写真「燈台と戯れる」緑川洋一
兄さん、
僕は、書いても書いても上手くなりません。
上手く書けたところでどうなのだと、それが解らないのだから仕様が無いのかもしれません。
兄さんは「文章は上手い下手ではなく、想いの深さだ」と言ってくれました。
だから僕は一度も上手く書こうと思ったことはなく、けれどもそのくせ上手くなりたいとも思うのです。
僕の文は人を癒さず、人を慰めず、人を助けることができません。
人を元気にすることも、勇気付けることもありません。
そういうのは苦手です。
誰かに向けて、どうこうしようとして書こうとすると、上手く書かなければと思うので苦手です。
上手く書けないので苦手です。
ただ、僕自身の想いを書くだけです。
ですから、僕の文はたったひとつの愛ですらも伝えることができずに、すぐにゴミ箱に捨てられてしまいました。
美しくもなく、優しくもなく、力強くもない僕の文は、そのままに僕であり、だから河原の数多の石ころと同じように凡庸でちっぽけです。
僕は書けば書くほどに、愛されない自分を思い知らされてしまいます。
それは僕をひどく悲しくさせて、時々自分の生きている価値を疑うほどにも、苦しくなったりするのです。
それでも、兄さん、
僕は書かずにはいられません。
今さらに、書かずにはいられません。
そうして僕は、僕の想いを、僕自身を書いて、書いて、そしてやはり自分自身に問いかけ続けるのです。
「いったい僕は、何故に書くのか」と。
僕の文は、僕を有名にも金持ちにもしてくれません。
誰かに認められることも無く、大切にされることもありません。
けれども、兄さん、
それなのに、僕は僕の文が好きなのです。
本当を言えば、僕はこの、つまらない小砂利のような文章が、たまらなく好きで、時に愛しいと思ったりもするのです。
なぜならば、取るに足りない僕が書く、取るに足りないこの文章が、時に僕を癒し、僕を慰め、僕を助けてくれました。
誰にも愛しく思われずとも、僕が愛しいので、ひたすら書かずにはいられません。
兄さん、笑ってください。
僕はこの恐ろしい孤独の中で、今はただそのような自己満足を得るためだけに書いているとしか言えません。
しかし、それだからこそ、今の僕を救うのは唯一これしかないのです。
兄さん、僕はこのまま何処へ向かっていくのでしょう。
この先は、何処へ向かい、誰のために、何を書いていくのでしょう。
「何故に書くのか」……。
貴方が言ったその言葉を、今日もまた、そして明日も、僕は問いながら、書き続けていくのでしょう。
音楽-ラヴェル - 亡き王女のためのパヴァーヌ (辻井伸行)