江戸時代の仕組み | 元広島ではたらく社長のblog

元広島ではたらく社長のblog

六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

日経ビジネス

http://business.nikkeibp.co.jp/nbs/nbse/index.html

の今週号の書評欄に、『心にナイフをしのばせて』 奥野修司 文芸春秋が取り上げられていた。書店で平積みにしてある気になる一冊だった。

kokoroni

今から37年前、昭和44年に実際に起きた事件。高校生が同級生をナイフで刺し、首を切断すると言う事件の、加害者、被害者の家族のその後を追ったもの。


加害者は、現在では更正し弁護士になっている。被害者の母親は、ショックで数年間記憶を失う、自殺未遂も引き起こす。親身に乗って相談してくれる人は、身内も、ましてや、カウンセラーや、公的機関もなく、生活にも窮する状態。

更正し、弁護士になった被害者は、ただの一度も謝罪の言葉を口にしていないし、事件後支払うことになっていた補償金も払わずじまい。苦しい生活を訴えてきた被害者の家族にも”金を貸す”と言う程度の扱い。加害者は、もう充分に償いは終わったんだから何を今更、と言う思いだったのでは、と書いてある。


著者が、この本で言いたかったことは、少年犯罪が起きた後、少年を更正し、社会に復帰させることは重要なのだが、その前に、被害者や、その家族が、元の生活(亡くなった人は蘇らせられないが)に戻るための手助けが、最重要課題なのではないか?順番が逆になっているのではないか?ということ。

少年院は、塀を出た後再び戻ってこないように、社会でやっていくための更正が、第一の目的となっているが、何よりも、自分のした罪の重さを知り、被害者や被害者の心情を思いやり、謝罪や懺悔の意識を持たせる場所であるべきなのだが、そのようになっていないのではないかと。被害者や家族が未だに苦しい思いをしているのに、今日もどこかの少年院で、さばさばした顔の刑期が終わった加害者が少年院を後にしているかもしれない。かといって、昨今の凶悪犯罪を犯した少年の刑を重くするという世論は的外れだと思うのだが・・・。

(タレントやミュージシャンが、薬物や犯罪を犯しても、罪の重さや、被害者の心情よりも、何時頃の復帰になるとマスコミもピントがずれている。)


という、記事を読んでいると、アニメで『天保異聞 妖奇士 (あやかしあやし)』と言うのをやっていた。

http://www.mbs.jp/ayakashi/index2.html

江戸時代、天保年間(幕末の少し手前、遠山の金さんの頃)が舞台。主人公は、以前何かの罪を犯して(主人公なので冤罪かもしれないが)、腕に入れ墨が入れてある。江戸時代の刑法は、死刑、肉刑、追放刑とか色々あって、入れ墨は肉刑に当たる。とWEBで知った。入れ墨は、一生涯消えないわけだから、死ぬまで罪の意識を拭い去ることは出来ないかもしれない。しかし、普通に生活するには困らない。さすがに子どもとお風呂に入ったり出来ないだろうけど、更正し、アルマーニのスーツを着て立派に社会のために働いていても、服を脱いで、裸の自分なれば、罪を犯したことを意識せざるを得ない。一生涯烙印を押され、酷なことかもしれないが、被害者のことを思うと、当たり前のことなのではないかと思う。死んだ人は生き返らないんだから。


今、この仕組みがあれば、被害者や、被害者の家族が死ぬまで味わう、苦痛や悲痛な思いを、加害者も繰り返し意識せざるを得ない状態になると思う。こう考えると、蛮行のようで、実は人間の大事なことを忘れていないいい仕組みなのかもしれない。


この間読んだ、『守城の人』では、会津藩の子弟教育、『巨眼の男 西郷隆盛』では、薩摩藩の教育、そしてこの刑法。寺子屋だったり、商人の中にも、現在の企業が目指す、社会貢献や、倫理規範、商人道みたいなものもある。


江戸時代と言うのは、案外人間本来の特性に合った、完成度の高い仕組みがたくさんあった気がする。


江戸時代は、犯罪件数も少なかった。江戸260年間で起きた犯罪総件数は、今の日本では、1年で超えてしまうと言うのを聞いたことがある。鎖国をして、停滞したイメージのある江戸時代だが、その分制度や仕組みがじっくり練られていったのだろう。今の日本も、教育から何から、一度じっくり腰をすえて考えて見なくてはいけないのかも。そう考えるとITとか、ビジネスなんて本当に邪魔。ビジネスなんて名前からしてダメかも。