「家事が苦手だから炊飯器を捨てました!」  <Emileのコラム102> | 地球村研究室

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厳しい地球環境制約の中で心豊かに暮らすには?沖永良部島で実践しながら考えたいと思っています!!

 会社とは無論、会社法に基づいて設立された法人のことですが、こんなことをおっしゃる方にお会いしました。曰く『お社で会うのが会社』だそうです。お社で争いはなく、皆が感謝の気持ちを持って会うところです。それこそが真の会社のあり方だと…納得です。
京大の川上浩司先生が『不便の効用』を説いていらっしゃいます。不便だからこそユーザー側に工夫する余地が与えられ、習熟に繋がるという考えです。その一例として、レゴの様なブロック、マニュアルシフトの車、船で無ければ入れない京都の旅館などを挙げておられます。情報科学という視点からこのような発想が出て来るというのはとても素敵です。習熟とは無論人が育つということです、まだ、お会いしたことはないのですが、もう一つ進んで、不便では無く『制約』の中で育つ、それは自己であっても他者であっても自然であっても良いのですが、それこそが人を豊かにするという視点を入れたらどうなるのでしょうか? 是非一度お話を伺いたいと思っています。
同じく、物差しを変えるという視点でとても素晴らしい話を伺いました。先日お招きいただいた講演会でのことです。その席で、「心豊かな暮らし方と街つくりのかたち」の話をさせて頂いたのですが、僕の話を聞いた方から、『私は家事が嫌いだから炊飯器を捨てました、掃除機を捨てました』要約すればこんなお話を伺いました。実際にはそのお話の言い回しがとても素敵でもっとお話を伺いたかったというのが本音です。彼女曰く、10年選手の炊飯器が壊れ、土鍋でご飯を炊くことにした結果、炊飯時間は短くなり、器具の掃除も簡単になったそうです。また、最近の掃除機は、『中が透明でゴミが見える…どうしてゴミが見える方がいいのでしょう? 私は見たくありません。おまけに、掃除機をあちこちにぶつけながら掃除をするより、家の床はフローリングなので箒とクイックルワイパーで全く問題無いのです。』とのことです。炊飯器はお釜でご飯を炊くメカニズムを採用、お釜の味を炊飯器で!!と宣伝しています。一方では、土鍋で御飯を炊くとお焦げも楽しめて・・・・とこちらも宣伝がエスカレートしています。掃除機もサイクロンやら何やらの採用で、フィルター無しで強力吸引を宣伝し、クイックルワイパーも片手ですいすい、狭いところも・・・と、宣伝しています。でも炊飯器と土鍋、掃除機とクイックルが、市場であまり競合しているように見えないのはどういうことでしょう。恐らく、僕たちの思考の物差しは、お釜や土鍋から炊飯器への移行や箒から掃除機への移行が近代的な進化の象徴であり、抗えないものであるという意識から生まれた結果では無いのでしょうか? 一方では、今、土鍋や箒の使用は近代化の頂点にいる人達にとって、懐かしき昔を思う一つの象徴であるが故に、同時に並行して存在できる価値観のように思えます。
前述の『彼女』は、これとは全く違う意識で土鍋や箒を選びました。それは家事が嫌いというフィルターがあったから成立したのかもしれませんが、より便利で、より自分の意志が入れられる(ちょっと長めに火を入れればお焦げが出来たり、急ぎ過ぎるとゴミが上手く取れなかったり…)ものを選んだ結果、土鍋や箒にたどり着いたのでしょう。全く従来とは異なる視点、あたらしい物差しを見つけたわけです。下着の1枚や2枚なら洗濯機より洗濯板の方がはるかに簡単に環境負荷も小さ洗濯出来ます。そして、自らが介入できるということは自分を(手わざを通して)育てることにも繋がるのです。
確かな未来は懐かしい過去にあることの一端を見せて頂いた気がしています。とても良い勉強をさせて頂いたと思っています。『彼女』に感謝!!です。

                 Emile H. Ishida     2013年02月15日
地球村研究室も準備開始です、皆様のコメントを楽しみにしています!!http://ameblo.jp/emileishida