『日之本(日本)建国思想・考古学』(日本民族学)…【№①】 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…【譜面・考古学者】的異名を持つ…ヘルベルトブロムシュテットHerbert Blomstedt, 1927年7月11日)は、アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、バンベルク交響楽団、NHK交響楽団の名誉指揮者(Googleで検索)

…今日(平成26年・2014/10/012/日曜の依る9時00分~9時45分頃)、NHK(教育テレビ)で、
ヘルベルトブロムシュテット指揮」に依る【モーツアルト作曲・交響曲第40番ト単調k550】の演奏が放映されました。此の曲名を聞くと、何時も、我が将来に於ける運命の岐路を認識させられた出来事を思い出します。其れは【昭和46年】(日本…大阪万国博覧会の年の翌年)の事。会社の仕事を終え、大阪フェスティバルホールでの演奏会に、同じ会社の彼女(1歳年上の照美さん)を誘って、其の曲目の演奏会へ行った事でした。つまり、目玉的曲目は【モーツアルト作曲・交響曲第40番ト単調k550】悲しみのシンホニーとして有名)でした。尚、此の時、「朝比奈隆指揮(大阪フィルハーモニー管弦楽団)に因る【クラリネット協奏曲イ長調K622】の演奏に於いては、親子初競演クラリネット奏者は指揮者の長男、朝比奈千足さんでした)で在りました。其の翌年(昭和47年)の夏、更に、【大阪水都際】(淀川・花火大会)の時には、淀川の土手から花火が良く見れると言う理由を以て、其の祭りの日の夜、仕事帰りに我が家(淀川沿いの公団住宅4階)へ誘いました。従って、此の時、【自分の結婚】(24歳の時)に関する思考が、現実的に、始めて認識する事と成った。然し、現実的な普通の生活方式を思考すればする程、子供の頃から思い詰めて来た或事が、我が脳裏の奥から頭を擡(モタゲ)て来たので在った。つまり、其の思いとは、私が7歳の時に体験した不思議な現象に因る、【或命題】に在りました。従って、我が人生の岐路に立つ【結婚の問題】を真剣に考えるにつれ、子供の頃からの【或命題】への道が取り消される可能性が否定出来なく成ってきたので在りました。

…然る後(
昭和49年27歳の時)、1年程悩み抜いて得た、最終的、其の結論とは…《【結婚】すれば自分の自由な時間が保たれない》…従って、独身の儘(ママ)…《【自分探しの旅】(我がインナートリップの旅)》…に其の梶(目的達成迄は独身を通す覚悟で在った)を切った次第で在りました。…従って、其の【運命の岐路】に立った処の二股Yの一方を選択した方向性(日本語の始まりが知りたかった)の道に添って到達した処が現在の私の位置と言う事に成ります。然るに、【結婚】の選択肢を捨てた事に因って、子供の時に受けた啓示的、彼の言葉天の声自分にしか出来ない事が在る】(我が7歳時に体験した一瞬の光に因る命題)…に対する答えを、此処(平成26年・2014/10/14/火曜・現在)に、得る事が出来ました次第で在ります。

…「自分の或思いの目的」…を達するには、会社勤めのサラリーマン生活の脱却(自分の自由時間の確保)が必要不可欠な選択肢で在りました。然るに、会社を退職した後の無収入状態を脱する意を以て、【昭和501976年12月】(28歳)に会社を退職し、クリーニングの自営業(中古自動車購入・営業専門)を開始(無収入時期が約半年続く)した次第で在りました。そして貯金が無くなった頃、少し固定客が付きました。それで、其の後の約半年間を生き延びる事が出来たら繁栄季節(4月~6月頃)に入り、其の後は或最低限の収入が得られる目処が立った。然し、其れは又、営業方針の転換(公団住宅・自宅を営業拠点に出来ない問題)が必要不可欠と成った。然る意(知人から借金する)を以て、仕事の委託先の近くの空き工場を借り、【昭和53年1978年5月】を以て大阪の羽曳野市から八尾市へ引越ました。然して、其の引越が終えたと思ったら、とんでもない難題が降りかかってきたので在った。つまり、其の借工場は、ヤクザ(暴力団)が絡んだ抵当物件だったので在る。

…此の退っ引きならない状態に陥った時、救いの手をさしのべてくれたのが【有限会社・野村クリーニング】社長の弟さんが経営する【志紀クリーニング】(仕事の委託先)の社長(辰夫さん)でした。つまり…【志紀クリーニング】(三百坪)の三階の住居部屋4室が空いている」と言う事を以て…「無償(家賃無し)で住んで良い」…と言う提案(週3日・工場の仕上げ作業を手伝う条件)で在りました。其れは私にとっては願っても無い好条件で在り、卽、其の提案を受け入れました。それで、早速、其の工場の4階へ引越を致しました。然る後、1年立っても此の借家の契約の時に支払った敷金の返済問題らに埒(ラチ)が明かず、訴訟(昭和54年夏)を起こしました。然るに、此のヤクザ(暴力団)との関わり合いに於ける憂鬱な時期を何とか乗り切れたのは、彼の…《【buy chance】(昭和53年6月際会saikai)》…に在りました。此の事に関しては「別ブログ↓↓↓に記載しています故、其の詳細的な事は省かせて頂きます。

【№1】…『【彼女の母の秘密の言葉】成就(finish)…【元始・日本語の起元解明を我は此処に成功せり】』 ⇒  此処をクリックして検索の事)…続き ↓ ↓ ↓ 
http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11866004465.html 別ブログドラッグ若しくはクリックして検索の事)宜しく…

…此の続きは後日(誤字、脱字等の修正を兼ね)と致します事…宜しく…(以下【追記】2014/10/14/火曜)…

【私のインナートリップの旅】(自分探しの旅を脱したのは、奇遇にも二回目の…《【buy chance】(昭和56年年末頃)…際会saikai店名…【蕎麦処での出来事)》…に在りました。以後、此の出来事に起因し、其の【蕎麦処・力】と言う店で食事をする事が日常的(新聞を読む事が出来た)に成り、新聞を読む機会が増えたので在りました。従って、我が運命的…《「梅原猛著【柱と鳥について】(昭和61年8月22日金曜・毎日新聞夕刊記事)》…に遭遇する事が出来たので在った。つまり、梅原猛(哲学者)氏が著す夕刊(毎日新聞)記事を読み終えた直後、【私のインナートリップの旅】(自分探しの旅は此処で終わったと言う事をハッキリと私は認識(12年の歳月を経過していた)したので在りました。

…【自分探しの旅】を脱し、取り組んだのが、【鳥居】と【千木】の語元究明で在りました。つまり、【日本・神道】は、我が国固有の民族宗教で在る。従って、其の神道を象徴する神社の【鳥居】、及び【千木】の語元と、【日本・神道】の起元年は密接的に絡み合っていると考えたからで在る。然る意を以て、先ず、【千木】(昭和62年初夏頃)の語元を特定するに至る。従って【鳥居の語元】に関する反論的文面、且つ、【鳥居の語元解読】に成功した意をも兼ねた内容を書き記し、私は生まれて始めて、「毎日新聞社宛【梅原猛氏】に手紙を出した」ので在りました。然る後、其の「二週間目の金曜」(展望コラム欄は毎週金曜限定で在った)の夕刊記事の【展望】欄に、約、1年振りに梅原猛氏の記事が掲載(此の1年間程の毎日4新聞金曜夕刊記事は欠かさず目を通していました)されたので在りました。然るに、其の記事の【標題】、及び、【記事内容】は、前回(約1年前)の記事に言う縄文起元説とは一変し、「シュメル(シュメール表記は間違い) 起元説に始終する内容」で在りました。つまり、『シュメールとエジプト文明の語るもの』(副題…人類の傲慢警告する「ギルガメシュ物語」昭和62年8月28日金曜・夕刊記事)と記載されていました。…然る意を以て、梅原猛氏は、私の手紙を読んでくれたのだ、と勝手に決め込んだ次第で在りました。尚、其の後、1年を過ぎたにも関わらず、梅原猛氏の記事は全く記載されませんでした。

…以後、「学術的【千木】の語元」に関する文献収集に力を注ぎ、今(研究開始から今年を以て28年を経過す)、其の纏めを以て、【元始…日本(ヤマト)国家・起元年】を特定するに至った次第で在ります。従って、今後の若い人達に、此の研究を引き継いでもらう意に於いて、現在、日之本日本建国思想考古学』(日本民族学の立ち上げを目論んでいる処で御座います。



…此の続きは…『日之本(日本)建国思想・考古学』(日本民族学)…【№②】…と致します。 此処をクリック(検索)して下さい。