アレハンドロ・ホドロフスキー監督、ブロンティス・ホドロフスキーイェレミアス・ハースコヴィッツパメラ・フローレス出演の『リアリティのダンス』。2013年作品。EO18版。



1930年代。軍事政権下のチリの小さな町トコピージャ。アレハンドロ・ホドロフスキー少年(イェレミアス・ハースコヴィッツ)は、厳格な父親ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)と息子を自分の亡き父親の生まれ変わりだと信じている母親サラ(パメラ・フローレス)とともに暮らしていた。ロシア系ユダヤ人のために皆から苛められていたアレハンドロに父は男らしさを強く求める。


ホドロフスキーの23年ぶりの最新作。

先月観たドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』の最後でこの最新作のことがちょっと述べられていて、せっかくだから観ておこうと思い劇場に行ってきました。

ホドロフスキーの自伝が原作らしいですが、読んでいません。

自伝といってもホドロフスキーの映画なので、とても事実とは思えない出来事や風景が映しだされる。

ナレーションを務めるだけでなく時々ホドロフスキー本人が画面に登場して観客に語りかけ、最後はイェレミアス・ハースコヴィッツが演じるアレハンドロ少年とともに舟に乗って去っていく。

 


まぁ、通常の自伝映画とはかなり毛色の違った作品なわけです。

パンフレットの中でホドロフスキーが「リアリティのダンス」というタイトルの意味を説明していたけど、読んでも意味がわからなかった。

予告篇を観て、ちょっとフェデリコ・フェリーニの映画が思い浮かんだりした。サーカスも出てくるし。

そしたらインタヴューでホドロフスキーが「フェリーニの真似じゃない」と言っててちょっと可笑しかった。やっぱり気にしてるのかw

僕はホドロフスキーの映画はこれまでに2本ぐらいしか観てないんだけど(記憶が曖昧)、その中でも好きな『エル・トポ』のような娯楽作品ではないことはわかっていたので、観終わったあとも「うん、まぁこんなもんかな」と。

シュールレアリスティックな場面もあるけどけっして難解ではなく、お話自体はちゃんと追うことができる。

ちょいちょい珍奇なイメージが挟まれるんで笑えたりしますが。

シュール、ってゆーか、おっさんとおばさんの全裸姿が何度か出てくるんだけど。

あと、他の人よりも背が低い人や手足がない人たちも多数。

なんだろ、北野武のヴァイオレンス物以外のアート系の映画に似てるところもある。

浜辺に大量に打ち上げられた魚を求めて無数のカモメが飛んでくる映像でCGが使われていて、意表を突かれる。

これまで僕が観たホドロフスキーの映画はデジタル以前の70年代に撮られたもので、ホドロフスキーといえばアナログ、というイメージがあったものだから、「え、この人もCGとか普通に使うんだ」と。

ちょっと大林宣彦っぽかったりもする。いや、CGやデジタル合成をいかにも紙芝居的に作り物っぽく使用する大林監督よりもホドロフスキーの方がよっぽど写実寄りですが。




まずこの映画を観ていて気になったのは、相変わらず映画のために動物が殺されていること。

先ほどの大量の魚の死骸、そして生きたまま内臓をえぐり出されるロバ。

誰も指摘していないが、あれどうなってんだろう。ホドロフスキー先生、殺した動物は残さず食べてるんでしょうね?

『エル・トポ』でも大量のウサギやロバが殺されていたが(ホドロフスキーはなんかロバに恨みでもあるのか?)、“たかが映画”のために動物を無益に殺生することについては誰がどんなに偉そうな「芸術論」をぶとうが許されることではないと思うんで、その辺り自称・アーティストたちは勘違いしないでいただきたい。


結論からいうと、期待してたほどぶっとんだ映画ではなかった。

もっといえば、北野武の例でもわかるようにフェリーニのパチモンっぽく見えてしまうところもあって、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』を観た時のようなヤバさは感じませんでした。

それはすでにホドロフスキーの名声を知ったうえで観ているから、というのもあるけど、なんだろな、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』の方がもっとお金かかってるように見えたのです。

それでも今回の映画の製作費は400万ドルらしいけど、火事で建物が燃えて消防車が駆けつける場面がいかにもそのために作ったセットっぽかったり、戦車がベニアみたいな板に描かれた絵を車の両側に貼っただけのものだったり、モロ低予算な場面がいくつもある。




低予算映画でリアルなセットを組めない時に舞台劇的な簡素なセットで誤魔化して「演出」として見せることがしばしばあるけれど、まさしくそんな感じでしたね。

「その他大勢」に仮面を被せて画面を抽象化したり。




日本映画にも同じようなタイプの作品があるから、なんとも既視感溢れるものがあった。

基本的にこの映画は、映画というよりも“コント”なのだ。

ホドロフスキーはもともと前衛的な演劇をやってたそうだから、そのテイストをまんま映画でやったということなのかもしれない。

映画の中で少年たちが並んで集団ONANIEをする場面があるんだけど、この時彼らは木製のディルドー(張形)を一所懸命シゴくのだ。

下ネタコントでしょ?^_^;

まぁ、もしこれが70年代だったら、ほんとに少年たちに自分のティンコをシゴかせてた可能性もあるが。

あ、今回“ティンコ”とか“ティンティン”とか連呼しますので、そういうの不快なかたはご遠慮くださいませ(記事消されちゃうかもしれないが…)。

ホドロフスキーはユダヤ人のため、少年時代には同世代の者たちからその鷲鼻や割礼を受けたキノコ型の剥けチンをずいぶんとからかわれたらしい(アレハンドロの少年期を演じているイェレミアス・ハースコヴィッツは鷲鼻ではなくてまるで女の子のような美少年だし、ティンティンは見せませんが)。

いじめに遭って思わず身投げしようとするアレハンドロ少年を老齢のホドロフスキー自身が押しとどめて言う。

苦しみに感謝しなさい。そのおかげで君は私になるのだから

 


どうやらその時の心の傷が、彼がその後ティンコにこだわるようになった(?)理由の一つらしいことがわかってくる。

もうこの映画、おっさんのティンコ祭りなのだ。

しかもティンコ出してるのは、監督の実の息子ブロンティス・ホドロフスキー。

この人、『エル・トポ』では監督みずから演じる主人公エル・トポの幼い息子を演じていて、この時も全裸で可愛いティンティンをプラつかせていた。

40年以上経っても親父にムスコを弄ばれている息子。不憫である。

ちなみにこの映画にはブロンティス以外にもホドロフスキーの家族がかかわっていて、ブロンティスの弟のクリストバル・ホドロフスキーはアレハンドロ少年を導くスキンヘッドにフンドシ姿の行者を、さらにその下のアダン・ホドロフスキーは大統領を暗殺しようとするアナキストを演じ、この映画の音楽も作っている。

 


そして父アレハンドロの妻パスカル・モンタンドン=ホドロフスキーは衣裳を担当。

ホドロフスキーだらけ(^o^;

自伝映画ということなので僕はてっきり主人公はアレハンドロ少年だと思っていて、確かに前半では彼についてのエピソードが描かれるのだが、やがて彼の父ハイメにまつわる物語へと移っていく。

ハイメは厳しい父親だったらしく、映画の中では息子に麻酔無しで歯を抜かせたり、「オカマか!」としょっちゅうひっぱたいたりする。

最初アレハンドロは金髪のカツラを被っていて、それはどうやら母親の望みに従って彼女の父親の金髪を模していたらしいが、ハイメに命じられて剥ぎ取られてしまう。

この辺りも実際にホドロフスキーが子どもの頃に金髪のヅラを被ってたとかいうことはおそらくなくて創作なんだろうけど(※史実ではホドロフスキーは生まれつき金髪でそれを長く伸ばしていたが、父の言いつけで短く刈られてしまった、とのこと)、ここでも母は自分の父親にこだわっている。

だからこれは「父親」についての映画、ということ。

劇中でハイメは息子に「男らしさ」を強要するが、彼を演じているブロンティスも『エル・トポ』では可愛い男の子だったんだけどね。

 


それにしても『ホドロフスキーのDUNE』と続けて観るとわかるが、このブロンティスはつくづく報われない人で、『エル・トポ』のあと、映画『DUNE』の主人公を演じるために父親に命じられて2年間武術を学んだにもかかわらず企画は頓挫、念願の大作への主演をフイにする。

ドキュメンタリーでもボヤいていた。

んで、40年後にはその親父にまた素っ裸にひん剥かれてティンティンに電極あてられて悶えたりしてるんである。

ムスコをなんだと思ってるんだ、あの爺さんはσ(^_^;)

まぁ、この映画の真の主人公はブロンティス演じるハイメのようなものだから、父はようやく息子との約束を果たしたということなのかもしれない。


映画では、独裁的な大統領の暗殺を目論んで妻子を置いて仲間とともに旅立った共産党員の父の彷徨を描く。

実の息子に演じさせたこのお父ちゃん、もうエラい描かれようなのだが、最後に父は家族のもとに帰ってくる。

それはアレハンドロ・ホドロフスキーが願った家族の再生、こうあってほしかった過去だ。

父ハイメはチリの大統領カルロス・イバニェスを憎みソヴィエトの独裁者ヨシフ・スターリンを信奉していたが、そんな彼自身がイバニェスとスターリンに似ていた、という結末。




そして、おそらくその息子アレハンドロもまた、父に似ているのだ。

息子ブロンティスにあんな真似をさせる親父だもの^_^;

「映画」によって息子(アレハンドロ)は父(ハイメ)を浄化させようとした。

さらにこれは、息子たち(ブロンティス、クリストバル、アダン)によってみずからも浄化されたいと願っている老父(アレハンドロ)の映画でもあるのだろう。

父親というのは身勝手なものだな。


そんな映画です。

アレハンドロ・ホドロフスキーの映画が好きな人は薦められなくたって観るだろうし、そうじゃない人は別に観なくたって構わない映画。

でもホドロフスキーという人、クリエイターのことは、なんとなくその片鱗をうかがうことはできるかと。


さて、昨年観たジェームズ・マカヴォイ主演の『フィルス』は野郎のティンコ(のコピー画像)が映ってるために18禁だったけど、この映画はそれどころじゃなくて、ブロンティス演じるハイメがまずズボンからナニを出して放尿する。

最初あまりに堂々と出すもんだから「作り物?」と思ったけど(何年か前に観た『トランスアメリカ』で女優さんが作り物のティンコでオシッコしてたの思いだした)、正真正銘モノホンのブツであることがやがてわかる。

終盤でハイメは捕らえられて全裸で拷問される。

ここでもブロンティスは大事なモノをブラつかせている。

髪が伸びて髭モジャ(よく見ると付け髭なのがバレてる)で全裸だとまるでウルヴァリンみたいだが、肝腎のティンコの方はヒュー・ジャックマンみたいな特大サイズではなく(って見たことないが^_^;)わりとこじんまりとしててなんともいえず親近感が湧くw

んで、逆さ吊りにされたり、ご丁寧にティンコをつまんでタマ袋に電気ショック与えられたりして、ハイメはいたぶられる。もちろん演出してるのは父親のアレハンドロ・ホドロフスキー。

もういい年した中年の息子が男たちにタマキン責められてる場面を撮ってる父親、ってなんなんだろう(;^_^A

お父ちゃんが脱ぎ専ならお母ちゃんの方も同様。

アレハンドロ少年の母親サラを演じているパメラ・フローレスは本職はオペラ歌手で、だから彼女は台詞を全部オペラ調で唄うのだが、この人がちょうどケイト・ウィンスレットをさらに肉づき良くしたような感じの女性でなかなかスゴいおっぱいのオーナーなんである。

 


しかも、服から谷間を見せてるだけじゃなくて油断してると全裸になる。

それどころか夫の顔面にオシッコぶっかけたりする。

彼女のオシッコがかかると、病気に罹っていたハイメが完治するのだ。

聖水ということですな(^o^)

…こいつ、何口走ってんだろ、と思われるかもしれませんが、だってその通りなんだもん。

しかしよくやってくれるよね、プロのオペラ歌手なのに(^o^;


共産主義者の仲間たちとともに大統領暗殺に向かったハイメだったが、なぜかその瞬間に大統領を助けてしまう。

仲間のアナキスト(アダン・ホドロフスキー)はピストルで自害し、ハイメは大統領に気に入られて彼の馬番になる。

しかし追われる身となって記憶を失ない、目覚めると見知らぬ小人の女性とベッドで寝ていた。

女性はハイメとともに暮らしていたが、彼がついに記憶を取り戻したことを知って首を吊って自殺する。

ハイメの腕は赤と青に塗られていて、まるでアメリカの星条旗のようである。

この辺りどういうことなのかよくわからないんですが、原作読んだら意味がわかるんだろうか。

『エル・トポ』でもホドロフスキーは一人の小人症の女性を聖母マリアのように描いていたが、何か小人の女性にオブセッションでもあるんでしょうかね。




無一文でさまよっていたハイメは、椅子作りの老人の手伝いをして報酬をもらう。

出来上がった椅子を届けに老人とともに教会に向かうが、ソウルフルな礼拝の最中に老人は心臓発作で死亡。

もらった賃金を老人の埋葬代のために献金して、泣き出しそうな表情で教会を立ち去るハイメ。




『エル・トポ』では教会で金持ちの信者たちが「奇跡だ」と言って指輪や宝石を献金しながらロシアン・ルーレットに興じる場面があってキリスト教に対する痛烈な皮肉になっていたが、ここでは共産主義者のハイメから見た教会の様子が引いた目で映しだされる。

ホドロフスキーはけっして宗教を否定はしていないが、彼自身無宗教だという。

教会で礼拝中に亡くなったあの老人は幸せだったのか。しかし信者たちは老人の遺体をほったらかしにしたままだった。ハイメが献金しなければ、遺体はまともに埋葬されなかったかもしれない。

宗教で救われる人もいるだろう。でもそうじゃない者もいる。

僕はあの場面のハイメの気持ちがよくわかった気がする。

もしかしたらこの映画は、父ハイメの彷徨を通して、息子アレハンドロ・ホドロフスキーがこれまでたどってきた人生を象徴的に描いているのかもしれない。


ナチスの紋章をつけた兵隊たちの行進で沿道の人々はナチス式敬礼をするが、ハイメは両手の指が麻痺して伸ばせなくなっているので「ふざけてるのか!」と暴行を受ける。

ここなんかもほんとにコントっぽい。

ヒトラーみたいなチョビ髭オヤジが出てきたり、戦車は車に貼っつけたただの書き割りだし。


すみません、映画を観てからけっこう間が開いてるので内容をだいぶ忘れかけてて順序が間違ってるかもしれませんが、そんな感じで捕らえられたハイメは全裸でポコティンをいたぶられているところを助けだされる。

そして家族のもとへ。

ほんとにもう、ティンコで始まりティンコで終わるような映画でしたな。


原作を読んでないので、現実にアレハンドロ・ホドロフスキーの両親がどのような人生を送ったのかは知らないし、映画で描かれた大統領暗殺のくだりなんかもすべて創作の可能性もあるが、もはや両親の人生もアレハンドロの作品の一部なのだろう。

彼はインタヴューで「家族のためにこの映画を作った」と語っているけど、僕にはどうしたって彼自身のために撮ったようにしか思えない。もちろんそれが悪いというのではないのだけれど。

ホドロフスキーはみずからを「芸術家」と呼び、自分は商業映画ではなく芸術映画を撮っているのだ、と主張する。

それはその通りなんだけど(何しろこの映画でもプロデューサーのミシェル・セドゥーに「口は一切出さずに金だけ出してくれ」と言ってるほどだし)、芸術家というのはワガママで手前勝手な人種だと思う。

だって自分の作品には価値があって、その存在が人のためになってると本気で思ってんだから。呆れるほどの思い上がりではないか。

85歳になってもそんな自分に疑いも持たずに我が道を邁進できるこの芸術家には心から脱帽する。

次回作はアクション映画だそうだ。

といっても、普通のアクション映画であるはずがない。狂ったアクション映画になるんでしょう。

でも自分の美学のために動物を殺すのはもうやめてくださいね、ホドロフスキーさん。




リアリティのダンス 無修正版 [DVD]/ブロンティス・ホドロフスキー,パメラ・フローレス,イェレミアス・ハースコヴィッツ

¥4,104
Amazon.co.jp

リアリティのダンス/アレハンドロ・ホドロフスキー

¥3,240
Amazon.co.jp

アレハンドロ・ホドロフスキー DVD-BOX/出演者不明

¥13,824
Amazon.co.jp



にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ