加藤雅彦「ハプスブルグ帝国」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「第二次世界大戦と冷戦時代を生きてきた大部分の現代人には、『中欧』という言葉はなじみがうすいが、戦前のヨーロッパでは、欧州中央部を一般に『中欧』と呼んでいた。ヨーロッパを東と西でしか考えなかったこの半世紀は、その意味ではむしろ異常な時代であったといえよう。」

 

「『中欧』の範囲は、必ずしも定説があったわけではないが、地理的には、フランスとウクライナの間の地域、歴史的・文化的には旧ハプスブルク帝国の領域をさす場合が多かった。『中欧』はドイツとのかかわりが深いので、しばしば『ミッテル・オイローバ』とドイツ語で呼ばれる。」

 

「この地域の大部分の国々は、大戦前には一般に『中欧』の一国として自らを意識していた。彼らは数世紀にわたって歴史・文化を共有してきた。オーストラリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、クロアチアはもちろん、ポーランド、ルーマニア、ウクライナ、イタリアの隣接地域一帯も、しかりである。これら『中欧』諸国の人々は、『西欧』とも『東欧』とも異なる独自のアイデンティティをもって生きてきたのである。その中核をなしてきたのが、ほかならぬハプスブルグ帝国であった。」

 

 歴史の教科書にあるセルビア人によるオーストリア大公暗殺事件をきっかけに第一次世界大戦がはじまったという記述の背景がやっとわかった。