地球村研究室

厳しい地球環境制約の中で心豊かに暮らすには?沖永良部島で実践しながら考えたいと思っています!!


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 4月末、沖永良部島での植樹祭、来年は住民一人1本の木を植える!是非実現に向けて進みたい。

 

酔庵塾の皆さんと!制服姿で。。。。

 

5月始めには、初めて南砺市の城端曳山祭りにお誘いを頂き、出掛けてきた。御神像を積んだ6基の曳山と庵屋台がなんともおおらかなペースで進んでゆく、所望所ごとに止まり、庵唄を歌い、また次の所望所で・・・威勢の良い祭りも素敵だが、なんとも優雅な歩みに心を癒される。

覚えていらっしゃるだろうか、1年前我が家にやってきたヤギのハンナ(今はお隣さんに嫁入り)、ついに母に!! 元気な子供を2匹生んで母子ともにいたって健康!!

 

 さて、東日本大震災から5年が過ぎた。あの長くて強烈な揺れとその後の津波の惨事は未だに脳裏から離れることはなく、かえって年を追うごとに鮮明になっているようにも思う。あの津波で最先端といわれた堤防やさまざまな防災テクノロジーはことごとく破壊され、われわれが創り上げてきたものが如何に自然の前では無力であるかを実感したのは私だけではなかったろう。

 あれから、テクノロジーのあり方を自分なりに考え続けてきた。無論テクノロジーは人を豊かにすることが絶対条件ではあるが、一方ではその豊かさとは何か?それが今問われているのだと思う。利便性だけを追求するテクノロジーは人と自然やコミュニティーの関わりを切ってしまう。それが、核家族化や孤独死、女性の就労、子育てなどにも大きな影響を与えていることは間違いのないことだろう。では、テクノロジーを否定して昔に戻ればよいのか?残念ながら、人は一度得た快適性や利便性を容易に放棄できない欲の構造(生活価値の不可逆性)を持っており、それも簡単ではない。

では、求められる新しいテクノロジーのかたちとは何か?津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町でその試みの一つが始まった。住民が参加しなければ動かないごみ処理施設(BIO ㈱アミタ・バイオガス施設)である。現在の南三陸町は人口約12000人、震災で下水処理網を完全に破壊され合併浄化槽で対応している。またごみ処理は石巻市に委託、その費用や焼却灰の引き取りなど大きな問題となっていた。㈱アミタが考えたのは、ごみの内の生ごみだけを住民に分別してもらい、生ごみと合併浄化槽の汚泥を回収、醗酵させ、バイオガスと液肥に変換しようというアイデアである。バイオガスシステムに分別場は無い、住民の分別レベルが低ければこのシステムは動かないのである。

http://www.amita-net.co.jp/strategy/recycle/minamisanriku-bio.html

 3年前、1つの集落で分別実験が始まった。最初は全くだめだった分別レベルが日を追うごとに上がり、2週間もしないうちに完璧な分別を行ってもらえるようになったという。そして、分別した生ごみからバイオガスが炎を上げ、そこから生まれる液肥に住民の皆さんが見せた笑顔はとても充実しているようにも見えた。

 昨年の10月末、システムが完成し、いよいよ全住民を対象とした実証実験が始まった。一抹の不安もあったものの、それから半年、幸いなことに分別は99%近いレベルで継続し、年間4500tの液肥とバイオガス発電による21.9Kwhの電気が生まれる予定である。4月初旬、南三陸町で森里川海をつなぐテクノロジーが存在できることを多くの方に見ていただくためにシンポジウムが開催された。霞が関のお役人は無論、国内外から遠くの方々に参加頂いた。ミクロネシアのパラオ共和国では、早速のこのシステムの導入が検討されているという。

 今まで、ごみは出しておけば、誰かが持っていってくれ、知らないところで処分してくれるのが当たり前だった。水分が80%以上もあるごみを、大量の燃料を使って燃やし、大量の二酸化炭素を放出し、その焼却灰を埋める場所を求めてあちらこちらで訴訟が起こっている。これが、最先端文明といえるのだろうか? あらかじめ自分たちが出すごみを分別するだけでそれがエネルギーを生み出し、液肥は畑を豊かにする。

震災があった地域だから出来たことだろうか?そうは思わない。自分の暮らしに責任を持つことは誰にとっても素敵なことなのではないのだろうか?そして、たったそれだけのことで、従来に比べて建設費も維持費も圧倒的に安いシステムが動くのである。これは間違いなく、人をつなぎコミュニティーを創りだすテクノロジーであり、『間』を埋めるテクノロジーの一例なのだと思う。

 

 シンポジウムでは、すばらしい話もたくさん伺った。牡蠣業者の後藤清弘さんは、震災で船も漁具も自宅もすべて失った。その中で自然と正対することを改めて考え直したのだという。今までは、収量を上げるために、出来るだけ多くの牡蠣を、人よりも少しでもたくさんの牡蠣をと、密集させて養殖していたという。震災を経験して、牡蛎が湾を流れる海流をゆりかごにして、しっかり育つように、養殖密度を下げるために養殖量を1/3に減らした。その一方では、本当に育つのだろうか・・・それで暮らして行けるのだろうかと、眠れない日も続いたという。そして今、自然がその答えを出してくれた。何と、今まで収穫するのに3年かかったものが1年で収穫できるようになったという。そのカキを食べさせて頂いた。殻一杯に詰まった牡蛎は、プリプリして海の香りを濃く残し、まさに海の濃厚なミルクを感じさせてくれた。嬉しいことがさらに続いたという、養殖量が減ったので、作業量も少なくなり、朝早くから日没後まで休みなく働いていた生活から、日曜休日の生活に変化できたという。週末は家族でのんびりできるんです・・・・そういう清弘さんの日に焼けた顔が本当にうれしそうに緩んだ。

 今、牡蛎は養殖のエコラベルASCを日本で最初に取得することになり、『戸倉っこかき』としてブランド化し、市場からの評価も高いという。自然の恵みを頂く、自然と正対するということを改めて考えさせられ、教えて頂いたように思う。無農薬の米を作り、地域の活性化に奔走する人たちなど・・・・ 震災が色々なものの価値を改めて考えさせてくれた結果なのだろう。でも、震災が起こらないとこのような変化は生まれないのかという疑問も同時に生まれてくる。もちろん、そんなことは無いとは思うものの、どうやって多くの方々に気づいて、そして変化してもらうのか、そんな仕掛けを考えるのも僕たちの仕事だと思っている。

 

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 何と4Kgもの、大きなスジアラをゲット!! 銛で突いたものです、一度でよいから、自分で釣るなりしてみたい・・・ 凄い引きなんでしょうね・・・

・・

 この日のメニューは、立塩で締めたスジアラのカルパッチョ、きのこパスタ、我が家の野菜をたっぷり使ったサラダ、スジアラのアクアパッツア、そしてメインは、南三陸わかめ羊のラムステーキでした。ワインも進みます!!!

 

 東北大の古川先生らと進めているライフスタイル研究、その沖永良部島拠点が4月に知名町役場に生まれました。東北大学沖永良部島研究室『未来の暮らしを育む泉の創造』です!写真はその看板、文字は書家の木積凜穂さん、やわらかい文字で島にぴったりです。この『育む』という文字、その語源にもなった、お母さんが子供を生んでる様子なのだそうです。装丁には、芭蕉布を織っていらっしゃる長谷川さん、1960年頃までは島で蚕を飼って糸を作り、染め、織っていたそうで、その当時の紬作品を「あがり庵」の村上さんに布を提供して頂きました。とっても素晴らしいできばえです、感謝、感謝! みなさん、ありがとうございました。

 

さて、5―6月の出張予定です。

5月03―06日 南砺市

5月11―14日 東京

5月24―28日 静岡、東京、京都

 

6月20―25日 京都、東京、京都 

 

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 325日、お手伝いをさせて頂いた静岡県立「ふじのくに地球環境史ミュージアム」がオープンした。テープカットにも参加させて頂き、オープニングには先のブログにも書いたが、かぐや姫と浦島太郎、そして羽衣伝説を一つにした物語が披露された。まさに富士の国の新しい一面を見せて頂いたような気がしている。

高校の廃校を使い、世界で初めての環境史を主題にしたミュージアムでもある。ここでいう環境史とは、自然の循環あるいは生命の歴史とも言え、当然、人類が発生してからは地球における人類の位置づけも重要になる。
  

この展示を進める上では、色々と考えさせられることも多かった。日本だけに焦点を当ててもそれは極めて興味深いものがある。人間はこの数万年間、ほとんど変化していないことは明らかになっており、それは縄文時代の心を持ち続けていると言っても良いのだろう。1万年もの長きに亘った縄文時代は、戦争の無かった時代としても今注目を集めているが、その時代の暮らし方の構造は、畏怖と畏敬の存在であった自然の上に、これと強固につながった共同体が存在し、それに個(人)がつながった構造をしていた。聊か巨視的に見ることを許されるなら、このようなアニミズム型社会構造は1950年代初めまで続いていたのではないかと思っている。
 

しかし、この構造は工業化を基盤とした高度経済成長の下で変化を起こし始める。それは、個(人)の共同体や自然からの離脱である。工業化は人と自然との関わりを容易に切ってしまう。一方では工業化に伴う経済成長が、お金を絶対的な生活価値に変えてしまった。それは自然や共同体との関わりをお金を免罪符にして切ってしまったとも言える。自然のどのような恩恵を受けて生活をしているのか、人とのつながりがどれだけ人を癒してくれるのか、そんなことには頓着せず、あらゆるものがお金で買えるのだと錯覚してしまった。


その結果、何が起こったのか? 個(人)は肥大化し、徐々に、しかし深く共同体や自然を侵食し、このままでは人類そのものが維持できなくなるかもしれないところまで来てしまったのが現在である。それは2つの限界を生み出してしまったと言えるかもしれない。一つは、地球環境の限界である。ちょっとした快適性や利便性を求めた結果、地球の循環に幾何級数的な負荷を掛け、このままでは間違いなく文明崩壊の引き金を引くことになる、自分で自分の首を絞め続け、今まさに限界状態である。もう一つの限界は、消費欲求の劣化である。若者は『もの』を欲しがらなくなり、多くの『もの』が売れない時代である。3種の神器といわれた、洗濯機、テレビ、冷蔵庫は、とっくに普及率100%を超えているのに、次の3種の神器を産み出せなかった白物家電メーカーは、経営そのものの基盤が大きく揺らいでいる。車や他の商材もおっつけ同じ状態になることは明らかである。

 

今、求められるのは、個(人)を、あらためて共同体や自然に繋ぎ戻すことである。ただ、それは、昔に戻るということではなく、ますます厳しくなる地球環境制約の中でワクワクドキドキ心豊かに暮らせる共同体のかたちを紡ぎ出し、それと強く連携した自然を修復することに他ならない。
 

そのために、具体的に何を考えればよいのか? 一つには、個(人)の暮らし方のかたちを変えることである。それは、自立型のライフスタイル創出に向かうことである。現在のテクノロジーやサービスは、すべてと言っていいほど快適性・利便性を基盤とした依存型ライフスタイルを煽る方向である。しかし社会が求めているのは自立型のライフスタイルであることは、我々の研究でも明らかであり、この自立と依存の『間』を埋めることが求められているのである。

 

『間』を埋めるということは、ちょっとした不自由さや不便さという制約を知識や知恵や技を使って超えるということであり、これによって達成感や充実感、愛着が生まれることもすでに明らかになっている。
 

無論、これには個人の努力に負うところ大であるが、新しいテクノロジーやサービスのかたちがそれを牽引することも間違いの無いことである。そんなテクノロジーやサービスとは何か?これは、まさに間抜けの研究のテーマであり、その一つとして。近いうちに予兆を見つける研究会(予兆研)も開始する予定である。では、ライフスタイルの変革は共同体とどのように関わりあうのか、それも大きな問題は無い様に思う。例えば、制約を超えるために技や知識をお互いに融通し合うこともできるだろう。あるいは、一つの目的を持ったコミュニティーの中で相互に刺激し合い解を見つけることもできるだろう。そうすることによって、個(人)と共同体は色々な形で結ばれ、それは自然修復、例えば、森―里―川―海の繋がり再生にも展開できる。
 
  残された時間はそれほど長くはない。孫が大人になるまでに、それが当たり前の暮らしのかたちになっていて欲しいと心から願っている。

 














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