、この最後のところ、かなり最近もTAKESANさんが書いてたよなあ。うーん、もうちょっとABO FAN氏のロジックをクリアにできるかなと思ったんだけど、ダメだわ。前に進めなかった。個別のところでも論理が無茶苦茶というのはわかったけど。
念のために書いておくと、私はABO FANさんを説得しようなんていう大それたことは微塵も考えていなくて、氏の論理の全体像をせめてもう少し理解したかったのですよね。
うーむ、割愛するとか言っときながら、長々と書いてしまった。(^^;;
で、問題は次である。
また引用します。←しつこい
〔ご注意〕心理学的に「血液型と性格に関係がある」といっても、まだ科学的な根拠は発見されてはいません! 単に統計的に相関や有意差があるという意味です。
…どういう意味なんだろう。本気で理解できん。(^^;;
結局、有意差の出たデータがある(「統計的に相関や有意差がある」)、だけどそれは意味のあるデータにはなっていない(「科学的な根拠は発見されてはいません」)なのかな。それとも、「科学的な根拠ってのは生理学的なメカニズムの話なのか。違うよね、いくらなんでも。
うーん、これが「統計的に有意差教」の御本尊なのか…。
繰り返しますが、通常は(というか学問的にちゃんとした研究ならば)、有意差があるだけではダメで、意味のある有意差かどうかを吟味しないといけない。それをクリアしてはじめて関係があると認められる。それが科学的ということだ。
ちったあABO FANさんの理解を深められると思ったのだが、大間違いであった。大いなる脱力。
このページ、他にもツッコミどころ満載なのだけれど、やめておこう。(^^;;
ちなみにもう一つわからないのは、掲示板の方でも議論しているのですが、血液型性格判断を肯定するにはどう考えても不利な材料を自分から持ち出す、ということ。通常、心理学における調査では、自己申告された性格と血液型を比べるわけですが、自己申告は正しいと思って解析するわけです。ところがABO FANさんは、私がそこについては何も言っていないにも関わらず、自分から自己申告が正しいとは限らないという話をしだす。しかも行動を直接観察すればいいのではないかと思っている、などと提案までするわけです。
で、自己申告が正しくないとするならば調査で出てきた血液型と性格の相関に意味がなくなっちゃいますよね?と質問すると、自己申告が無意味だとするのは性格心理学をわかってないだの無意味だとする根拠を示せだの、なんなんだその理不尽な言い草は?と来る。
想像するに、二点。一つは「このままでは肯定するロジックが崩壊する」と気づいて慌ててキレたように見せかけた。でも多分違うだろうな。もう一つの可能性は、相手が否定論者だと思ったら、とにかく相手の言うことの断片を否定しようとする行動に出ること。こっちの方がありそうな気がする。
もう一つの例は、性格というものをどう捉えるか、で、性格自体が安定したものではないかもしれない、という話を持ち出す(これはあるのかもしれないと私は思っていますが、何かを語れるほどの材料は持っていない)。性格が定義できないのであれば、そもそも血液型性格判断なんて無意味じゃん、と皆さん思うわけですが、ABO FANさんはそうは考えないらしい。これも、否定論者の言う事を否定したいという欲求の行動だと思えば、解釈は可能。
というわけで、否定していると見せかけつつ、肯定するような文章を書いていけば、ABO FANさんは全力でそれを否定しにかかるのではないか、と予想します。誰かやってみません?