【朝鮮字・諺文】(識字対策用)は…【対馬・阿比留文字】のパクリ(盗む)字で在る  | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 ♯ハングル(朝鮮字)…そもそも…【朝鮮字・オンムン(諺文…ハングル表記は1927年からとは、我が日本国(倭国)固有の文字をバクッタ盗む)文字で在る。

…【対馬アヒル文字】(物部氏族文字)を「パクリ
」(盗む、朝鮮の下層の人達用にと朝鮮人用に少し作り変えた字(諺文・オンムン)で在った。

…【対馬アヒル文字】とは、落合直澄(著)『日本古代文字考』に因ると…「天児屋根命之真傳也」と在り…《対馬國卜部阿比留氏内々傳之可秘秘秘焉奥書在り)》…と記し、又、別の奥書と致しましては…《一本云右阿比留47文字を記せり神世文中古所謂肥人書也》…等と記述している。然るに、「
中古所謂肥人書也」として紹介している文字が、即ち、我が国固有文字で在る処の【対馬・阿比留文字】(草書体文字)で在る。

…現在、私の家(手元)に…『神伝鹿占秘事記』(国選択無形民族文化財)の文書と絵図のコピ-が9枚在る。其の内訳と致しましてはの項目に別ける事と (下記に記す)致します

鹿胛骨裏面小占兆?〉畫ク図式の秘事】(1枚)…鹿骨に太線を以て2個の【】的記号が逆さで上下に組み合わさったような形状(直線)の、其の中心から少し上の所から右線が、乃ち、【┣ の形】に成っている。そして、其の中心から少し下の左の処から、更に線が左に引かれ、乃ち、【┫の形】に成っている。此の、文字の形状の、其の、双方の形状が上下に繋がった形で成る線(太線)が、其の鹿骨に記された線で在り、其の形状に対し、「ウラカタマチカタ」等として、「裏表)」、乃ち【秘事マチ ? )カタと、読むぺし」等と記されている。

鹿ト胛骨占兆方位図式の秘事】(1枚)…鹿骨に【┣ & ┫】の形が上下に組み合わさったような太線(上記の説明に同じ)が鹿骨に書かれ、其 の太線の中心と上下(上を北・下を南とする)の線頂に対し、「北・南」の方位を定め、又、左右の線先部分に対しては「東・西」の方位を定め、中央に対しては「タメ」の聖句を定め、【②方位図式の秘事】と成すが、つまり、其の方式は…《【斗()は】・【穂()は】・【加美(カミ)は】・【江美(ヱミ)は西】・【多米(タメ)は中央】》…の「四方位中央」の「5つ」と成すが、元来、「ホツマツタヱ・別伝」の【フトマニ・図式】では「8文字神」として配置されていたので在る。それが、後年に於ける漢字導入の政権時代に至って、其の漢字に書き替えられる時、無理矢理、「四方位と中央の配置図」的に纏められ、間違った配置図式に書き替えられているのであります。

…因みに、此処に掲載した「ホツマツタヱ・別伝」に言う【フトマニ図表】に於いては、其の図表の外側から3番目の【】の中には…《)】・【)】・【)】・【)】(4字)》…&…《【)】・【)】・【)】・【)】(4字)》…と【幾何学的形状文字】(秀眞文字計8字)で配置されていて、此の配置図が正しい配置方式で在ります。然るに、対馬の『神伝鹿占秘事記』には、更に間違っている処が有ります。それは、元来、【カ ミ
】(ヱヒエミに替わっている)であった。而して、古代、宮中の伯家神道(白川神道)に【フトマニ】が伝わる時、其の【フトマニ図式】は既に間違った方式に替えられていた可能性が在ります。 

鹿ト胛骨占兆名目図式の秘事】(1枚)…上記と同じ線と漢字(斗・穂・加美・江美・多米)が、鹿骨の同じ部分に配置された文字を以て、それぞれの字意に対しては、【】に関する意訳が書かれているが、而して、其の…「勝敗無き」…に対しては中央に位置する【秘事多米タメ)】の字義が間違った図式で記されています。 

鹿ト胛骨占兆内外図式の秘事】(1枚)…上記と同じ太線が書かれ、其の縦線の中心を境に、右側には秘事。左側には、秘事と書かれている

神壇祭式図の秘事】(1枚目)…一ツの板の台には4ツの【榊】が置かれ、手前の二ツ目の台(同じ大きさの台)の右から最初の皿(平瓮の意)には【魚】を。次の皿には【菜】を。次の皿には【モチ(餅)ヒ】を。最後の左端の皿にはミキ(酒)】秘事として配置されている。そして、其の二番目の板の手前には、右から【水入り碗】が。其の左には【口先細器(太い徳利的形状)の鑚(サン)火入り容器】が。其の左には【ハハカ(波波加)木が4枝】。一番左側(4番目)には【サマシ(覚し)竹】が秘事として配置されている。そして、一番手前の中央には、高杯(タカツキ)的な板材作られた台の上に鹿胛骨が配置された図が描かれている。

板秘事】(2枚目)…「1枚目」に記された事(秘事的配置)の、各々の中の【4枝】(波波加の木の枝)に付いて、乃ち、【波波加木】(ハハカのキ)の種類に付いての説明が記されている。

木と名前の秘事】(1枚)…此処に掲載した【フトマニ・図表】(ホツマ・別伝)の、其の図表に秘められている「太祝詞事」に行く前の段階に行わなければ成らないのが【鹿胛骨神事】で在る。其の祭事用具(鹿胛骨)の伝承者の系譜と其の御名(印)が此処には記されている。其の系譜と御名とは…【天津兒屋命十一世孫雷大臣?八十一世神裔対馬卜部正統同國下縣住齋藤延種謹誌文字印)・元禄十丁五歳十一月吉旦捺印)】と記されている。
…【】→…《「
?」の部分は、辞書にも無い文字(つまり「倹に人偏が無い形に近い文字)尚…【】→「?○」の部分は、パソコンでの抽出が出来ない古字、及び、読めない文字の意です》…以上。

…以上、私の手元に置いている合計【七図9枚】のコピー図は、或、ツテ (伝)を通じ、「榛名町般若坊宮昌輔氏故人の方の所蔵資料の中から発見集録されたもの」で、関東の【貫神社】の「フトマニ図」と記されています。


…上記に記した鹿胛骨フトマニの【マチガタ】の形状、乃ち、「」、「」等の形状の起元は、「町形」の形状に起元を有す。因みに、「町形」の形状は、乃ち、「条里制に用いられた地割り」(一里)の形状にも関連する。つまり、其の条理に用いる形状の段階を一回り小さくした形(10反)の中に生み出された形状的な図を用い、其の文字記号 ()が作られたとされ、其の文字記号に対しては、「母音・子音」の意が与えられた。

…然るに、「左右(横書)に組み合わせた記号方式」は、「横書き字形式」として。又、「上下にの組み合わせ」は、「縦書形式の文字と」成る。然るに、神代から続くとされる【
天児屋根マチガタ文字】(占い文字)とは、「タケヒト(後の神武天皇)の東征、つまり、【ハルマゲドン・勝利】(ダマスコ契約宗団教義の命題で在った) を以て成す【神武天皇・即位元年】(神代暦58サナト年)以後、此処(現在の奈良県)を基点として、我が国の国家起元暦(天鈴暦)に於ける、歴代的暦年 (倭暦・天鈴暦)が開始(スタート)され、此が、現在に言う【皇歴元年・設定暦】の始まりで在る。

…此の暦年開始以前(神代時代)に於ける、
ウマシマジ母は忌部系譜)の処遇に対しては、其れ迄、物部を統括していた「タカクラシタヤヒコ」を越国(現在の新潟県)に隠居させ、其の代わりとしてウマシマジに、【物部職】が与えられた。従って、此処に、現在に言う【物部氏族】が始まったので在る。而して、昭和53年に国宝指定された日本最古の系図【海部氏系図】とは、「タカクラシタヤヒコ」(百合姫に始まる)の系図でも在る。尚、其の後に於ける、つまり、現在に言う物部(蘇我に滅ぼされた)系図は、此の系図とは全く違っている。従って、聖徳太子時代、以降の、【物部氏系図】とは、「昭和58年に初公開された」とされる【秋田・物部氏系図】(𩜙速日命系譜)で在り、其の双方の系図は区別して考える必要が在る。

…【物部氏族】は、【マチガタ文字】の楷書体を多々使用する事で以て、草書体クサモジ)を編み出した。然し、後年に於いて蘇我氏との「神仏争い」に敗れ、秋田に逃れた後、物部文字文書は秘密裏に伝えられ、隠され続けられていたが、近年(昭和58年)に成って、ヤット、始めて公開された次第で在る。其のような経緯で在るが故、江戸後期に【肥人文字】として表面化した時にも、【謎の文字】的に扱われるも、江戸後期の国学者で在る【平田篤胤】、対馬に伝わる【阿比留文字】、即ち、【日文 (ヒフミ)文字】の草書体で在ることを突き止めたので在った。

…因みに、戦後、公にされた『物部文書』に記されていたのが【物部文字】で在るが、此の【物部文書】が世に出る迄(昭和58年以前)は、江戸後期の「平田篤胤大人」が命名したヒフミ文字、及び、阿比留草文字」(対馬にも存在した等と呼ばれていた。然るに、此の阿比留草文】(アヒルクサモジ)の命名者は、江戸後期(18世紀)の国学者【平田篤胤大人」で在る。然して、何故、此の文字が【阿比留草文字】と命名されたのかと言えば、【肥人文字】、つまり、『釈日本紀(ギ)』(卜部兼方・懐賢…弘安九・1286年の奥書有り)に記載されている記述に起因する。然るに、其れは、「天平七年735年」の『日本紀()』の講義に於ける質疑応答の時の内容が記載されている文中に、此の、肥人文字の事が記載されているので在る。

…尚、其れから10世紀程の年月を経た、江戸後期に至って、ヤット、「平田篤胤」が、此の肥人文字】とは、阿比留文字ヒフミ文字)・楷書体草書体文字】(クサモジで在る事を突き止めたので在った。従って、其れ以後を以て、【アヒルクサモジ】と呼ばれる由縁で在るが、然して、更に、「昭和58年に物部文書が公表される」に至り、【物部文字】と言う事が定着した次第で在る。 

「文献的【物部クサモジ】の初出」とは、天平七年・735年」で在る…つまり…《『日本紀()』 (逸書)講義》…の年(養老五年721年)から「28年後」の、乃ち…《孝謙女帝(天皇)・天平勝寶」(749年)》…の年号が記載された文書の捺印】(物部草書体文字)で在る。然るに、其の捺印】(物部草書体文字)は、銅印で在る。

然るに、其の楷書体文字の原点は【天児屋根フトマニ文字】で在る。此の我が国固有の古代文字は、「先史(律令以前)」に於ける、【対馬】(宗像・大物主系譜)にも存在していた。其の後、つまり、十五世紀(1443年)に於ける【対馬】に於いて、【宋貞盛】は、「朝鮮の圧力に押され、李氏朝鮮と属州的交易条約を結ぶ事と成った…《従って、其の年の12月に、対馬阿比留文字が朝鮮人にパク(盗むられた》…ので在った。

…従って、朝鮮文字、即ち、【訓民正音】(朝鮮文字)は、阿比留文字母音図形の形状を、其の儘(ママ)用いて、「朝鮮文字・創製】(28文字)と言う訳で在る。

…然るに、其れから3年の年月を経た1446年に、此のパクリ盗む)文字】を用い訓民正音オンムン諺文朝鮮文字)が創られ、領布(配布・識字意欲を高めるのが目的)で在った。


( http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11416358271.html )← ブログURL…《【神代文字(神名・字)…捺印】の存在』》…は、此処「 http://amba.to/11dbR14 」をドラッグして検索して下さい⇒ 【物部文字銅印】(孝謙女帝時代)…の記事のブログに行き着きます。宜しく…

…下の小さい図形(中心の位置)は、クリックすれば大きく成ります事…宜しく…【画像・貼り付け方】を間違ってしまいました。修正方法が解り次第(↓ ↓ ↓)普通の図形に戻す事と致します。

…下の四角の中 (
↓ ↓ ↓ )をクリック(画像拡大)…して参照の事。宜しく…