ハガレンチラシ

こんなに話題作だとは知らなかった。

最新の国内興行成績順位を見ると、
1位は文句ナシに『スター・ウォーズ エピソード3』だが、
2位がポケモンの新作、そして3位がこのハガレンなのだ。
『宇宙戦争』(4位)、『アイランド』(5位)よりも上。

一体、ハガレンって?

実は自分も今回、初めて見たのだが、
テレビで2003年10月から1年間、TBS系で土曜夜6時から
放映されていたらしい。関東では平均視聴率6%台、
最高視聴率でも8%台と、「サザエさん」なんかと比べれば、
そんなに大した数字じゃないように思える。

しかし、荒川弘の原作コミック『鋼(はがね)の錬金術師』は、
単行本(1~10巻)の累計で1500万部を突破、
DVDソフト(全13巻)は累計セル&レンタルで88万枚超、
ゲームソフト2巻の累計セールスは37万枚超、
ラルクのテレビ主題歌(第2弾)はオリコン1位、
コンピレーションCDとしても史上初の1位で28万枚突破、
そして映画前売り券も、12万枚売れたというから、
すでに「一部で大変人気がある」というレベルではない。

今まで、まったくノーマークで、ゴメンナサイってな感じだ。

映画(劇場版・鋼の錬金術師/シャンバラを征く者)は、
どうやらテレビ放映版の続きの話らしく、
自分のようにいきなり映画で初めて見た人は、
その世界観を理解するのに少し時間がかかる。
事前にDVDで予習しておくほうがいいかもしれないが、
それでも結構、面白く見ることができるので心配ない。

要は、錬金術師としての力を発揮できる世界と
行き来はできないがパラレルに存在する現世
(なぜかは知らんが、第1次大戦後=1923年のドイツ・ミュンヘンが舞台)
に、ワケあって別れて生きている10代の仲のいい兄弟、
エドとアルフォンス・エルリックの物語だ。

ちなみに、この映画の錬金術師の世界とは、
いわゆる「鉛などの違う物質から金を作り出す」
というような一般的な意味ではなく、
等価交換によってなんでも可能にしてしまう
(弟アルフォンスの命さえも、これによって
中身のない鉄の甲冑に植えつけられている)
というもので、そのパワーは尋常じゃない。

その力を現世で戦争に活用しようと企むドイツ軍----
といっても、錬金術師のいる世界にいた悪人が率いている。
つまり、パラレルな二つの世界では、ほぼ同じ人間が同時に
別世界で生きている----を阻止して、兄弟は同じ世界で一緒に
暮らせるようになるのか、というのが大まかなストーリーだ。

わかるかな? 説明がヘタ?(笑)

絵のテイストは少女マンガ系で、兄弟の話ということもあって、
ある種「やおい系」の雰囲気もある。女性ファンが中心なのは、
そんな絵のせいもあるだろう。主題歌のラルクのイメージとも
重なるものがあるし、なるほど女性ファンが多いのも頷ける。

自分はというと、どちらも決して好みとは言えないけど、
ヤマ場もあるし、オチもあるし、ナンセンスでもない。
結構、アクション・シーンなどもふんだんにあり、
弟の健気さには涙さえ誘う。

1200円もするパンフレットに長蛇の列ができるほど、
その世界観の魅力にハマッてる人が多い一方で、
「ボッてんな」と一部で反発の声もあるようだが、
概ねファンの劇場版に対する評判は上々だ。

ファンでない人が初めて見にいっても、
そこそこ楽しめるという意味では、
少なくとも総合評価★★★
をあげていいと思う。

ただし、DVDで予習して見に行って、ハマっても知りませんヨ(笑)。






アニプレックス
鋼の錬金術師 vol.1
AD
myfather(前回の続きです)

『マイ・ファーザー』で久々の主役(アウシュビッツ強制収容所の
人体実験指導者で戦後南米に逃亡潜伏したメンゲレ医師役)として
出演しているチャールトン・ヘストンのことを知らない人は、まず
史上最多のオスカー受賞作『ベン・ハー』を見てください。
(ただし、長いから覚悟して。総合評価は★★★★)



ワーナー・ホーム・ビデオ
ベン・ハー 特別版

かつては俳優仲間からの信望も厚く、『地上最大のショウ』『十戒』
『大いなる西部』『エルシド』『猿の惑星』といった大作映画を中心に、
50年代初頭から30年間、常に主演スターとして活躍してきた
名優であることは言うまでもない。御年80歳だ。

しかし、ここ20年以上はゲスト出演的な役柄がほとんどで、
最近はアルツハイマーになっていることも告白している。
ビバリーヒルズの大豪邸に住む、悲しい老人と言えなくもない。

そんな彼に「世紀の罪悪人」メンゲレ医師役をオファーした
無名のイタリア人監督(兼脚本)エジディオ・エローニコが、
「本来はその国の言葉ですべて喋らせるのがいいと思ったが、
出演依頼した俳優の関係で、劇中の言葉は英語で統一した」
と語っていることからも、チャールトン・ヘストンの出演には
最もこだわったと言っても過言ではないだろう。

実際、ヘストンの貫祿、セリフの説得力には圧倒される。しかも、

「この巨木も厳しい生存競争に勝った者だけが生き残り、ここに
立っている。ドイツ民族もこれと同様の危機の中にいるのだよ。
強くなって勝ち残らないと、劣等種に滅ぼされるだけだ」

と、ナチスのとんでもない理論を息子にとうとうと語る
ジャングルの場面は特に印象的。話す中身がとんでもないから、
余計にその台詞まわしの説得力の凄さが際立つ。これぞ名優!
(ヘストンの最後の代表作になるかもしれない)……
賛否両論の中身だったら、間違いなく説得されてしまうだろう。

当然、息子はそれを聞いて、思わず後ろから撲殺しようとするが、
父親は息子に殺されることを望んでいるかのように微動だにしない。

息子は父親の隠れ家を地元警察に通報しようともするが、
寸前で思い止まる。「なぜ、そうしなかったのか!」
と問い詰める弁護士インタビュアーに、息子は答える。
「私の父親だからだ」

もし、これがドイツ映画であったなら、一部の先鋭的な
勘違い人種たちから轟々の非難を受けていたかもしれない。
日本人が靖国神社参拝の正当性を俳優に語らせるようなものだからだ。
しかし、A級戦犯も原爆被害者も同じ日本人。靖国神社は、
「日本人の霊魂を等しく鎮める」という趣旨の場所であって、
外国人がその方針にとやかく口出しするのは文化的な否定に他ならない。
従って「戦争被害者の在日韓国人も一緒に祀れ」との訴えも、
残念ながらお門違いだ。

韓国人を「犬を食べる国でオリンピックなど開催すべきでない」と
非難した西洋人と同様(ソウルオリンピック前に韓国の犬料理店は
国策で激減したらしいが)、文化的な否定は心象を悪くするだけで
何事も根本的な解決には至らない。

ちなみに、江戸時代の農民の掟として有名な「村八分」とは、
「火事」と「葬式」だけは何びとであっても協力する、
という日本の伝統的な文化(風習)だ。
「火事」は燃え広がって周りに及ぼす災害を防ぐためで、
「葬式」は死んだ人にはもう罪はない(死者は神様となる)
という日本の古くからの伝統的な考え方に基づくもの。

宮崎駿監督作品のテーマも、平和と調和を愛する日本古来の
自然宗教的な価値観(八百万=やおよろずの神など)と
そのアイデンティティの復権(回帰)がベースにある、
と考えている。

西洋のように犯罪者の死体を掘り起こしてまでギロチンにかける
という文化とは、まったく異なるということを理解せずして、
靖国神社参拝の問題を語ってほしくない。


『マイ・ファーザー』が描いているのは人間的な話であって、
文化的な内容ではないけれど、ヘストンの台詞の中に
理論的思想の国ドイツの文化の一端が垣間見える。
実際、ネオナチがその考えを堂々と復活させ、
若者の支持を得ているのが何よりの証拠だ。
この問題の根は相当に深い。

このテーマは自分には重すぎる。
重い割には面白く見られるけれど、
決して楽しくなることはない……
総合評価★★★

でも、重く語りあいたい人には、オススメ。
チャールトン・ヘストンの最後の勇士が見たい人なら
必見でしょう!

銀座シネパトスでの上映は7月29日まで
(全国順次公開?)だそうです。

まだ、ギリギリ間に合う!
AD

マイ・ファーザー

『ヒトラー~最後の12日間~』ではヒットラーの部下役として、
『戦場のピアニスト』でもナチス将校役として出演している
トーマス・クレッチマン(旧東ドイツ生まれの俳優)が、
A級戦犯の父をもつ息子の苦悩を演じた『マイ・ファーザー』
(2003年=イタリア、ハンガリー、ブラジル合作)は、現在、
単館系で公開中の実話に基づいた重た~いテーマの新作だ。

そもそもA級戦犯とは、東京裁判で裁かれた、第2次大戦の指導的
立場にあった人々のこと。転じて、敗北者の重要人物を指す。

『マイ・ファーザー』で描かれているA級戦犯の父親とは、
ユダヤ人強制収容所(ポーランド・アウシュビッツ)で
数々の非人道的人体実験を行い、戦後南米に逃亡、
追われる身となったヨゼフ・メンゲレ医師。

特に双子に興味をもち、その被害者は3000人以上という
第2次大戦が生んだ悪の象徴的なイコンとして、
ヒットラーに次ぐ有名人といってもいい。

映画ではハッキリと名前は出てこない(役名=父)ものの、
1985年に白骨死体が発見されるまでブラジルで名前を変えて
隠遁生活を送り、その死体が偽装されたものではないかとの
憶測が、93年のDNA鑑定で否定されるまで物議をかもした
経緯などから、明らかに『マイ・ファーザー』とはメンゲレ
の話そのものである。

彼の息子は、幼くして父と離れてドイツで育ち、
ほとんど父親との接点はない。にも関わらず、
父の葬儀に現れた彼は、報道陣に取り囲まれ、
当時の被害者と思われるユダヤ人の老婦人から
「父親が罪人なら息子も同罪だ!」とツバを吐きかけられる。

実際、彼はいまだにメンゲレを名乗ることができず、
自分の素性を明かせない生活を密かに送っているらしい。
まさに父親の罪を償うかのような不自由な人生を
歩まざるを得ない状況で生きているのである。

そんな日本人はいないのではないだろうか。
60年以上前に犯したドイツの罪が、個人レベルにおいて、
いまだにその強い影響下にあるという意味では、
日本とは比べものにならないかもしれない。

そんな息子へのインタビュー取材の中身が、
この映画の中心となる物語だ。
息子に取材するユダヤ人の弁護士として登場するのは、
『アマデウス』のサリエリ役でオスカーを獲得した名優
F・マーレイ・エイブラハム。

実は、息子は生前の父親と一時だけ、両者の希望により
ブラジルの貧民街の潜伏先で一緒に過ごしている。
息子も父も、死ぬ前に一度は会って話がしたい、
そう思うのは当然のことだろう。

しかし、父親は息子の結婚相手の血筋を根掘り葉掘り尋ねて
純粋な白人であることを「見事な選択だ!」と褒めたり、
自らが行った人体実験が医学的に極めて有意義なものであった
ことに理解を求めるなど、反省の上に立った隠遁生活ではなく、
単なる逃亡潜伏生活であることに息子は怒りを覚えていく。

「私が世間に出て真実を話したところで誰が聞いてくれる?
問答無用で死刑にされるに決まっている…」

そんな父親を演じているのが、御大チャールトン・ヘストン。

マイケル・ムーア監督の名前を一躍有名にしたアポなし突撃取材
ドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』
(2002年=カナダ)で全米ライフル協会の会長として取材を受け、
「銃の所有はアメリカ国民が獲得した重要な権利だ」と主張して
ガンコな悪者のイメージが定着してしまった往年の大スターだ。

(総合評価は次回に……続く)





ジェネオン エンタテインメント
ボウリング・フォー・コロンバイン



ジェネオン エンタテインメント
ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX
AD

sw6ジャバ

『エピソード6』はシリーズ中、最も大忙しで、
最も多くのキャラクターが堪能できる(改訂版では
ヘイデン・クリステンセンさえ見ることができる!)、
初見参の人には最も楽しめる一本かもしれない。

実際、1作目の一本筋の通った勧善懲悪的展開と
2本目の見事なカットバック構成を合わせもつ
(旧3部作のオイシイとこ取り的内容の)
最もバラエティに富んだ総集編的作品とも言える。

逆に言えば、前半のハン・ソロ救出劇(タトゥイーン)、
イウォークの活躍とソロ&レイアの恋の行方(エンドア)、
スカイウォーカー親子の葛藤、デススターの再破壊、
などが一緒くたにシリーズ終結へ向け一気に展開されるため、
とても一本の映画とは思えないほどイメージがバラバラで
欲張りな一編にもなっている。

これは当初『エピソード7』以降のために考えられていた
ストーリーをすべて、この一編に入れ込んでまとめたという
話を裏付けるのに十分すぎるほど、その慌ただしさは
『エピソード3』以上のスピーディさで、
チャッチャと片付けられていく。

そう、まさに「うまく片付けられた」というイメージが
ピッタリの終幕の話なのである。

そもそもオープニングシーンからして、2作目から
何年も経っているような話ではないはずなのに、
もう半分以上もデススターが出来上がっているのだ!
(1作目のデススターは『エピソード3』の最後から
20年近くもかかって完成しているのに……?)

帝国軍のこの驚異のスピーディさには拍手喝采したいぐらい!
それなのに「工事の遅れを皇帝は懸念されておる」などと、
さすがベイダー卿ならではの無謀な冷たいお言葉。
かなり、ご都合主義的な話なのである。

しかも、再びデススターが登場してきたことにより、
もう最初のシーンで結末がだいたい読めてしまう!
という、あまりにも安易なストーリー設定に唖然。

シリーズ中、最も安易でご都合主義的な内容となっている
という点は否めない事実だろう。

『エピソード7』以降の話を一本にまとめたシワ寄せで、
それが明らかに時間軸において破綻しちゃってる!!
っていう感じだ。

ジャバ、ボバ・フェット、ヨーダ、皇帝、ベイダーと、
主要キャラクターが次々と軽やかに死んでいくのも、
シリーズ断トツのスピーディさだ。
新三部作や2作目にある重厚感は、この作品にはない。


とはいえ、最後の三つのシーンのカットバックの妙は、
シリーズ最高の盛り上がりと言ってもいい。
特にベイダーとルーク親子の戦いのドラマは感動的だ。

エンドアのスピーダーによる『ベンハー』ばりのシーンも、
まさにジェットコースターに乗っているかの如き楽しさ!!

また、旧三部作の特徴とも言えるコミカルな新キャラ
(『エピソード5』では、ヨーダの登場するシーンが
新三部作では考えられないぐらいコミカルじゃった…)
として登場してくるイウォークの存在も、他の作品では
ほとんど見ることができない『エピソード6』ならではの
ホンワカとした魅力をより印象づけてくれる。

ちなみに、コミカルな新キャラ路線は、『エピソード1』で
ジャージャーが不評だったことから、『エピソード2』以降、
完全に出てこなくなってしまった。おそらく観客のニーズが、
そうしたキワモノをこのシリーズに求めなくなったせいだろう。

これはもう時代の流れなので、仕方がない。
28年の間には当然、観客の趣味嗜好も変わる。


もう一つ、音楽のバラエティさも『エピソード6』は
シリーズ断トツのナンバー1だ。
1作目の「酒場のバンド」的な、ジャバ宮殿のポップなBGMや
「イウォーク・セレブレーション」のガチャガチャした楽しさは、
他の作品では決して聴くことができないボーカルものだし、
追加改訂が最も施されている特別編のラストシーンでは
ラテン風のピースフルな音楽に差し替えられており
(2枚組のCDアルバムでは両方聴ける)、
シリーズ中では一番ポップな仕上がりのアルバムとなっている。
また「イウォークのテーマ」「ルークとレイア」のテーマなど、
この作品だけで出てくるメロディも盛り沢山。
そこに新三部作で毎度登場してくる「皇帝のテーマ」が加わり、
2作目で登場した主要な3つのテーマもそれぞれ聴けるし、
前作ではご無沙汰だった「女王のテーマ」まで流れてくる。
そして、ジョン・ウィリアムズ本人が「最もお気に入り」という
「王座の間」の短いメロディも、最後にワンフレーズ登場する
(『エピソード3』にも出てきてファンを喜ばせました)
……といった具合に、最もアレもコレもとかき集められた
贅沢な内容(まさに総集編的!!)になっているのだ。

アルバム発売時はなぜか1枚組だったが、
ロンドン交響楽団の演奏も大傑作の2枚目より、
全体的に丸みを帯びて聴きやすいバランスでまとまっている
という印象だ。音楽においても『エピソード6』は、
入門盤として最もオススメのアルバムと言える。


というわけで、総合評価は★★★★
(忙しい『エピソード6』ならではの急展開でした!……笑)

ただし、シリーズの中で1本だけ見たいという場合、
満点をあげた『帝国の逆襲』より必ずしも面白くない、
とは決して言い切れないのが悩むところ。

つまり、これはあくまでシリーズの中の相対的評価としての★★★★
なのであって、他のシリーズの存在を何も考えないで見たなら、
もしかしたら『帝国の逆襲』より面白いかもしれない、
という逆転現象も起こり得る。

多分、これはリアルタイムで順番に見た人と、
いきなり見た人との印象の差みたいなもんで、
前者に該当する自分は、どうしてもシリーズの中の一本として
しか見れないからだ。評価と面白さが正比例しないこともある、
という評価基準の破綻をも引き起こす魅力が『エピソード6』には
ある(苦しい言い訳?)と、ご理解ください……。

いずれにしても、たくさん文句が言いたくなるぐらい、
『エピソード6』は面白い、ってことです(笑)。



John Williams, London Symphony Orchestra, Alfred Newman
Star Wars Episode VI: Return of the Jedi [Original Motion Picture Soundtrack]
ベイダー5
(前回の続き)


〔実話3〕黒澤明監督に詰問され泣いちゃった!!


ジョージ・ルーカス監督が黒澤明監督を師と仰いでいたのは有名。
実際、『スター・ウォーズ』(エピソード4)のラストシーンは
黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』のコピーともいえる。
そこで、ルーカスは『スター・ウォーズ』完成時に、
師匠に筋を通して試写してもらった。

ところが、師匠の反応は、
「音楽がうるさ過ぎる。なんで、こんなに音楽が必要なのか」
という内容の返答だった。

「この場面はなぜ音楽が必要なのか」と、
具体的に例を挙げて突っ込む黒澤監督に対し、
ルーカスは一つ一つ、そのシーンの音楽の必要性について
丁寧に答えたという。しかし、黒澤監督は納得せず、
「そんなに必要ない。音楽は最小限にとどめるべき」と、
真っ向否定の様相となり、ルーカスはついに泣いちゃったらしい。


そもそもハリウッド製の映画は、他の映画と比べて
全般的に音楽がふんだんに使われているのは確か。

『スター・ウォーズ』もその作法に則ったつくりといえる。が、
他の映画よりも多く(サントラ盤が2枚組になるほど)の音楽が
『スター・ウォーズ』には挿入されているともいえなくもない。
それについてルーカスは、師匠が納得できるような回答を
することができなかったわけだ。

そこで、私ごときが弁護することなど「出過ぎたマネ」である
ことは重々承知のうえ、今回はルーカスを弁護したい。


『スター・ウォーズ』は初公開された当初、その企画趣旨として、
「最近失われつつあったハリウッド全盛期の冒険活劇や連続ものの
西部劇などの胸踊らせるワクワク感や活気を映画に取り戻したい」
というものがあった。

惑星タトゥイーンの空港に、宇宙中から集まった無法者がたむろし、
そこで撃ち合いのシーン(ハン・ソロと賞金稼ぎ)が繰り広げられる
というのもその顕れであるし、さらに場面が切り替わるところで
かつて流行っていた回転ワイプなどが意識的に使われているのも、
そうした活劇の復古調を表す大きな特徴となっていた。
20世紀FOXの有名なファンファーレ(アルフレッド・ニューマン作)
でさえ、『スター・ウォーズ』で復活したと言っていい。
当時の20世紀FOX映画はマークが出てくるだけで、
しばらくファンファーレはなくなっていたのだ!

ただ、冒険活劇色・西部劇色は新三部作では薄れていった。
それでも回転ワイプなどは一本目からの統一したスタイルとして、
最新作においても常に使われていたはずだ。

また、これは当時の活劇に限らず、サイレント映画から
トーキー(音を伴った)映画に変遷する過程の時代
(1920年代後半~1930年代)においては、
セリフの少なさをカバーする感情表現の道具として
音楽が常にベースで使われていたのも事実。
つまり、連続活劇の復古調スタイルの一つの特徴として
音楽の存在を位置づけることもできたわけだ。

ルーカスがそうした論点を黒澤監督に話したのかどうかは、
私は知る由もないが、そう話せば師匠も多少は納得してくれた(?)
のではないだろうか……などと思う。

今になってみれば、ルーカス本人に確かめるしか方法はないが、
そのやり取りがショックで『エピソード1』までの約20年間、
黒澤監督が故人となるまで、ルーカスは恐れ多くて
監督業ができなかったのかもしれない。

しかし、監督が代わった2作目『帝国の逆襲』以降も、
決して音楽のある場面が少なくなったというわけではない。
むしろ、『エピソード5』は1作目以上に音楽が雄弁だ。
その後のシリーズの雰囲気を決定づけるような音楽の数々、
「ダースベイダーのテーマ」や「ソロとレイア」の愛のテーマ
(これは不安と期待の感情が入り交じった傑作です!)など、
すべては2作目から始まっている。後のシリーズに及ぼす影響力
という点では、『帝国の逆襲』の存在なくしては語れない。

1作目は、2作目を見るまで、その映像には興奮していたものの、
「能天気な冒険娯楽映画」の傑作としてしか評価されていなかった
ようにも思われる。事実、ハリソン・フォードを唯一の拾い物、
と評するマスコミまであったほどだ。

しかし、2作目が公開される時、前作が全9作のなかの4つ目の話
ということが公になり、急速に1作目の見方が変わってしまった。
そういう視点で改めて『エヒソード4』を見てみると、確かに
「ただの能天気な冒険娯楽映画」ではない描写が端々に見られる。


時々、もし1作目が売れなかったら「ルーカスは続編を作っただろうか」
と思うことがある。
そしたら、ルークの父がダースベーダーだということを
ほとんどの人が知らずに作品を評価せざるを得なくなる。
あり得ない話ではあるとは思うのだけれど、もし仮に、
『スター・ウォーズ』が1本だけで終わっていたら、
永遠に「能天気な冒険娯楽映画」として、この映画は
総合評価★★★★止まりだったかもしれない。

しかし、『帝国の逆襲』の公開後にその論点は通じない。
「そういう話だったのか!」と、当時はショックを受けたものだ。
話の中身もどんどん深みにハマるように加速度的に興味が湧き、
その時から真の『スター・ウォーズ』ファンになった人も
決して少なくないだろう。自分自身がそうだ。

興行的に唯一、全米で3億ドルを超えていないにも関わらず、
『エピソード5/帝国の逆襲』の評価が最も高いのは、そのためだ。
今、見るとCGの動きがぎこちなかったり、いくらでも文句を
つけようと思えばつけられるだろう。しかし、それ以上に当時の
「そういう話だったのか!」というショックは大きかった。
だから、私も無条件に『エピソード5』には総合評価★★★★★
を付けてしまう。しかし、この映画だけは、
他のシリーズの存在なくしては語れない。
事実、話としても完全につなぎの1本だ。

これはシリーズ全体に対する評価が『帝国の逆襲』によって
★★★★★になったのだ、と理解されてもいいだろう。

当然、シリーズの中の1本として1作目を見てみると、
その深謀遠慮な構想に、やはり総合評価★★★★★
をあげたくなる。ベイダーの残した双子が、
ルークとレイアだという話を1作目の時から想定して
『エピソード4』を作っていたのかどうか、
これだけは死ぬまでに本人に尋ねてみたい。


ただし、99年公開のデジタルリマスター改変版には、
気に食わないところもある。追加シーンの多くは、
タトゥイーンの空港で新たなクリーチャーなどが
登場する部分に集中しているのだが、
そのなかでジャバ・ザ・ハットのCGだけは、
『エピソード6』のイメージとの違和感が拭えなかった。

もともと、このシーンはヒゲもじゃの俳優にジャバを演じさせ、
初公開時では削除されていたその映像に『エピソード6』公開後、
上から新たにCGを被せたというのが真相なのだが、
ジャバに『エピソード6』の時の迫力がない。
『エピソード1』のジャバには迫力があった。
CG技術の限界といえばそれまでだが、
ちょっとガッカリした記憶がある。

そんなわけで、『エピソード4』は自分の中で
総合評価★★★★と、総合評価★★★★★の間を常に
行ったり来たりしている。これからも、
それはずっと続くかもしれない。



John Williams, London Symphony Orchestra, Alfred Newman
Star Wars Episode V: The Empire Strikes Back [Original Motion Picture Soundtrack]

sw4vs

ただ見るだけでも十分、楽しめる映画ですが、
ただ見ただけではわからないことも知っていると、
余計に楽しめる『スター・ウォーズ』のこと、

とことん楽しみたい方、予習・復習したい方、
あまりよく知らない方に、ちょっとした豆知識です。


[実話1]~1作目は、丸1年遅れで日本公開された!!

全米の『スター・ウォーズ』公開は、1977年のサマーシーズンですが、
日本では、1978年の夏休み前に公開されました。
なんと、丸1年、全米公開から遅れたのです!!

『スター・ウォーズ』の出来を見たスピルバーグ監督は驚き、
慌てて『未知との遭遇』の特撮シーンを撮り直したそうです。
ところが、日本では先述の理由から『未知との遭遇』が先に
公開(78年の2~3月)され、順番が完全に前後しています。

だから、私も含め「28年前」などと書いてる人がよくいますが、
正確には、日本では「27年前」なんです。

これは当時の配給会社が、全米歴代1位となる大ヒット記録を受け、
全米と公開時期を同じサマーシーズンにして、十分宣伝したい、
絶対コケることは許されない、と思ったからでしょう。
そのため、日本は世界で最も遅いタイミングで『スター・ウォーズ』が
封切られた国の一つとなりました。

結果、日本では『ジョーズ』の興収記録51億円に及ばず、
それを抜いたのは、やはり同じスピルバーグ監督の『E.T. 』
(99億円)でした。日本では『未知との遭遇』を超える大ヒット
ではあったものの、前述のスピルバーグ2作品には完敗し、
決して万人受けした映画とは言えませんでした。

実際、『スター・ウォーズ』の唯一の拾い物は、
「ハリソン・フォードだけ」などという意地悪な評論までありました。
そいつの顔、見てみたいですね(笑)、今でもそう思ってるのか、と。

ともかく、二人の監督が、その後の映画の方向性を大きく変えた
ことだけは確か。井筒監督は、それが気に食わないらしいけど。

スピルバーグ対ルーカスの第1ラウンドは、スピルバーグの優勢勝ち!!
と言えるのではないでしょうか。

なお、全米では『風と共に去りぬ』が40年近く保ってきた歴代記録を
塗り替えた『ジョーズ』の記録を軽く抜いて初の3億ドル以上を稼いだ
映画(その後、再公開された時の数字を足して4億ドルを超えた)となり、
「しばらく記録更新は不可能だろう」と思われていましたが、82年に
『E.T. 』が約4億ドルを稼ぎ、すぐに歴代1位の座を明け渡しました。

78年当時、ライバル会社は競合を避け、夏に目玉作品を
ぶつけるのを回避し、まったく違うタイプの映画や
大穴狙いの作品をラインナップしました。
そうしたなか、同時期に日本で公開された映画で、
『スター・ウォーズ』に次いで大ヒットしたのは、
ジョン・トラボルタの出世作『サタデーナイト・フィーバー』でした。

ディスコ・ブームの波が本格的に日本にも上陸、
77年から78年にかけて全米でビージーズなどの
ディスコ・ナンバーが次々と大ヒットするなか、77年10月、
『スター・ウォーズ』のテーマ(ミーコ)が2週連続1位となりました。
しかし、これは同テーマ曲のディスコ・アレンジ・バージョンで、
私は当然、サントラ盤(シングル)を買いました。

ところが、これは2分30秒程度の短縮盤で、
最初に主旋律を奏でるトランペットの音の部分がなく、
いきなり主旋律がホルンのところから始まり、ガッカリ……。
もう、そうなるとB面の「酒場のバンド」なんてどうでもいい感じで、
結局その後、当時は大枚だった3600円を叩いて、
2枚組のサントラ盤アルバムを買い直すことになりました。

ただし、それが大満足の出来だったかというと、
意外とそうは思っていませんでした。
当時のロンドン交響楽団の音はどこか乾いた音質で、
むしろ、その後に出た『スーパーマン』の2枚組
(これもジョン・ウィリアムズ作曲・指揮のロンドン交響楽団演奏)
のほうが好きでした。この音楽は、『スター・ウォーズ』と構成が
非常に似ているため、結構、区別できない人も多くいました。

しかし、81年公開『帝国の逆襲』の2枚組アルバムは大満足でした。
ここで初めて、「ヨーダのテーマ」や「ダースベイダーのテーマ」
(インペリアル・マーチ)が登場します。
いまだに、このアルバムが映画音楽の2代目キング
=ジョン・ウィリアムズの最高傑作だと信じて疑いません
(初代キングは、当然、ディミトリ・ティオムキンです)
……実際、アルバムの売り上げに関しては1作目より、
2作目(エピソード5)の方が売れています。

1作目で最も好きだったのは、「ベンのテーマ」(その後のシリーズで、
ジェダイのテーマ曲として何度も使われている)でした。
いまだ『スター・ウォーズ』シリーズのなかで、最も好きな、
最もシビれる曲です。


[実話2]~ベン(オビワン)役のオファーを三船敏郎さんは断った!!

これは有名な話なので、知ってる人も多いでしょう。
実際、当初のオビワンの絵コンテを見ると、完全に三船敏郎さんに
ソックリだという話です。「子供向けの映画には出ない」と断った
三船敏郎さんは、あとで「失敗したなぁ」と思ったんでしょう。

79年のスピルバーグ監督作『1941』への出演オファーには、
二つ返事でオーケーしたようです。

ところが、この映画こそ、とんでもないドタバタ・コメディ大作(笑)で、
興行的にも期待されるほどではなく、『ジョーズ』『未知との遭遇』に
遠く及びませんでした。完全な「選択ミス」と言えるでしょう。

しかし、もしオビワン役が三船敏郎さんに決まっていたら、
同シリーズのイメージも大きく違っていたでしょう。
『エピソード1』以降のオビワン役も当然、東洋人が演じることに
なっただろうし、日本人としては、その配役で見たかった……。

が、果たして、その方が結果的に良かったのかどうかは別問題。
アレック・ギネスのイギリス的なノーブルさは出なかっただろうし、
興行的にもこんな大ヒットシリーズになっていたかどうか…。

実際、クワイ・ガン・ジンを東洋人にすることはできたはず。
でも、そんな冒険は三船敏郎さん亡き後では、
考えもしなかったみたいです。

すべては、結果オーライ!!……でしたね。

(続く)




John Williams, London Symphony Orchestra, Alfred Newman
Star Wars Episode IV: A New Hope [Original Motion Picture Soundtrack]



John Williams, Alfred Newman, London Symphony Orchestra
Star Wars Trilogy (Box Set)
sw4ben
(前回の続きです)

1作目の公開当時、『スター・ウォーズ』に出ていたキャストで
唯一有名だったのは、オビワン役のアレック・ギネスだけだ。
彼は1956年に『戦場にかける橋』でアカデミー主演男優賞を獲得
したイギリスの名優。子供の自分でも知ってたぐらいだ。

そんなこともあって、オビワンは『エピソード4』で最も好きな
応援していたキャラクターだった。だから、ショックだった。

なんと最期は勝負を放棄する形で、ダースベイダーにやられる!
……というか、ご存じの通り、ベイダーにさえ死んだのかどうか、
わからないような「消え方」をするのだ。
オビワンは消えた後も、声だけがルークに呼びかけ続けていた。
『エピソード5』『エピソード6』では、その姿さえ現した。

死んだの? どっかで生きてるの?
この説明がなされるのは、『エピソード3』が最初だ。
もちろん、説明されなくても旧3部作のなかで、
オビワンは死んでもフォースの力で魂だけ存在し続けているんだな
ということは十分、理解できるから問題はない。

しかし、この体験が後に、このシリーズを見続けていくうえで、
大きなトラウマとして残ってしまった。


あっさり死ぬから、死んだのか、どうなのか、わからない!!


これはシリーズ全体の死の場面について言える。
あっさり死にすぎるのだ。

ヨーダがそうだ。『エピソード6』のヨーダは、出てきてすぐ死ぬ。
えっ? 死んじゃったの? うーん、どうやら死んだみたいだ……
そんな感じだ。『エピソード5』では、あんなに元気だったのに。

ジェダイ・マスターの面々だけではない。

ジャバ・ザ・ハットもそうだ。
彼が初登場するのは、正確には『エピソード6』だが
(『エピソード4』の登場シーンは後から追加された)、
1作目の公開時から名前は登場しており、ダースベイダーに匹敵する
強い「悪」のキャラクターを期待させる存在だった。
実際、『エピソード6』に登場した時、その貫祿に笑ってしまった。

ところが、これが完璧に間違いだった。なんともアッサリ、
しかもレイア姫に首を締められただけで昇天してしまう。
えっ? 死んだの? 戦いもせずに?……

これには呆気に取られてしまった。


賞金稼ぎのボバ・フェットも同様。
『エピソード5』での凄腕アウトローぶりから、
もっと凄い対決場面を想像していたのに、『エピソード6』では、
肝心な時にハプニングで「アーッ!」って落っこちて、一貫の終わり。
情けなさすぎる……ルーカスは自分が創造したキャラクターに
愛着がないのか! と、怒りだしたくなるぐらいだった。


アナキンの母親もそう。
『エピソード2』で、出てきた途端に死ぬ。
これはヨーダと同じパターン。
いくら『エピソード1』でいっぱい出てたからといって、
『エピソード2』から見た人に、それは伝わらない。
事前に1シーン、もっと登場させられなかったものか……。


パドメ・アミダラ姫もねえ……死ぬってわかってたけど、
『エピソード3』での活躍場面の少なさは致命的。
あれほど『エピソード2』で盛り上げておいた禁断の恋が、
ちっともドラマとして『エピソード3』に生かされていない。
まるで、過去の恋人がチョクチョク顔出してくるっていう
ぐらいのポジションでしかない。せめて、彼女の死は、
もっとドラマティックに盛り上げて欲しかった。


多分、これらのキャラをいちいち盛り上げて殺していたら、
何時間あっても足りないんだろうな、とは思う。


ないものねだりの期待ばかり……?
なんなら2時間半にしても良かったのに。
実際、『エピソード1』などで削除されたシーンを
DVD特典の未公開映像で見てみると、余計にそう思う。
他にもっと入れてほしい描写がたくさんあるのに……
と思いたくなるのは、自分だけじゃないだろう。


まあ、今回はえらく長くなったので、
これぐらいで止めておくとしよう(笑)。

こんなに文句を言いつつ、エピソード3の総合評価★★★★
っていう気持ち、十分に伝わっていただけましたでしょうか?

『エピソード7』が見たいよー!



1作目初公開時の体験談


マシュー・ストーヴァー, ジョージ・ルーカス, 富永 和子
STAR WARSエピソード3シスの復讐



パトリシア・C.リード, ジョージ・ルーカス, 富永 晶子
STAR WARSエピソード3シスの復讐―ジュニアノベル
sw-ewanえっ? タイトルが違うって?

いいんです。これが私の視点です。

『エピソード3』の評価にあたっての私の立場は、
先日すでに明確にしておきました(下記を参照)。

エピソード7は、あるのか?


簡単に言えば、思い入れの強いファンの際限なく高まる期待に
すべて応えられるわけがないので、大興奮しながらも必然的に
ファンは個人的な不満を大なり小なり抱えることになる、
ということです。


それでは、『エピソード3』に対する私の不満を
一気に吐き出しますよ! 覚悟はいいですか!?


まず、これはシリーズ全体に言えることなんだけど、
「みんな、あっさり死にすぎる!」ってこと。
……最期の場面ぐらい、もっと盛り上げてほしい!
活躍の場面が少なすぎる! と欲求不満になるキャラが多数いる。

(一応、納得できるのは、クワイ・ガン、ダースベイダー、
ジャンゴ・フェット、『エピソード6』の前半で初めて出てくる
ロボットみたいな将軍、ぐらい。4人もいれば十分?
いやいや、そんなことありません!)

その代表がジェダイの騎士たち。
まるでゴミのような扱いじゃないか!

私が新しい3部作に期待していたのは、
「クローン戦争」の全貌と共に、
ジェダイの騎士たちが共和国の平和を統治していた
「ジェダイ全盛期」の彼らの活躍ぶり。

『エピソード1』の時、ジェダイ評議会の面々が登場し、
「こんなにいたら名前が憶えられないなあ」などと
嬉しい悲鳴をあげていたが、『エピソード2』以降で
彼らが大活躍する場面を見れば、そのうち憶えられるだろう、
などと期待に胸を膨らませていたもんだが、
見事にその期待はあっさり裏切られた。

『エピソード2』で一人、ジャンゴ・フェットにあっさり撃ち殺される
ジェダイの騎士が登場するが、一人だけならまだ許せた。
ところが、『エピソード3』では、なんとまあ、
ジェダイ・マスターたちの間抜けなこと!

お偉い席に座っていたぐらいで、ほとんど活躍する場面もなく、
クローン兵たちに何の抵抗もなく撃ち殺される。みじめだ。
ジェダイの騎士の、しかもマスターたちがあんなに弱いとは!
オビワンの弱いクセに不死身のしぶとさと比べたら、
とても「マスター」などと呼べない。
こんなに簡単に死んでしまうなら、
オビワンなんて5回ぐらいは死んでなきゃおかしい。

ジェダイ最強の騎士であるはずのマスター・ウィンドウ
(サミュエル・L・ジャクソン)も、呆気ない最期だ。
確かにシスを追い詰めた強さは、ヨーダ以上だったかもしれない。
しかし、『エピソード3』において活躍したのは、
その最期の一瞬だけ。ワーッと飛んでってオシマイじゃ、
あまりに物足りない……「最強」の肩書が泣けてくる。

強敵だったはずのドゥークー伯爵(クリストファー・リー
……『ロード・オブ・ザ・リング』でも死の場面がカットされ、
半端な印象で終わっていましたが……)
にしても、『エピソード2』ではあんなに強かったのに、
アナキンの前に一刀両断でお陀仏。
ヨーダでさえ、いい勝負だったのに……。

アナキンがそこまで強いなら、オビワンが最後に勝てるはずがない。
圧倒的にアナキンが押しているなかで、オビワンに一瞬のスキを突かれる、
っていうぐらいの対決でなければ、とても納得できないヨ。
にもかかわらず、二人は互角のいい勝負をしてる。

この最後の対決が、『エピソード1』における
「ダースモールvsクワイ・ガン+オビワン」や、
『エピソード2』における「ドゥークーvsヨーダ」よりも
手に汗握る盛り上がりだったとは、決して思わない。

もちろん、アナキンが燃え盛るシーンは
頭にこびりついて離れないほど強烈だったし、
その結果を誰もが知りながら見ていたせいもあるだろう。
これに関しては仕方なかったのかな、とは思う。

けれど、ダースモールに関しては、もっと活躍してほしかった。
あの風体は、シリーズ最強の「悪」を予感させるに十分だった……
が、期待がデカ過ぎた。

ダースモールは、ほとんどクワイ・ガンを葬る程度の活躍しかしてない。
彼の「強い悪役」ぶりをもっと見たかった。もう死んじゃったの?
ってなもんだ。これには少しガックリきた。

それも、これも、すべての原因は、28年前(第1作目)に遡る
……オビワン(ベン)の死の場面だ。


(次回に続く……!!)





STAR WARSエピソード3シスの復讐写真集



ジョナサン・W.リンズラー, 高貴 準三, 富永 晶子
アート・オブスター・ウォーズエピソード3シスの復讐



ジェームズ・ルシーノ, 富永 晶子
スター・ウォーズ エピソード3 キャラクター&クリーチャー



河原 一久, 矢地 雄
スター・ウォーズ エピソード3快適副読本
最も強烈に、「それまでの話がまったく意味がない」……

という「大どんでん返し」で、完璧にダマされてしまった映画が

『オーソン・ウェルズのフェイク』(1975年)だ。


言うまでもなく、監督は20世紀の怪物、オーソン・ウェルズ。

主演、というか、パーソナリティとしても登場する。


さすが、『宇宙戦争』をラジオドラマ化した『火星人襲来』の見事な演出で、

全米を恐怖とパニックに陥れた実績の持ち主だけのことはある。

今回も見事に彼のダマシのテクニックの餌食となってしまった……

……なんという快感……!!


ダマされた後ですら、それまでの話が

にわかに「虚構」だと納得するのに時間がかかってしまうほど、

なんとも見事な真に迫った演出なのだ!!


『フェイク』も、『火星人襲来』と同じドキュメンタリー的手法で、

ピカソの贋作作家に隠されたバックエピソードが語られていくのだが、

これがまた実に興味津々な内容で、グングン引き込まれていく……



ああ~~、どこまで話していいんだろう!!

ここまで話といて、今さらなんだけど、あとは実際に見てほしい。

『火星人襲来』から約30年後に発表された『フェイク』は、

オーソン・ウェルズの実力を垣間見ることができる傑作だ。


やはり、オーソン・ウェルズは「ダマシ」の天才だった!


問題は、2度目に見る時、もうダマされることがないってこと。

一度目の快感が、おそらく2度目で上回ることは絶対ないはず。

そもそも、2度目を体験したいと思うかどうか……。

それぐらい強烈な初体験が得られるけど、

それがこの手の映画の限界、なんだよね……。

総合評価★★★★


なんだかセックスの話をしてるみたいになってきた。

決して、誤解のないよう……(笑)



ジェネオン エンタテインメント
オーソン・ウェルズのフェイク

迷宮の女

慌ててトラックバックセンターの「大どんでん返し」企画、最新作です。

現在、劇場公開中のフランス映画『迷宮の女』は、

まさに「大どんでん返しな映画」

と言えるでしょう。

完全にダマされました。


問題は「大どんでん返しな映画」は、うかつにネタバレできないってこと。

誰もが知ってる『スティング』(1973年)のような昔の名作なら、

話してもいいかもしれないけど、それでも、

見てない人のことを考えるとねぇ、どこまで話していいものか

……難しいところですよね。



さて、『迷宮の女』(ルネ・マンゾール監督の長編6作目、

彼の作品を見るのは、これが初めてです……)だけど、

これは多重人格者が主人公のスリラー映画。

といっても、そんなに怖くはないから大丈夫。

安心して謎解きミステリーが楽しめる。

自分のように何も知らずに見たら、まず99%の人はダマされること

請け合いだ。疑り深い人だと……なおさら、やられるかもしれない。


『スティング』の例に漏れず、「大どんでん返しな映画」の醍醐味は、

「ダマされる快感」……あなたも、ダマされるのがお好き?

もちろん、現実の世界で詐欺に遭うのはゴメン被りたいけど、

映画の世界で見事にダマされるのは、楽しい。

だから、「ヒントも知りたくない」という人は、ここから先、

読んではいけません。いいですね、警告しましたよ。



多重人格で病院に収容されている主人公のクロード

(実は、この名前自体が、すでに大きなヒントとなっている)

を演じているシルヴィー・テスチュは、『真実の行方』(1996年)の

多重人格者役で有名になったエドワード・ノートンばりに、うまい。

彼女は精神分析の知識がかなりあって、患者たちを扇動する才能に長けている。

現実にいたら絶対、関わり合いたくない女だ。


彼女の精神分析を依頼される担当医が、ランベール・ウィルソン。

『女優マルキーズ』でソフィー・マルソーとは3度目の共演を果たし、

『キャット・ウーマン』ではシャロン・ストーンの夫(社長)役で出ていた。

最近、『マトリックス』や『タイムライン』など、脇役ながら

ハリウッド映画への出演作も増えている2枚目俳優。


この二人のやり取りが中心となって、クロード逮捕までの物語も

丁寧な描写で随時挿入されていく、という2段構えの展開だ。

……だから、きっとダマされてしまうんだな。

疑問を挟む余地がない。どんでん返しがなくても、

多分それなりに成立してしまう映画なんじゃないかと思う。


だからなのか、最後の最後にダマされたとわかった瞬間、

それまでの物語がすべてリジェクトされてしまう。


つまり、「その最後のタネあかしの瞬間のために、

この映画はあったのか」と感じられてしまうと途端に、

それまでの話がどうでもよかったかのように思えてしまうのだ。


気持ちよくダマされるラストのために、気持ちよく内容も忘れてしまう。


「それって、映画としてはいいことなんだろうか?」

という新たな疑問が皮肉にも生まれることは、

監督にも予想外だったのではないだろうか。

というわけで、総合評価★★★


©2003 PLAYTIME / ALEXIS FILMS / M6 FILMS / SYNAPSES ENTERTAINMENT


「迷宮の女」公開劇場&詳細ストーリー





ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
スティング




パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
真実の行方