
先日、オネ富士子さんから『亡国のイージス』について
次のようなコメントいただいた。
「あの映画にそれなりに満足されている方が意外に多い
ことにも、映画以上にショックだったりしました」
確かに、それは意外というか、ショックというか、
不思議というか……。
どこで、どう間違っても褒められた出来の映画じゃない。
何がそんなに良かったのか、本気で皆そう思っているのか、
「好評」な感想のブログ記事が比較的多かったことについて、
なぜそうなってしまったのか、ちょっと考えてみた。
もちろん、以下は仮説で、その複合的な理由の結果ではないか
と思われるが、その要因を挙げてみようと思う。
〔1〕アメリカ映画好きの人は、ハナっから興味がない?
……アメリカ映画、特に娯楽映画の王道を行くハリウッド作品が
好きな人にとって、『亡国のイージス』自体に興味がないとなる
と、当然、映画を見ていないので感想など書けない。見た人なら
数々のアクション映画と比較して、比較するのもおこがましい程
のレベルであることは一目瞭然なので、文句もたくさん出てくる
はずなのだが、ハナっから興味もなく、見ていなければ、文句の
つけようがない。悪評が多く出てこないのも、それなら納得だ。
〔2〕日本映画好きの人の意見が重なり流れができちゃった?
……自分の国が一番好きなのは、どこの国民も一緒。日本人が
「日本映画が一番好き」というのもわからないわけじゃない。
そういう人たちは映画に限らず日本人のドラマばかり見ていて
天下の趨勢がわかっていないため、相対的な評価ができない。
比較対象が日本映画中心であれば、当然、評価は甘くなる。
ただ、そんな人が多数派とは思えない。日本映画好きの特徴は
娯楽映画に対する評価が低く、CGを使いまくっているような
ハリウッド大作を親の敵みたいに非難し、日本映画を擁護する。
実際、そういう評論家を時々目にする。そんな人たちに限って
自分だけが芸術をわかっているみたいな自信家が多く、堂々と
日本人の感性と芸術性を最大評価する。こうした人たちの意見
が重なって、ある程度の数になると一つの評価の流れを作って
しまう。その可能性も強いのではないだろうか。
〔3〕日本映画にしては、という低次元な比較評価が誤解の元?
……もっとも多くの日本映画好きは、外国映画もよく見ていて、
天下の趨勢をわかっている人たちだ。そんな人たちの常套句が、
「日本映画にしては……」という書き方。実際、そういう感想が
『亡国のイージス』に関しても結構多くのブログで見られた。
「日本映画にしては、迫力があった」とか、「日本映画にしては
アクションシーンが良かった」とか、つまり、最初から比較対象
の出発点が低い所からの上乗せ評価だから、まるでとってもいい
映画だったみたいに語られ、誤解が誤解を生んで好評価が広がる
という現象が考えられる。相対的評価は比較対象が狭い場合に、
とんでもない誤解を招くことが往々にしてある。
よく見るパターンが、2億ドル近くも稼いだ大ヒット作をさらに
高いレベルのスーパーヒット作と比較して「興行的に失敗した」
と評してみたり、数千万ドル規模のヒット作を他の独立系小規模
公開の映画と比較して「大ヒットした」と、なんの注釈をつけず
に語ってしまうような書き方だ。当然、知らない人が見たら誤解
を招く。2億ドルと数千万ドル、どちらが興行的に稼いでいるか
は、数字を出せば説明するまでもないのだが、こうした書き方が
誤解の元になるケースは意外と少なくない。
〔4〕アメリカ映画以外は露出度の多い評論家に左右されやすい
……感想(個人の絶対評価)は当然、人それぞれでいいんだけど、
評論家が単なる感想を述べているだけではまったく価値がない。
相対的な評価も必要だ。にも関わらず、単なる感想を述べている
評論家とは言えないようなライターやコメンテーターが最近では
非常に増えている気がする。そんな状況で、比較的露出度の多い
コメンテーターが『亡国のイージス』を褒め、それを聞いて影響
された人が多数出てきてしまった、という可能性も考えられる。
アメリカ映画の場合は、そのパターンが難しい。なぜなら、全米
公開された時点で、ヤフーのムービーサイトなどで米国の評論家
や観客の評価をしっかり確認することができるからだ。そのため、
『宇宙戦争』のように情報統制された日米同時公開作品になると
感想が真っ二つに割れたりする。日本映画もそうした事前の指標
がないために、評論家の意見により左右されやすいという傾向が
強い。これを覆すような真っ向対立する意見で後から大きな流れ
を作るのは極めて困難な作業で、相当な意思とパワーと説得力が
必要になる。日本の評論家は一般人と比べ、日本映画好きの割合
が多いような気もするので、余計やっかいになる。
〔5〕ブログの性質が偏った意見を培養させてしまう
……ブログを始めて感じたことだが、真っ向対立する意見の人に
トラックバックは非常にしづらい。例えば、「とても感動した」
というブログに、「最悪だった」という意見をトラバしたりする
と、まるでケンカ売ってるみたいに思われる(小心者?)。逆に
「最悪だ」という感想に、「最高だ」という意見のトラバも気が
引ける。すると、必然的にコメントやトラックバックは近い感想
の人たちが集まり、偏った形で意見が純粋培養されてしまう。
となれば当然、アクセス数の多いブログの意見が多数派を占める
ことになり、より多くの人がそれを目にして、それに近い意見や
感想にしておいたほうがトラックバックしやすいな、と流される
人が多く出てきたとしても決して不思議じゃない。意外とそんな
ケースも多いんじゃないだろうか。
自分は決して人の感想に左右されない自信はある。それでも、皆
が「最高」と言ってるものに「最悪」と言ったり、逆に「最悪」
と皆が書いてるのを見て「最高だった」と書くのは、結構勇気が
いるもんだ。そういう意味では、『亡国のイージス』に満足して
いる人が意外と多くいるように見えても不思議ではないのかな、
と良心的かつ前向きに解釈したいと思う。
オネ富士子さん、こんなところで納得いただけましたでしょうか?
「亡国のイージス」評価記事