昨日の逮捕劇で色々と思い出すことがあった。
サリン事件直後に、麻原ないしオウム真理教を擁護する論説が現れて、もちろん総スカンを食らった。
これはすこぶるわかりやすい単純な、非難の渦だ。
クマ公ハチ公の天然の感性を持ってすれば、それは総スカン当然だ。
ところが、はんちくな言論人もこれに加勢した。しかも徹底的な論戦はなかった。
いかにもソンな、役得のまるでないものだから、適当に発言で、お茶が濁った。
もっとも危なかったのが、3月に亡くなった吉本隆明の発言だった。
今でもこれを、反核異論と併せて鬼の首を取ったかのようにあげつらう、はんちく言論人がたまにいる。
黙ってろ。
吉本は、まず麻原の『生死を超える』という著書にいたく感銘する。サリン事件の数年以上前に出た本だ。
これを踏まえて吉本は麻原は優れた「思想家」だと評した。
その勢いで、思想家が世界的宗教家に言い回しとしては格上げされ、新聞や雑誌がこれをさらに輪をかけるコピーワークで流通させた。
吉本隆明は、しばしばこういうアブナイ諸刃の刃、ダブルエッジの切っ先に自らを置く構えを取る。
そのダブル・エッジがどんな稜線なのかを突き止めようとしないかぎり、吉本批判は完遂されない。
だがその前に、この時、吉本の向ける刃の先は、「良識的」知識人や「良識的」マスメディアに向けられていたので、勢い「行者」と「宗教者」の違いを繊細に腑分けし、丁寧に語るいとまもなければ、その場も与えられてはいなかった。本質論をガチでやる雰囲気など、あのタイミングであるわけはなかった。
そこはちょっと喧嘩の仕方が甘く、当時70歳を超えていた吉本は「ボケた」とけなされたわけだ。
こないだのポアする者は、ポアされる者と同時にポアされなければならないで 、ようやく長年の疑問の一つが解けたが、ここに来てもう一つの疑問が浮上した。
『生死を超える』を書いたのは、いったい誰だったのか? 要するにゴーストがいたのではないかということ。吉本隆明をして、あれだけ唸らせた記述を、いったい誰が可能にしたのか。
中沢新一氏とは違って、吉本隆明は直接、麻原と対面、対談をしたことはない。
あの著作の記述だけが頼りだった。それで、いちころやられた、と言っていい。オイラもいちころやれる、あの記述には(麻原に、ではない。あくまでも書かれたものに、だ)。
しかしあれはヨガや修験道の、「行者」のドキュメントであって、宗教書、宗教の理論的著作ではない。
真言宗の空海さんも、若き日には修験道の行者だった。
信者組織を持つ宗教家と、ローンウルフな行者はまったく別者だ。
そこがデリケートに語られることなく、月日は流れてしまった。
思想と事件の「二重性」、困難な「二重性」と吉本隆明が語っていたことだけが頼りになる残された手がかりだ。
おそらくアジア日本の仏教が「葬式仏教」と揶揄されるようになって久しいあの時代に、オウムはそのアンチ・テーゼにも見えただろう。
孤独者と孤独者の同調が、そこに生まれていたかもしれない。
と書く自分のなかでも、この主題を維持するのは、もはや困難だ。
誰か、オウム真理教の「変節」を鋭く的確にえぐり出すことができる人がいたら、やってほしい。
後遺症に苦しむ人々の苦しみだけが続き、主題は早晩、忘れ去られるだろう。
麻原を擁護する気など、今となってはさらさらない。
しかし、あのダブル・エッジの稜線上に立って発言しようとする、した吉本隆明の姿勢を擁護する。
いつも安全・安心な裾野に寝そべって、はんちくな発言を繰り返す「良識的」知識人を唾棄する。
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