久間防衛大臣の辞任で、さらに苦境に立たされた安倍総理。
昨年の自民党総裁選は、史上稀な、安倍総理の圧勝。しかし、派閥を超えて多くの支持を集めたのはいいけど、限りある閣僚ポストをどの派閥にも均等にくれてやる”論功行賞内閣”は、今や風前のともし火状態。
今の状況、どこかで見たような・・・・・。
”関が原の戦い”とその後の論功行賞、安倍政権誕生とそれに尽力した人々のその後を考え合わせると、意外と共通点があるような、似ているような・・・・・。
以下、つまらないけど、時間がある人は付き合ってください。
小泉秀吉は、圧倒的な人気を誇り、自民党員(大名)は、その絶対的な権力に伏していた。郵政民営化(朝鮮出兵)という、晩年の気のふれたとしか言いようの無い愚政にもかかわらず。
そんなさなか、小泉秀吉、逝去(首相退陣)
小泉秀吉という大きな重しが取れて、世情は不安定に。しかし、小泉秀吉在世中から、圧倒的な人気を誇る安倍家康が、次期政権を取るであろうと、自民党議員(大名)は、安倍家康に誼を通じる。ほとんどの派閥大名は、安倍家康を押し、関が原(総裁選)に臨む。
谷垣三成は、頭は滅法いいのだけど、世渡りが下手、正論だけでは勝てない、の通りに敗戦。島津麻生は、自分なりの戦い方を押し通し、安倍家康は、その能力に一目置き、減封されること無く、戦後は、外務大臣という要職に就く。(領地安堵)
戦に勝った安倍家康だが、さて、誰に大臣ポスト(加増)を与えるかとなると頭が痛い。
福島家(古賀派)
柳沢厚生労働大臣・・・・30万石近く加増された福島正則に似ている。しかし住み慣れた濃尾の土地をはずされ、西国に所がえ。これまで金融畑だった柳沢さん、見知らぬ厚生労働畑に。勝手分からぬ場所で、”生む機械発言”や、”年金問題”で大災難。
前田家(津島派)
佐田規制改革担当大臣、久間防衛大臣・・・・第2派閥でありながら、早くから戦意無く、安倍さん支持に。しかし、当選後は、2人もポスト獲得。36万石加増の前田利長に似ている。戦後は唯一100万石を越えるが、家康ににらまれることを恐れ、その後は”バカ殿”のフリで幕末まで生き延びる。佐田さんは事務所経費虚偽報告で辞任。久間防衛大臣は原爆しょうがない発言で辞任。津島派の”バカ殿”体質は振りではないのだろうか。
結城家(安倍さん)
本間税調会長・・・・・・・家康の次男、結城秀康は、47万石増。身内びいきで大幅加増。前会長、石弘之氏を辞任させ、自分の就任と共に直々に連れてきた本間さん。しかし、公舎や愛人問題で辞任。結城秀康はよかったが、次の忠直は奇行を咎められ、改易、おとりつぶしに。身内からでた・・・。
黒田家(伊吹派)
松岡農林水産大臣 伊吹文科大臣・・・・・・関が原で、豊臣恩顧の武将を家康陣営に引き入れるのに尽力し34万石加増した黒田長政。しかし、長政は、嫉妬深い性格だったらしく、伊吹大臣が、文部科学省がありながら、結成した教育再生会議や、教育再生担当首相補佐官、山谷えり子さんに向ける言動はまさにそれの様な気が・・・・・。黒田長政の父、黒田如水孝高は、その軍才で、秀吉をも恐れさせた人物。かつての伊吹派も、旧渡辺派から生まれ、亀井、江藤といういわゆる抵抗勢力で小泉秀吉に抵抗した人たち。その人たちの気概は今、いずこへ。
(わざわざ言うほどのことではなかったかな。でも”カノッサの屈辱”番外編ぐらいは、作れるんじゃないかな)
歴史上、関が原は、信長、信玄、秀吉の戦のような爽快感はない。それぞれの大名が、戦後自分たちが、どう生き残るかを真剣に考えた戦。秀吉への恩顧より、新しい支配者への貢献。義理や忠義でなく、自分たちの”お家”とその家来が生き残るために、裏切り、寝返り、日和見・・・・といった思惑の中で戦った戦。だから、後味の悪いものが、関が原という言葉には付きまとう。
最近の政治家は、小粒になった。議場で、携帯をかけたり、イラクがどこにあるか知らなかったり、バラエティにでまくったり・・・・・、自分の保身や、経済的安定、派閥の論理を第一とする政治家と、関が原が重なるのは、当たり前かもしれない。
唯一、違うのは、家康と安倍さん。
家康は、関が原後も、着々と、新しい国家のグランドデザイン作りにまい進した。その途中に邪魔をするものには厳しく排除して行った。安倍さんも、マスコミや派閥に気兼ねせずに、敢然とした態度で、自分の思っている国家像、”美しい日本”つくりにまい進して欲しい。それも見ない内に、退場は、あまりにも寂しい。
がんばれ安倍家康!