君は、「富山型」を見たかい! | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

TVで、”富山型”といわれる介護サービスを紹介していた。


グッドウィルグループのコムスン問題で、一時TVで、介護が取り上げられる時期があったが、本質的な問題には辿りつくことなく、マスコミの関心は過ぎ去ってしまった。根本的な解決、介護を根底から考え直さないと、似たような事件はまた起きるだろう。

しかし、政策決定サイドの遅れ、マスコミの一過性の問題意識、国民の無関心をよそに、現場では色々試行錯誤がされている。


介護サービスは、有料老人ホームといった【施設サービス】と、ヘルパーの訪問、日中施設に通う【デイサービス】の2つが主流。いずれも、学校の校舎ような施設を作って、要介護者を一箇所に集めて、少ない人員で集約的に面倒を見るという構造。サービスを提供する側の都合から生まれた。”供給者発想”。しかし、”富山型”は、普通の民家を借り上げて、そこに近所の要介護者に来てもらう仕組み。また、障害者の児童なども預かる、”サービスを受ける人発想”の仕組み。子どもから老人まで、障害のあるなしに関わらず、大家族のように面倒を見るのが”富山型”。


TVで紹介されていたケースは、普通の民家を借り上げ、介護士、看護師等の資格を持つスタッフが、要介護の高齢者、軽い認知症の方、身体障害者を介護する。施設サービスと違って、食事など自分で出来ることは積極的にさせる。スタッフの子ども(幼児)も預かる。昼からは、養護学校から帰ってきた身障者の子ども受け入れる、放課後の近所の子どもたちも遊びに来る、と、まさににぎやかな大家族状態。小さい子どもたちに囲まれて、折り紙を教えたりしている高齢者の顔は本当に嬉しそう。

別の事業者のところでは、近所の人がおかずの差し入れを持ってきたり、使わない備品を寄付したりしていた。高齢者におしゃべりしに来る人も居る。要介護者、認知症、障害者の垣根はもとより、地域の人とも垣根がなくなり、そのコミュニティに完全に溶け込んでいる。認知症の方がフラッと、出て行っても、周辺の人が頼りになるはず。


このスタイル”富山型”を推進しているのは現在、富山県で52施設、全国では16の県に及んでいる。この”富山型”を提唱し、14年前からサービスを提供している惣万佳代子さんは、「特別養護老人ホーム、老人保健施設といった施設を造ることが、介護だと、厚生労働省も県も市も思ってきたが、それが違うということが、ここ3年くらいやっと分かってもらえてきた。”在宅”を活かす事が大事なんだと。最後はやっぱり、仏壇のある畳の上で、孫たちの前で死にたいんです」と言っていた。(結局、厚生労働省も特別養護老人ホーム、老人保健施設といった施設をつくるゼネコンのための組織になっている。ナントカピアと言う保養施設、厚生年金ホールという、無駄な施設もゼネコン様や、買収地の地権者のための物。税金や社会保険料を使って、将来天下る先のゼネコンや、医療法人、社会福祉法人への下地作りという図式がはたらいているのかもしれない。)


高齢者、障害児、幼児、行政は対象ごとに縦割りで管理しているので、サービスを提供している側も自然、老健、養護学校、保育園と縦割りになる。また管掌が、県、市町村と運営能力、財務内容がバラバラなため、サービスのムラが出来ている。こういった垣根をとることは官僚制の宿命で、まず、自組織の権利を主張するだけで譲り合うことは無い。そこを、サービスを受ける人側の発想で取り組まれてきた富山の介護の現場の人たちには頭が下がる。


ただ、こういった現場の努力にもかかわらず、介護事業、最大の矛盾点は変わらない。それは、「介護の目的が、介護を必要とする人を無くす、あるいは介護の程度を下げる、にもかかわらず、その目的を達すれば達するほど収入は減る」ということ。収入が減れば、人員確保も難しくサービスも低下する。介護ビジネスで成功することは土台無理なのか?介護にもっとも貢献する事業者は、常に売り上げが下がるという”介護のジレンマ”を覆すことは出来ないのか?


う~ん!そこのところ誰か真剣に考えている人がいたら教えてください。私も勉強します。