「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」が人々をグッとさせる理由が、勘三郎の芝居のおかげでちょっと分かった | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 平成中村座「菅原伝授手習鑑」のはなし、昨日 のつづきです。

 「車曳」「賀の祝」「寺子屋」の三場を上演。名場面だけですが、ストーリーを追えるようになっています。

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 面白い、というか、三場とも登場する三つ子の長男「松王丸」が、三場それぞれ役者が違うんですね。中村勘三郎が出てくるのは三つ目の「寺子屋」だけです。体力的な理由と思われますが、「寺子屋」の松王丸がいちばんの見せ場だからでしょう。
 菅原道真の失脚事件をもとにした、いちおう歴史モノですから、好きな演目、と言いたいところですが。歌舞伎特有の「困った価値観」がいちばん色濃く出ていて、困った演目でもあります。つまり「なにかといえば切腹する」「忠義のためといって自分の子供を犠牲にする」、こういったことが平然と「美談」として語られる世界が、昔っから、どーにもなじめないんですよね。

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 「車曳」は、楽しいです。もとは菅丞相(道真)の恩を受けた親から生まれた三兄弟が、それぞれ別々の主君に仕え、その立場の違いから、対立して喧嘩して、見得を切る、そのへんが様式美です。
 「賀の祝」で、主君没落の責任を取って、親や妻の目の前で腹を切る桜丸、なんとかならんのかと思いますが、大人なんだから仕方ないでしょう。
 しかし、「寺子屋」は、ずーっと、どうかと思ってました。寺子屋をいとなみつつ、実は旧主の遺児・菅秀才を匿っている武部源蔵、それが発覚し「菅秀才の首を差し出せ」と命じられると、自分の生徒たちの顔をしげしげと見ながら「身代わりに殺すにはどれがいいだろう」とか思案する、教師の風上にも置けない、とんでもないヤツです。
 そこにちょうど、気品ある顔立ちの子供が入門してきます。グッドタイミングといって、その子の首を切って「菅秀才を殺しました」と差し出すのです。人間の所業とは思えません。こういうのを忠義というんでしょうか。江戸時代のひとは、どういう価値基準で、こういう話を見ていたのでしょう。
 その首実検をするのが、藤原時平(しへい)の家臣をやってる松王丸。ここでようやく勘三郎が出てきます(ここまで長かったなあ)。この松王丸、菅秀才の顔を良く知ってるはずなのに、思わせぶりな表情のあと、「間違いない」とニセ首を見逃してしまいます。これにて一件落着。
 ところが、このあとに種明かしがあります。
 その子供は、実は松王丸の息子・小太郎だったのです。このタイミングで息子を入門させれば、源蔵は必ず菅秀才の身代わりに使うに違いない、と読んでいたのです。そうすれば菅秀才を密かに助けることができる、と。ええー、それって人の親がやっていいことですか。なんか、ほかに手はないんですか。たとえなかったとしても、どうなんですか。
 と思ってみていると、勘三郎が「死ぬ特の息子の様子はいかがでしたか、さぞかし泣きましたか」と聞くんです。「主君の身代わりと諭すと、お役に立てて嬉しいと笑っておりました」。ここで勘三郎が、「・・・笑いましたか!」と搾り出すように言うんですね。この瞬間に、「ああ、なるほどなああああ!」とグッときてしまいました。なんか、分かったような気がしました。

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 歌舞伎の世界で、「忠義のために子供を身代わりに殺す」というのは、お決まりのパターンで、「伽羅先代萩」とか、こないだ見た「敵討天下茶屋聚」 とか、あらゆる人気演目に出てきます。つまり、このシチュエーションでわが子が死ぬのは、彼ら歌舞伎の登場人物にとって、理も非もない「宿命」なのです。
 つまり、事故や天災や病気と同じなんでしょう、たぶん。わが子が突然に死んだ、その運命をどうやって納得して受け入れるか。いわば「家族の重要な構成員が欠けた状態、人はどう生きるか」 という、小津安二郎の映画と同じ種類のテーマが、ここにはあるのです、たぶん。
 勘三郎の松王丸は、息子が天晴れ手柄を立てて「意味のある死に方をした」と泣きながら喜んで見せる、そうすることで「運命を必死に受け入れようとしている」のです。ここで、観客をグッとこさせられるか、観客を納得させられるか、これはもう演技力です。勘三郎はさすがプロの父親、じゃなかった、一流の役者です。「参りました」と言うしかないです。
 そんなわけで、この芝居がちょっとだけ分かったように思います。ちょっとだけね。