SLってそんなに素敵なの? | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 先日テレビを見ていたら、インドの鉄道事情を放映しいました。一車両に600人以上乗っており、通路に寝てりる人がいたり、天井の網棚に登って横たわっている人がいたり、汽車の屋根に乗ったり、サンフランシスコのケーブルカー並みに車両にぶら下っている人たちの映像が映し出されていました。


 また昔の話になって申し訳ないのですが、かっての日本の鉄道事情を見てるようでした。


 1960年代以前は日本の幹線で電化されているのは東海道本線くらいで、他は蒸気機関車(SL)かディーゼル車が走ってました。私の大学生時代、故郷の札幌から東京まで走っていたのは真っ黒いC62の蒸気機関車だったと思います。正月と夏休みは札幌に帰っていたので、どうしても汽車に乗る必要がありました。

                 <写真はウィキペディアより>
C62

  <サンフランシスコに旅行した際に撮ったケーブルカー>

SF
 結構、当時の汽車は混むのです。ある時、夏休みが終わるぎりぎりになって、汽車に乗りました。一等車に乗る分際でもないので、二等車でしたが、座席指定も取れずに乗ってしまいました。


 津軽海峡は青函連絡船で、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」のように哀愁がある訳でもないし、4時間も乗り換えに掛かり、札幌~東京間は急行で24時もかかったのです。


 夏は窓を開けっぱなしにするので、トンネルに入ると煙が車内に充満し、札幌を発つ時に着ていた白いワイシャツが東京に付く頃には煤で灰色になっていました。SLなんてとんでもない代物と呪ったのもです。ですから私にとっては世界中のSLブームなんて単なるアナクロニズムの何物でもないのです。


 終戦後は乗客が窓から乗り降りしたり、網棚に寝る者などいました。私は座席指定もなく24時間立っていなければならず、深夜になって車内が寝静まった頃に、固い通路に新聞紙を敷いて横になり寝た記憶があります。まさにインドの車内風景そのもので、懐かしくなりました。


 今は新幹線が走り、世の中の進歩は物凄いスピードで進んでいますよね。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ