【スカラべえ】の豆知識コーナー
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前回は、古代考古学博物館の庭のスフィンクスのご紹介をしました
本日は、正面から左側をみてみましょう
奥の焼け焦げた建物は、ムバーラク政権時代の与党事務所です。
博物館の出口付近に位置するため、観光客の方はびっくりしてしまいます。
革命の混乱の際に、職員自らが火をつけて書類などを燃やしてしまったと言われています。
明るいオレンジ色の博物館と対照的ですね
さて、本日注目するのはこちらの建物ではなく・・・・・・・
これは誰の像でしょう
博物館の前庭には古代エジプトの石像がごろごろと展示されていますが、
こちらの像は、時代が違いますね
堂々とした佇まいです
こちらは、
フランス人考古学者 オギュスト・マリエット
の像です。
なぜこの人の像が博物館の庭に立っているかというと、
エジプト考古学博物館に収められているたくさんの展示品が
彼の集めたものだったからです。
彼の半生を簡単に説明しますと
フランスで生まれ、絵画教師やデザイナーなどを経て文学士の学位を得ました。
ここまでは、あまりエジプトと関わりがなさそうです。
しかし、彼のいとこがキーパーソンです。
オギュストマリエットのいとこは、ロゼッタストーンの解読に成功した、著名な考古学者
ジャン=フランソワ・シャンポリオンの友人
であり、エジプト発掘に同行するほどの者だったそうです。
そのいとこが、死んでしまい
マリエットはいとこが持ち帰った、石棺などの発掘品や文章を整理することになったのです
作業を通して、マリエットはエジプトに深い興味を抱き、
ほとんど独学で、エジプトの歴史やヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)を学び
ついには、ルーブル美術館のエジプト考古学部に籍を置くまでになりました。
その後、美術館のコレクションを集めるためにエジプト出張の機会を得たマリエットですが、
文章・文献の収集よりも、発掘作業に夢中になります。
予定より長い4年間もエジプトに滞在し、多くの発掘品をルーブル美術館に持ち帰りました。
その後、パリで収集品の整理を終えたマリエットは再びエジプトに戻ります。
エジプト支配層からの信頼も厚く、
当時のエジプト総督から「ベイ」や「パシャ」という身分の称号を貰うまでになっていたのです。
そして、1858年から創設されたエジプト考古局の初代長官に就任しました。
精力的に発掘活動を続けるうち、マリエットは
発掘品をエジプト外に持ち出すことに否定的な考えを持つようになります
1863年にカイロのブラーク地区に、現在の考古学博物館の前身である
博物館を建てて、自ら館長に就任しました。
その後、生涯を通してエジプトの考古学に身を捧げました。
晩年、糖尿病を患ったマリエットは、パリに一時帰国しますが、
カイロの博物館近く(自宅があった)で死ぬことを望み、再びエジプトに戻り、
希望通りに現地でなくなりました。
亡骸は石棺に納められ、
現在は1904年に開館した現在のエジプト考古学博物館の前庭に眠っています。
そうなんです 実はマリエットはこの博物館の前庭で眠っているのです
立派な石棺。
そして立派な銅像。
パシャと呼ばれ、丁寧に埋葬され、いかにエジプト国民が
マリエットを大事に扱ったかが伺われます。
また、半生をエジプトで過ごし、死に場所にもエジプトを選んだマリエット、
発掘品を、国外に持ち出さないように働きかけたマリエットの
エジプトへの敬愛も感じられます。
このような歴史・人物に思いに馳せながら、像を眺めると
感慨深いものです。
マリエットの魂はこの場所から、今日も世界各国から訪れる観光客を眺めているのでしょうか。
皆様も、ぜひ考古学博物館に足を運ばれた際には、
見逃されがちな、出口付近にあるこの像にぜひ注目してみてください
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