加藤雅彦「ハプスブルク帝国」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「神聖ローマ帝国」まことに実体のつかみがたい名称であるが、ハプスブルク帝国の歴史は、ライン上流の田舎領主が、この国の帝冠を手にすることから始まるのである。その神聖ローマ帝国とは、いったいどんな国であったのだろうか。」

 

「当時、ヨーロッパの中央部は、神聖ローマ帝国の支配のもとにあった。その領域は、ライン流域、ドナウ流域、アルプス、ボヘミア山地へと広がり、ドイツ民族を主たる構成民族とした。しかし帝国とはいうものの、それは今日の我々の常識とはおよそかけ離れた国家であった。帝国は数多くの公領(バイエルン、ザクセンなど)、地方伯領(テューリンゲン)、辺境伯領(ブランデンブルグ、オーストリアなど)といった大小さまざまの諸侯国や、王国(ボヘミア、イタリア)から成り立っていた。したがってそれは、統一された中央集権国家とは程遠く、また古代ローマ帝国のように、すべての道が通じる都をもっているわけでもなかった。」

 

「支配者たる神聖ローマ皇帝にしてもそうであった。当時イギリスやフランスでは、王位を一族で代々受け継ぐ世襲制が確立されていたのに対し、神聖ローマ皇帝は選挙によって選ばれていた。選帝侯といわれる諸侯の中の有力者が、皇帝を誰にするかを決定していたのである。彼らによってまずドイツ国王が選出される。そのあと国王は、さらにローマ法王から帝冠を受けることによって神聖ローマ皇帝の地位についていた。」

 

  ヨーロッパの歴史を読んでいてつかみどころのないのが神聖ローマ帝国という名称であった。