写真「瀬戸の海」緑川洋一
「手、あったかいね。」
それが僕が兄さんから聞いた、最後の言葉でした。
五月の雨は苦手です。
兄さんが逝ってしまった日の朝を思い出します。
しとしとと何時までも降り止まぬ雨の中を歩きながら、僕の全身はまるで水槽の内にいるようでした。
涙雨の水槽の中から見た街は、何もかもが色を失い灰色にしか見えず、僕は心の置き場を失い、ただ迷子のように貴方を探して泣きながら、そして途方にくれました。
僕は元々、兄さんの書く作品の、たくさんの熱心な読者のひとりでした。
兄さんの小説を読んだその夜に、「ひと晩眠って朝になった時、この本の中の住人であるならばどんなにか良いだろう。」などと思うことが何度もあったほどです。
僕にとって、兄さんは憧れの、遠い雲の上の人で、親しく口を利くどころか、直接に会って顔を見ることさえ有り得ないことなのでした。
そのような最も高く遠き場所にいた兄さんに、もともとは縁もゆかりもなく、親が異なり生まれも育ちも違った僕が弟と呼ばれるに至ったこの偶然の重なりは、僕の人生の最大の幸運であり、喜びであり、奇跡としか言いようがありません。
僕の人生の一番の贅沢は、兄さんに弟と呼ばれたことに尽きるのだと思います。
それは僕にとって、どんな贅沢よりも勝る贅沢でした。
兄さんは、時々僕との些細な共通点を見つけては喜び、「さすがは我が弟だ。」と言いました。
そんな時はいつも、僕はくすぐったいほどに嬉しくて堪らなかった。
僕と兄さんは血の繋がらない兄弟なのですから、ほんとうを言えば何処をとっても似ている点など有りはしないものを、兄さんのその好意こそが僕は嬉しくて堪りませんでした。
恐らく僕は、他人よりもどこかしら過剰であり、けれどもどこかしらが欠落しているのです。
その過剰や欠落の部分こそを兄さんは面白がったり、興味を持ってくれたので、僕はそれを全く隠す必要の無い人に巡り合えた喜びと、それが他ならぬ兄さんであったこととに、いささか有頂天になっていたかもしれません。
それだのに、兄さん、僕は愚かにも貴方から離れてしまった。
僕は性懲りも無く、恋をしたのです。
これはおよそ見返りなどを期待しない、最も純粋な恋で、けれども、それだけに苦しい自虐の恋と言えるのかもしれません。