「仮名手本忠臣蔵」の吉良ならぬ高師直はなぜ「武蔵守」なのか? それは「武蔵=江戸=幕府」だから。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 安土桃山時代までは「鬼武蔵」と呼ばれた堀武蔵守長可など、「武蔵守」を名乗る武士は普通に存在しました。しかし、江戸幕府ができて以降、武蔵守という受領名は与えられる者はいなくなります。武蔵は将軍のお膝元だから恐れ多いからです。

 江戸時代の庶民は、暗に将軍のことを皮肉ったり批判したりするとき「武蔵屋の親爺」という隠語を使っていたといいます。
 「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件を芝居にしたものですが、登場人物名に実名を使うのは憚られるため、浅野内匠頭を「塩谷判官高貞」、吉良上野介を「高武蔵守師直」に仮託し、これは足利時代の話ですよ、という体裁にしました。塩谷判官も高師直も歴史上実在の人物で、しかも師直は実際に武蔵守だったので、お上も文句をつける筋合いはありません。

 そこで、舞台上では、判官(といえば正義に決まってる)が悪党に向かって「おのれ、武蔵守!」と叫びながら斬りつける、という、ものすごい刺激的なシーンが演じえあれるわけです。

 「将軍暗殺未遂事件」が、ここで描かれてるんですから。

 つまり、この「武蔵守」師直は単なる悪役ではなく「憎たらしい江戸幕府の象徴」であると観客には映ったわけです。

 綱吉は実は名君、という話が最近では語られます(私もそう思います)が、それでも江戸庶民にとっては「こんどの将軍は、何かと煩い命令ばかりする、うっとおしいヤツだ」という不満が溜まっていたのは事実らしいです。政府、権力者というのはいつでも悪役であり、江戸幕府の象徴である「武蔵守」という名前の親爺がやっつけられる芝居を見て、観客は溜飲を下げたのです。

 て話は「忠臣蔵とは何か(丸谷才一)」で読んだんですけどね。

 

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