$遠い夏に想いを-message02
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2012-02-21 00:01:00

田園交響曲 - 063

テーマ:オーストリア

遠い夏に想いを-ベンチのノッコ  さらさら、ちょろちょろと流れる本当に小さなシュライバー川でベートーベンはひと休み。散歩しては立ち止まり、歩いてはエルムの木陰で腰を下ろし、木々の小枝に目をやり、ほほじろやナイチンゲールやカッコーなどの小鳥の声やリスの葉音に耳を傾け、小川に沿って歩くベートーベンの姿を思い浮かべながら歩いた。現在のハイリゲンシュタットには当時の面影はない。耳を澄ますと田園交響曲が聞こえてくるような想像の世界を歩くしかない。


 小川づたいに歩いた。1863年に立てられたベートーヴェンの胸像のあるところまで来ると、車の音がひきりなしに聞こえてくる。これ以上進んでも、現実の世界に引き戻されるので、ここから引き返すことにする。森は深い緑に覆われ、ちらちらと陽の光が木漏れ日のように揺らめく。観光シーズンが過ぎているのか、こんなところへ来る観光客は誰一人としていない。時たま犬を連れて散歩を楽しんでいる地元のご婦人にすれ違うだけだ。


遠い夏に想いを-胸像
 ヴィヴァルディの弦楽合奏曲「四季」は春・夏・秋・冬の一年を音楽で表現しているが、第6交響曲「田園」はハイリゲンシュタットの情景を、自然の変化に合わせて、音楽で表している。


 ここはベートーヴェンが散歩したということ以外に何一つない。抽象的世界というか、音楽を想像すしかない。


 田園交響曲の第一楽章には「田舎に着いたときのうきうきした印象」と説明があり、明るく牧歌的な曲想が流れ、第一ヴァイオリンがうきうきした気持を表していて、これがオーボエに引き継がれ、そしてオーケストラ全体に響き渡る。


 第二楽章には、「小川の情景」としか標題がついていないが、この小川がまぎれもなくシュライバー川の情景であろう。しかし、曲が示すイメージとは大分異なる。小川の情景(SCENE OF BROOK)というと小川そのものの情景を想像するが、いや小川も含めて、もっと大きなハイリゲンシュタットの森全体の情景を表しているのかもしれない。そう解釈しないと、この雄大な抒情詩に溢れる曲を理解できなくなる。


 第三楽章には「田舎の楽しい集い」と説明があり、人付き合いが悪く、気難しいベートーべがこの地区の村人や楽人と楽しくやっていたのが可笑しい。地元の古い民謡や舞曲などが織り込まれている。3拍子の心の弾む楽章で、踊りたくなってくる。


 第4楽章には「雷雨と嵐」とあり、第五楽章には「嵐が過ぎ去った感謝の気持と牧童の賛歌」とあり、牧歌的な曲で締めくくられている。この牧歌的な平和な曲が有名な交響曲第五番(日本では「運命」)と同じ時期(1807年~1808年)に作曲されたとは信じがたい。


 当時の絵に描かれたハイリゲンシュタットの風景とはすっかり変わってしまった。東京でも武蔵野の森が200年前の面影を失ってしまったのと同じだろう。余りにも天気が良すぎて、爽やかで人がいないと、かえって、ふと一瞬、哀愁のようなものさえ感じる。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

2012-02-18 00:01:00

「ベートーベン研究」 - 062

テーマ:オーストリア

 ハイリゲンシュタット駅はまだ工事中だった。改装工事なのだろうか。駅前に出ると、直ぐにバス乗り場がある。並木があって、バスを待っている人達が溢れている。ここには市電があり、電車で行こうと思うのだが、市電の線路が見つからない。バスの運転手に聞くのだが、英語は全然通じない。英語が通じないといえば、フィレンツェの空港のバスの運転手を思い出す。イタリア語しか通じなかった。ここでも仕方がないので、地図と睨めっこで、更に先へ進んだ。すると電車の通りが現れた。


 最初の電車はD停留所までは行かないので一台待った。次の電車に乗って終点のD停留所で降りる。直ぐにベートーヴェンの散歩道、ベートーヴェンガングに出た。


遠い夏に想いを-標識1
 左手に小川が流れ、その土手に張られている金網のフェンスが雰囲気を損なう。この小道は緩やかな上り坂で、急ぎ足で歩くと今日のような陽気では汗ばむ。ベートーヴェンも同じように歩いていたのだろう。小道の右手は住宅地になっていてポツンポツンと洒落た一戸建てが建っている。
「こんな処に住めたらいいのにね」
ノッコが溜め息をもらす。アメリカでもイギリスでも同じ言葉をもらして、溜め息をついていたっけ。


遠い夏に想いを-小川
 多分、ここを歩きながら、ベートーヴェンは田園交響曲のインスピレーションを得ていたのだろうか。ノッコの好きな音楽家はベートーヴェンとバッハだ。それに引き換え、チェロの曲を一つも残していない(多分、書いたのだけれども弾ける状態で残っていないといった方が正確だろう)モーツアルトに対しては私ほどには関心がない。


 大学の仏文の卒論にロマンロランは当時として順当だったのだが、音楽大学ではないのでベートーヴェンとなると、担当の仏文の教授も専門外で困ったらしい。結局、他の学部のピアノが非常に上手で音楽の解る教授に見て貰ったらしい。


遠い夏に想いを-ロラン
 今、ロマン・ロランの「ベートーベン研究」を読むと、若い時のようには夢中になれない。歳を取るとは感性を削り落としながら、現実的になっていくことだと思う。それに、これは小説ではない。彼の言わんとしている本題は本の30%にもならない。何故ならロランが美辞麗句が多い自分の言葉に酔いしれているとしか思えないからだ。若い時には決してそうは考えなかったと思う。歳は取りたくないですね。


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2012-02-15 00:01:00

ハイリゲンシュタット - 061

テーマ:オーストリア

 一ヶ月は違うが、10月の中旬にモーツアルトの父、レオポルドがウイーンに家族でやってきて、『太陽がどこから上がるのかまだよく判らない』と歎くが、秋のウイーンは曇りや雨の日が多くて、まさに何時陽が上がるのか判らないこともある。


 今日はウイーン最後の日となり、朝から晴れ上がって青空が広がっている。全く運がよかったようだ。出発が20時55分だから、今日は一日使える。朝食を一階のレストランでとって、準備が出来たところで、出掛けることにする。ホテルで支払いを済ませ、手荷物をホテルに預けて外へ出た。


 今日はハイリゲンシュタットに出掛ける。ハイリゲンシュタットは、妻のノッコが『今度ウイーンへ行ったら絶対に行く』と言っていたから、何がなんでも行かなければならない。ハイリゲンシュタットはウィーン市内の北西に広がる広大な森で、地下鉄で20分ほど乗ると駅に着く。


遠い夏に想いを-K.プラッツ駅舎
 カール・プラッツ駅から地下鉄にのる。この駅は外観が素晴らしい。オットー・ヴァグナーが1901年に作った装飾的な駅舎である。駅としては余りにも華麗である。前に紹介した郵便貯金会館を10年後に作っているが、全く装飾を廃した建物になっていて、現代建築の先駆けになっている。


 べ-トーベンに話を戻そう。ノッコはベートーベン派だ。第一、大学の卒論もロマン・ロランであり、彼のベートーベン論についてだから、私のように、何となくモーツアルトが好きだと言うのとわけが違う。フランス文学者の故片山俊彦氏のお嬢さんとは女子中学代の親友でもある。


 私はロマン・ロランは「ジャン・クリストフ」や「魅せらたる魂」など、高校時代に夢中になって読んだが、「ベートーベン論」は読んでいない。


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      ナナイロさんいつも有難うございます。

      Happy St.Valentine to you!

2012-02-12 00:01:00

カプチーナ教会 - 060

テーマ:オーストリア

 ミヒャエル広場を通った。広場の隅では若い男の子が一人でヴァイオリンを弾いていた。道路に置かれた帽子には小銭が一・二枚入っているだけだ。彼の弾くアイネ・クライネの音色が遠くまで何か物悲しく聞こえる。(下の写真の塔はミヒャル教会)


遠い夏に想いを-ミハエル教会
 ホテルに戻る前にノイアー・マルクト広場の南のはずれにあって、ホテルとは向かいにあるカプチーナ教会に寄ってみる。1632年に建てられたこの小さな礼拝堂は1633年からハプスブルグ家の墓所となっている。王家の墓所としては質素である。ここの埋葬方法がちょっと変わっている。皇帝の心臓はアウグスティナー教会に、内臓はシュテファン聖堂に葬られ、ここには棺があるだけという。


遠い夏に想いを-カチーナ教会
 堂内はひんやりとして、薄暗く、厳粛な趣である。地下の墓所にはマリア・テレジアとフランツ・シュテファン皇帝の大きな棺がある。


 今夜はウィーン最後の夜だ。少しはましな料理を食べようと、レスラン・ミューラーバイスルで食事をすることにする。


遠い夏に想いを-ミューラー食堂
 ケルントナー通りを国立歌劇場の方に歩き、エステルハージー宮を左に折れて2ブロックほど行くと、ザイラーシュテッツ通りに出る。レストランはこの通りにある。音楽学生が来るという庶民派のレストランだが、日本人学生が2組ほど見える。質素なレストランで、料理も残念ながら美味しくはなかった。


 帰りはぶらぶらと腹ごなしに散策。ホテルがあるノイアー・マルクト広場の東側の道にフラウエンフバーというカフェがあり、何か表示版みたいなのが壁にある。


遠い夏に想いを-レストラン
 近寄ってみると「1788年、マリア・テレジア皇后のお抱え料理人だったフランツ・ヤーンが、いわゆるフランス風レストランのような、高級レストランを当地に開いた。 此処では有名な演奏会が(多く)催された。1788年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが此処でヘンデルのパストラ-ルを上演し、1797年にルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンがピアノと4本の管楽器(木管)のための五重奏曲を演奏している(初演)」と書かれてあった。


遠い夏に想いを-プレート  モーツアルトやベートーベンもこんなレストランで演奏したんだ、と思うと不思議な感じになった。


 ウィーンには音楽家のプレートがいたるところに掲げらている。変わったところでは、ヴィヴァルディについての表示版も見かけた。ヴィヴァルディは演奏旅行でヨーロッパ各国を廻りながら、ウィーンに来て、かなり貧乏であったらしく、ウィーンで亡くなっている。


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2012-02-08 00:01:00

ベレ-帽 - 059

テーマ:オーストリア

 ドイツ・オーストリア・スイス風のケーキについて思い出すのが、東京でもウィーン風のケーキ専門の喫茶店が、渋谷の東急本店前に1軒あった。店は移転したのか現在そこにないが、よく通ったものだ。


 古い昔話になるが、私の父は戦前菓子店を営む菓子職人だった。工場では無塩バターの樽が山のように積まれてあった。戦後暫らくして、日本でもザッハトルテが一時期流行ったが、どうしてもぎゅっと詰まったケーキとはほど遠かった。そのうち生クリーム全盛の時代がやってくる。


 先日、銀座のヤマハに行った帰りに、不二家の店に寄ってみた。看板娘のペコちゃんが妻のノッコの少女時代の愛称なので、懐かしくなり2階の喫茶室に行った。選んだケーキはファンシー・・・・何とかって、名前につられて取ってみた。出されたケーキは8割かた生クリームで甘ったるくて食べられない。時代が変わったと実感したひと時だった。


 さて話を戻すと、私たちは国立歌劇場の方角に歩いていた。すると、小さな帽子屋が目に留まった。
「入ってみようよ」
ノッコが珍しく帽子屋に興味を示した。どんな帽子もノッコには似合わない。えらが張って、首が短いので帽子が似合わない。つばの大きいのも小さいのも駄目だ。強いて被るならばベレー帽くらいである。ミュンヘンでコートを買った時に、ベレー帽に近い形の帽子を買って被っていた。


遠い夏に想いを-ベレー帽
 ドアを押すとチャリンと音のする薄暗い小さな店の中に入った。まるでジブリのアニメの世界かと疑うほどだった。太った中年の女性が出てきて、優しく応対してくれた。あれこれとベレー帽を出してきて説明してくれる。ベレー帽はみな同じ形かと思ったが、それぞれ微妙に異なる。あれこれ試着して、えんじと濃紺のを二つ買って店を出た。


 その後全くこのベレー帽は忘れさられて、箪笥の奥にしまわれたままだ。ヨーロッパでは妙齢のご婦人がベレー帽を被って通りを散策している洒落た姿を見かける。
「日本じゃ変なおばさんにしか見えないから」と言って被らない。
確かにべレ-帽なんて被っている女性は見かけない。相変わらず、タンスの肥やしになり続けるだろう。


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2012-02-04 00:01:00

カフェ・ツェントラール - 058

テーマ:オーストリア

 昼から、アム・ホーフ界隈に出かけてみる。アム・ホーフ広場の一角にアム・ホーフ教会が建っている。アム・ホーフ広場はウィーンの最も古い地域で1156年にバーベンベルグ家のハインリッヒ2世と言う人が城塞を築いた跡らしい。ウィーン発祥の地といわれているらしい。


遠い夏に想いを-アム・ホーフ
 疲れたのでカフェでコーヒーを飲むことにする。ウィーンには多くのカフェの有名店があり、有名な音楽家、芸術家、政治家、文人などが通っていたという。この辺りにはカフェ・ツェントラールがあるはずだ。


遠い夏に想いを-パレ・フェルステル  方向が判らなくなってしまった。近くにパレ・フェルステルという洒落たアーケードがあり、その中を歩いて捜す。その先の小路側にはツェントラールという店があるが、どうもレストランで喫茶はやっていそうもない。小路を通って角まで行くと、そこにカフェ・ツェントラールがあった。








遠い夏に想いを-Central
遠い夏に想いを-人形  入り口はモダンな造りになっており、ウイーンという感じではない。中に入ると、入り口に老人の人形がテーブルに座っている。これは実在の常連客を人形にしたらしい。これがこの店の看板人形なのだ。この建物が出来たのが1886年というから120年くらい経っている。


 天井が一段と高く、装飾も質素で、ガランとしている。店の中ほどにテーブルが一つ空いていた。若い学生が多くて、店内は結構賑やかだ。メランジュを頼んだ。ケーキはウィーン風で生クリームなどではなく、バタークリームの素晴らしい味わいあるケーキだ。コーヒの味は国立歌劇場の近くのティラーロフの方かいい。その上、我々年配者にはティラーロフの方が落着く。


遠い夏に想いを-店内
 この店はフロイト、シュニツラーなどの文人が多く来たらしい。音楽家を懐かしむには国立歌劇場とか楽友協会ホールなどの近くの店に行かなければ駄目だ。


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2012-01-31 00:01:00

ベルヴェデーレ庭園 - 057

テーマ:オーストリア

 ベルヴェデーレ宮殿は傾斜地になっている庭園の一番高い所に立っている。ここから望むと遠くに街が広がり、シュテファンの塔が一段と高く聳えている。街の景色と庭園の景観は少しも変わっていなかった。宮殿にはクリムトの絵が展示されているが、今日は月曜日で閉まっている。七二年に来たときも月曜日だったのではないかと思う。今日も庭には殆ど人がいない。庭はフランス様式で出来ており、木は殆どないので、日差し強くなるとたまらない。


遠い夏に想いを-ベルヴェデーレ
 ベルヴェデーレは1723年に建てられたゴシック様式の宮殿である。大きすぎず、小さすぎずの宮殿は、白く輝き大変に美しい。シェーンブルン宮殿のほうが1713年と10年ばかり建築の完成が早いが、私はベルヴェデーレ宮殿の方が好きだ。庭園の傾斜に沿って歩く。赤や黄色や白の花々が咲き乱れる庭の中を足を止めながら歩く。時々振り返る。白いベルヴェデーレ宮殿がくっきりと青空に浮かびあがる。


 ここの宮殿にはクリムトの絵画が展示されてるはずだが、今日は月曜日の休館日で中に入れない。1972年に来た時も確か月曜日で扉は閉ざされていた。どうもウィーンは月曜日に因縁があるみたいだ。


遠い夏に想いを-スフィンクス
 歩いて庭園を下っていく。スフィンクスの石像が置かれている。スフィンクスと言うとエジプトのスフインクスを連想する。ヨーロッパにも古くからスフインクスの像が見られる。これ等は古代ギリシャのスフィンクスで美しい女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物であって、宮殿の守護に当たっているらしい。


 宮殿の正面から街の全景が望めるが(ヘッダーの写真)、庭園を下るにつれて段々と街が見えなくなり、シュテファンの塔も視界から消えていく。


 レンヴェーク通りに出た。右側にガルデ教会がある。覗いてみようかと、正面まで行ったが、このロココ風の教会の扉は閉まっている。


遠い夏に想いを-ガルデ教会  レンヴェーク通りにはマーラーの住まいがあった筈だ。マーラーがここから毎朝歩いて指揮者をしていた国立オペラ劇場まで通ったと、マーラーについての本で読んだことがある。だから、電車に乗らずとも歩ける筈だ。











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2012-01-28 00:01:00

プリンツ・オイゲン通り - 056

テーマ:オーストリア

 もとに戻ろう。プリンツ・オイゲン通りは左側が庭園の生け垣が続き、通りの中央に市電が走っていて、その反対側は所々に商店やレストランが並んでいる。太陽が顔を出たり、薄曇りになったりののどかな午前中だ。


遠い夏に想いを-オイゲン通り

 余りに遠いので、不安になり薬屋に入って、道を聞いてみた。もっと登って行きなさいと白衣を着た年寄りのおじいさんに教えられて、更になだらかな坂を登る。結構、歩くのがきつい。東京の渋谷の道玄坂くらいの坂道だろうか。


 途中、一軒のお土産屋を見つけたので店内に入ってみた。オーストリア風の織物などを扱っている。「土産に荷物にならないものがいい」とノッコが言うので、小さなテーブル・クロスを買った。


遠い夏に想いを-テーブルクロス
 店を出て、更に進むと、ベルヴェデーレ宮殿の正門の前に小さなイタリア風のトラッタリアが店を開ていた。昼には少し早いが、昼食にする。半地下の小さなレスランで、客は2組しかいない。メニューには『ニョッキ』とあるので、どうせ碌なものではないと思いながら注文した。17歳位の若い男の子が料理を造っている。少し時間はかかったが、出て来たニョッキの味は素晴らしかった。ウイーンでもこんなに旨いイタリア料理が゙こんな処で食べられるとは思いもよらなかった。家族間でイタリア語を話していたから、イタリアから来たのだろう。


 時々ヨーロッパにはこうゆう店があるものだ。ロンドンでもパスタ類はフニャフニャでイギリスお得意の茹ですぎ料理だが、イタリア移民の店では本格的なイタリア料理が食べれる。


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2012-01-24 00:01:00

ベルヴェデーレ宮殿 - 055

テーマ:オーストリア

 今日はベルヴェデーレ宮殿に行ってみる。プリンツ・オイゲン通りの緩やかな坂道を庭園に沿って登って行った。地図で見るよりもかなりの距離がある。1972年に来たときは庭園の下のレンヴェーク通りから入って来た。


<プリンツ・オイゲン通りを登ってベルヴェデーレ宮殿正門へ>
遠い夏に想いを-ヴェルヴェデーレ宮

 あの時は、ベルヴェデーレ庭園で偶然日本人のおばあさんに出会った。日本人が珍しい時代に、日本のおばあさんが一人で散歩している。
「日本の方ですか」
丁寧な日本語でおばあさんが聞いて来た。
「そうですよ」
「ご旅行でしょうね」
「ええ、アメリカに2年ほどいました。パリに暫くいて、いまイタリア、ギリシャ経由で帰国する途中です」


 「日本に帰るのですか。いいですね」
「もうこちらは長いのですか」
「1年ほどになります。娘と2人きりなのです。娘がピアノをやっていまして、ウイーンに留学することになって。東京で独り暮しをしようかと思ったのですが、娘が一緒に行こうと、東京の家を売り払って来たのです。こちらでは言葉も解らないし、友達もいなくて、毎日こうして一人で散歩に出るのです」

 私達はゆっくり歩きながら、庭園を一周した。
「私達もアマチュアですが、ヴァイオリンとチェロをやってました。もう何年も弾いていないですがね。でも、お嬢さんは目的があって来られたからいいでしょうが、奥さんは毎日一人で大変ですね。冬のウイーンは寒いようですから、お体に気をつけて下さい」
「有り難うございます」


<おばあさんがシャッター押してくれた当時の写真>

遠い夏に想いを-ベルベデーレ
 寂しそうにしているおばあさんに名前も訊かずに、そう言って別れたが、もう随分昔の話しだから、彼女も生きていれば90才を超えているだろう。もし生きていたら、どうしているだろうか。私達が彼女を思い出すように、彼女は我々を思い出してくれるだろうか。



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2012-01-21 00:01:00

演奏会 - 054

テーマ:オーストリア

遠い夏に想いを-ドイツ館ホール  さて、ドイツ館のホールは20人程度の客で、サロン風の音楽会を催すには最適だが、40人も50人もの聴衆を入れてリサイタルをやる場所ではない。半地下の石室みたいな部屋なのである。


 しかし、小ホールだが音の反響とか合奏の音のまとまり具合は非常にいい。私達は早く来たので一番前の席に座った。8割くらいの入りである。


今日の演奏会は20代後半の若手の奏者による弦楽四重奏である。ベート-ベン・カルテットという4人で、第一と第二ヴァイオリンが女性で、ヴィオラとチェロが男性。この4人の中ではビオラがビロードのような素晴らしい音を響かせている。第一ヴァイオリンの女性は少し硬いが、しかりした音で、きちんとテンポを取って行くタイプ。第二ヴァイオリンの女性は上手いのだが、全く無感心という感じで譜面も見ないで弾いている。チェロはしっかりとした音で、マイペースと言ったところ。


遠い夏に想いを-プログラム  演奏曲目は盛りだくさんで、全部で4曲である。モーツアルトの初期の作品であるK157の四重奏曲で、イタリアのミラノで作曲された素適な曲である。ミラノ四重奏曲の6曲は全部4楽章でなくて3楽章しかなく、イタリアのコンチェロト・グロッソの形式をまねたらしい。ヴァイオリン協奏曲なども3楽章形式なのはコンチェロト・グロッソの名残だと言われている。だから、TVコマーシャルでも聞かれるK136~138のように、この曲はデヴェルティメントと呼んだ方が良いのかも知れない。


 2曲目は、シューベルトの作品125の1(D87)で、いわゆる10番の弦楽四重奏曲である。作風が若い時のものと異なるため後年の作と思われていた曲で、どちらかと言うと弾きやすい、楽しい曲で、家族が集まって弾くために作曲したものらしい。


 次は、ハイドンの作品で、作品17の2である。ハイドンは70曲以上の弦楽四重奏曲を残している弦楽四重奏の父みたいな作曲家だが、この曲は割と初期の作品である。


 最後は、ベートーベンの作品18の4で締めくくる。ベートーベンは16曲の弦楽四重奏曲を残しているが、作品18は初めて書いた四重奏曲で、誰にでも直ぐに親しめる曲ばかりである。それまではピアノトリオとか弦楽三重奏曲などを作曲していた。新米の作曲家として、先輩のハイドンとか他の作曲家と競合しないようにするためだと言われている。作品18は6曲あるが、18の4は短調の曲だが、不思議と暗さがなく、力強く軽快に始まる。


遠い夏に想いを-夜のシュテファン  演奏はまだ完成されていないが、今後が楽しみな楽団であった。演奏が終わって、暗い庭にでた。


 夜空にシュテファン寺院の塔が見えた。「モーツアルトも、当時、この夜空のシュテファンの塔を見ていただろうな」と思うと感慨深いものがあった。



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