面影は花の色とともに | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 あなたの地域では月見草を見かけますか?最近は滅多に見かけなくなった気がします。花の好みも近年どんどん変わって行くみたいですね。


  絵画教室が開かれている市役所に毎週水曜日に行ってますが、途中に月見草の花が玄関に咲いている家があります。この花を見ると子供の頃を思い出すのです。


月見草


 何かの花を見たら誰かを思い出すことってありますよね。私の場合は月見草、そして思い出すのは私が9歳の時に亡くなった姉です。


 昔、昔の話ですが。亡くなった姉は長女で20歳、婚約したばかりです。ある朝、家族皆で朝食をとりました。小学校へ行った私は学校に着くなり、家のものが慌てふためいて呼びに来ました。急いで家に帰ると、姉は既に亡くなっていました。父や母の悲しみははかり知れないものでした。


 アレルギーという言葉も、いわんやアナフラキ―・ショックなどという言葉もない時代でした。医者の診断は食中毒でした。朝は全員同じものを食べていたのです。姉だけがショックを起こしたのです。ですから9歳から現在まで私にとって、姉の面影は常に若々しい20歳の乙女のままです。


 姉は月見草が大好きでした。この当時月見草は街の至る所に咲いていました。月明かりでほんのりと闇夜に浮かぶ月見草。ですからこの花を見ると亡くなった姉を思い出すのです。


 それから姉はよく本を読んでました。針仕事をする時は「庭の千草」を口ずさんでいましたよ。


<19世紀中頃のヴァイオリンの名手、エルンストによる変奏曲。演奏は五嶋みどりさん>


 最近新しい発見がありました。黄色の花を付けるものは月見草ではなくオオマツヨイクサ(大待宵草)らしいことです。


 そして「庭の千草」の千草は特定の花ではなく雑草の花の総称らしことです。もともとアイルランド民謡で明治の頃に小学唱歌として日本語の無難な詩を付けたらしいのです。原題は「The last rose of Summer」(夏の名残りのバラ)で、今は亡き愛する女性を淋しく咲く名残のバラにたとえた悲しい歌です




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ