『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その4 (『Hado』9月号)(追記あり) | ほたるいかの書きつけ

『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その4 (『Hado』9月号)(追記あり)

(追記)下記の文章に出てくる「クリエイター」は、どうやら「神」や「サムシング・グレイト」と同列の意味で解釈すべきもののようだ。詳細はこの次のエントリ を御覧ください。

 つづき。

(6)人間関係の調和もそれぞれの音の調和から

 まず最初の文。「エネルギーは振動で、振動は音を出します。だから、この世の中は音であふれています。」いきなり間違い。振動はエネルギーを持つが、エネルギーが振動とは限らない。まあそういうと、このヒトは量子力学が云々というまたトンチンカンな言い訳をするんだろうけど。それから、音というのは振動のうちのある特殊なクラス(広い範囲にわたって存在はするけど)なので、振動が音とは限らない。真空中を電磁波という電磁場の「振動」は進むことができるけれど、真空中では音は発生しないですからね。
 この後「ドレミファソラシド~♪」などと唄っちゃうのだが、そのあと「つまりエネルギーは、この音の中にすべて含まれているということです。」とまたまた暴論を吐く。

 さらに「音が高くなればなるほど、質量は小さくなります。」ってわけわからん。その例として、こう言う:「たとえば、弦楽器は質量の高い方から、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスといった関係になっており、これを『ロー オブ シュミラリティー・相似象』といいます。したがって、私たちの身体は『ミクロコスモス』といわれています。」と言うのだが、ここまで支離滅裂な文章ってそうお目にかかれないと思う。まず、「質量の高い方から」は、きっと「音の高い方から」並べると、質量の小さい楽器から並ぶと言いたいのだろうと思うけど、違うのだろうか。そうですよね、きっと。この雑誌、校正もちゃんとやってないんじゃないかな。江本の言うことは御託宣のごとくそのまま受け取るんだろうか。
 って挙げ足取りはおいといて。低音の楽器がなんでデカイか江本は知らんのかね?低音は低周波だから波長が長く、よって楽器のサイズをデカくするしかない(楽器を構成する物質を伝わる音波の音速が遅くなるような材質を採用してもいいのだけど)。それよりも、江本の好きな「量子力学」(≠「物理学における量子力学」なのはおさえておくべきではあるが)では、高周波の方がエネルギーが高い、つまり質量が大きい(E=mc^2)なのだけど。逆だよ。
 「シュミラリティー」は「シミラリティー(similarity)」の間違いかな。普通、相似「則」と訳すと思うけど。で、この例のどのあたりがシミラリティーを表しているのだろうか。さっぱり理解できん。
 そして、何がどうしたら「したがって」なのだろう。この文章のどこにミクロコスモスを示唆する内容が書かれていたのだ?妄想炸裂としか言いようがない。

 先に進もう(なかなか進めないが)。「♪ドレミファソラシド♪を、同時に鳴らすと、宇宙の音になります。」知らなかった!「これではわかりにくいので、半音を入れて細かくしてみましょう。さらに細かく分けることができます。」確かに細かくはわけてるけど、それで?ますますわかりにくくなったような。
 「日本ではこの1オクターブに含まれる音の種類を、800万としています。つまり日本の古神道の教えで『八百万(やおよろず)の神』というのは、この音のことなのです。」し、知らなかった!!800万の音の種類って何?日本で生まれソレナリに長く生きてきたけど、そんな話は知らなかった!誰がどこで言ってるのでしょうか?で、八百万の神ってのが音だってのもすげえ!

 ここから先は音楽関係の方は要注目である。
 そして、音には仲の良いものと良くないものがあります。仲の良い「ド、ミ、ソ」は、きれいな和音となって心地良く、仲の悪い音「ド ド」は和音しません。これが問題です。これが争いのもとになっているのです。
 私は世界中歩いて、1つのことを発見しました。
 どこの国でも、嫁と姑は仲が悪いものです(爆笑)。人と人が近くにいて、考えが違うと、違う音を出し合っていることになるからです。この2つは共鳴しませんから、フラストレーションを起こします。
…ツッコミどころ満載である。順番に行こう。
 江本さん、「和音」って何か御存知?「きれいな和音」(しかしこのヒト「きれいな」が好きだね)だけで良い音楽が作れると思う?いま話題(かどうか知らないが)のマーティ・フリードマンなんて、その昔「カコフォニー」なんてバンドやってたんだよ(脱線が過ぎたか^^;;)。それに「ド ド」ってどういうつもりで書いたのかわからないけど、「和音しません」ってどういうことだろう?それに比喩的な表現で言うならば、「争いのもと」があるからこそ、楽曲というのは展開し響くのではないのだろうか。こんな安直な音楽理論を披露しちゃって困ったね全く。
 それに、どういう和音が心地良いかってのは、それこそ文化で決まるもんですよね。いまの日本で短調が「暗い」とされるのは、西洋音楽が入ってきたここ100年ぐらいの話で、それ以前は、民謡に代表される短調の曲で、みんな盛り上がってたわけだから(という理解で正しいですよね?)。ここは文化相対主義の立場からも徹底的に批判すべき部分ですぞ。
 そして、最後の部分、これは恐ろしいですよ。この社会では、違う考えを持っちゃいけないみたいだ。違う考えを持った人々が、互いを認め合って、批判すべきところは相互に批判しつつ、協力して生きていくのが民主主義じゃないのか?これ、船井系に典型的なのだが(京セラの稲盛なども凄いようだが)、意図してかどうかはともかく、現状への不満は持っちゃいけない、というイデオロギーなんですよねえ。うまくいかないのは何でも自分のせい、会社と違う考えを持っちゃいけない、そんなのは争いのもと、と。かなり危険な思想だと思うのだけど。

 この後の段落では、「このような(440と442ヘルツの組み合わせ)では、クリエーターは何も作ることはできません。だからクリエーターは、仲の良い音の組み合わせだけで、いろいろなものをつくってきました。」と述べているのだが、これって「クリエーター」に失礼だよねえ。

 そして危険度はますますアップする。
 太陽からは、惜しみなく情報が送られてきます。たとえば、アルファベット。この音の共鳴する音同士を組み合わせることのできるクリエーターは、アルファベットでいろいろなものをつくりました。
 そして、振動の伝達がもっともすばらしいかたちで伝わる海で、生命をつくりました。そしてだんだん複雑な生命が生まれていきました。
 最終的につくられたのが人間で、美しく、カッコよくできあがりました。(江本会長の写真に会場は大爆笑!)
(略)
 ですから、人間の設計図を見ることができたら、いかに美しい言葉がいっぱい詰まっているか、想像できます。
アルファベットが太陽から送られてくるっていったい何なんだ。これ、講演聞いてた人(と、『Hado』の読者と、編集者)は変に思わないわけ?アルファベットの音の共鳴する音同士ってどういうこと?日本語の単語が並んでいるはずなんだけど、完全に理解不能な文章だ。

 言葉の乱れは、私たちの精神を乱し、身体を乱し、社会を乱し、国を乱し、世界を乱し、宇宙を乱していきます。
 (略)
 今の世の中、言葉が非常に乱れていて、危機感をもっておられる方も多いかと思います。しかしこれを是正するのは、それほど難しいことではありません。
 親や先生が、子どもたちに美しい言葉を使うように教えていくことによって、すばらしい地球を取り戻すことができるでしょう。
江本さん、あなたの支離滅裂な言葉によって、私の頭が大混乱なんですけど。
 親や先生が子どもたちに「美しい」言葉を教えるのが大事なのは良いのだけど(なにが「美しい」かは措いといて)、それはより良いコミュニケーション(広い意味で)のためであって、それがあって初めて地球が云々と言えるはずなのだ。これは「水伝」そのものの思想と同じなのだが、「言葉」が一足飛びに物質に影響を与えてしまうというものだから、こんなとんでもない飛躍が入り込んでくる。

(7)カラオケタイム
 ここで、江本がイキナリ歌い出すのだなあ…。ドレミの唄も歌ったらしい。ドレミが歌えれば、何でも創ることができる、って、比喩と現実がごっちゃになってる。「神様が私たちに与えてくれた、ものすごい才能なのですね。」いやそうじゃないだろう。そうじゃないという意味は、歌が直接なにかを作るんじゃなくて、歌によって心が揺さぶられ、それが私たちの思想や行動に反映される、そういう高度な精神活動がものすごい才能だろう(誰が作ったかは別にして)。なんというか、何度も言うけど、自然観がホント薄っぺらいんですよねえ。

 で、ここで音楽を聴かせた蒸留水の結晶を紹介していく。「ドイツに敬意を表し『ベートーベン』。でも水は『ベートーベンよりもマリア・カラスの方が好きよ』と言っています(笑)。」…絶句。「写真を見ずに見せます。マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン……。水は、美しい女性が好きなようです。私と同じですね(爆笑)。」ひどいよね。外見の「美しさ」(あくまでもカッコつきで)で、結晶の形が決まる、つまり善悪が決まると言ってるんだよね。これは「水伝」が批判されなければならない要素の本質的な一つであるけれど、外見の美醜で善悪が決まるということを江本勝という人は言ってるんですよね。「子どもたちがいい言葉を使うようになればいいじゃない」なんてのんきなことを言っていていいんですか?その延長線上には、こういう思想があるんですよ。

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というわけで、ようやくあと1ページを残すところまでやってきた。次回でこの記事についての連載は終わるかな。