$Duo QuenArpa 公式ブログ(新)-大槌町大ヶ口集会所
岩手県大槌町大ヶ口集会所
(避難所になっています)


5月30日~31日、
岩手県の震災被災地の主に避難所で
デュオ・ケーナルパの演奏を行ないました。

被災地に、物資や花束そして
生演奏を届けるボランティアの
『愛とヒューマンのコンサート委員会』
(代表:今野強さん)と
現地ボランティアの方々の
コーディネートによるものです。

30日は、大雨洪水暴風警報が出ていました。
低温注意報も出ていまして、日中の気温は8℃でした。

31日は晴れましたが、
気温は低く移動中の車から見た
道路の電光表示温度計は、午前10時で7℃。
どこの避難所にもストーブがありました。

30日:山田町の避難所4カ所と
   宮古市のCO-OPのイベントホールでの
   コンサート。
31日:大槌町津波現場での追悼演奏1カ所。
   大槌町避難所3カ所。
   陸前高田市避難所1カ所。 計10カ所。


★津波現場★
津波の現場は凄まじいものでした。
見渡す限り家や商店の土台だけがのこり
遠くに瓦礫の山・・・
という場所がたくさんあります。
全壊を免れた建物も住める様子もなく
取り壊しを待っているのでした。

防波堤の脇の道路を車で走ると、
この高さを越えて来たのか! 
という驚きを持ちます。
越えて来ただけでなく、防波堤を破壊して
街を津波が襲ったところもありました。
橋桁までも倒れているJRの鉄橋とか・・・。

惨状を目の当たりにして、
亡くなられた何万人ものいのちを無駄にしていけない、
と思いました。

★新しい時代のために★
無駄にしないためには、
息の長い支援を続けることです。
それによって、日本に、
人々の温かいつながりや助け合いの精神が育まれ、
必ず新しい時代がやってきます。

★避難所の方々★
避難所生活の方々は、家をなくしただけでなく
ほとんどの方が、家族の誰かを亡くした方々です。
震災以来、さぞ辛かったと思います。

もう2ヶ月半が過ぎましたが、
どんな気持ちでいらしゃるのか・・・
演奏にお邪魔して、本当にご迷惑ではないのかな・・・
という不安は、最後までありました。
一カ所の避難所で演奏が歓迎されても、
どこも同じとは 限らないと思うからです。

ボクらが避難所に着いたときと、
演奏が終わって出るときでは、
避難所の方々の表情が全然違うのが印象的でした。

平日昼間の演奏が多かったので、
聴いて下さるのは、
お年寄りと女性がほとんどでした。

漁業の町では、まだ漁に出られない
漁師の男性の避難市民も
いらっしゃいましたが、その方々の多くは、
演奏会場には入らず、外で一服されている・・・
なんていう 避難所もありました。
「演歌は来ないのか」「カラオケは来ないのか」と
おっしゃっていたそうです
これは男性の一般的な傾向ですので、
気になりませんでした
「押し掛けて」行ったわけですから、
邪魔にされなかっただけでも
実にありがたいものです

★涙・・・★
普通は「泣く」曲ではない、
《コーヒー・ルンバ》で
涙を流していらっしゃるお
ばあちゃんもいらっしゃいました。
西田佐知子のこの歌を聴いた頃の
青春時代を思い出されたのではないでしょうか。

一カ所30分程度の演奏の予定が、
結局45分、50分となりました。
最後に、
今日本でデュオ・ケーナルパだけが歌っている歌、
岩手県の方々は初めて聴いた歌
《広い河の岸辺》をみなさんすぐに覚えてくださり、
一緒に歌いました。
この歌は、
向こう岸の見えない大河にさしかかり、
橋も壊れて渡れないとき、
小さなボートに希望を見出し、
誰かと力を合わせて漕ぎ出そうとする歌です。


さらに もう1曲《ふるさと》を歌いました。
涙しながら歌う方々も少なくありません。
「和歌山での小学校以来初めて
《ふるさと》を歌いました。
白浜から嫁に来たんです」
とおっしゃっていたおばあちゃんも。


★交流★
演奏後、避難所最高齢のお年寄りや、
小さなお子さんとともに避難されているお
母さんなどに
バラの花束を手渡したり、
一緒に記念写真を撮っていただいたり、
握手やサインを求められたりしながら、
別れを惜しみ、次の避難所へと急ぎました。

着くと休む暇もなくすぐ演奏です。
1回の演奏で、歌の入る曲は5曲くらい。
池山は一日にのべ25曲以上歌いました。
どこの避難所でも
池山のアルパ弾き語りは大人気でした。
「はじめて声が出て来たときゾクゾクしました」
という感想も。
池山、よくがんばりました。

★陸前高田★
小さな避難所が中心でしたので、聴いて下さる人数は
20人から40くらいがほとんどでしたが、
最後に訪問した、
陸前高田市の高田第一中学校体育館の避難所は、
避難者が約400人とのこと。
1000人以上が入るような大きな体育館です。
隅々まで聞こえるのか心配もありましたが、
いつものように生音で演奏です。
夕方の演奏だったので、
男性の方々もたくさんいらっしゃいます。

段ボールのしきりの間が
「花道」のようになっていて、
演奏後、体育館を出るときに、
温かい拍手に送られました
「埴生の宿 よかったよ~」というおじさんの声が
ボクの心に響きました。
あの広い体育館で、
シ~ンとして耳を澄ましてくださった
高田一中の避難所の皆さん、
本当にありがとうございました。

ボクらが陸前高田市を訪ねるきっかけとなった
同市ご出身で東京都清瀬市在住の
佐々木友子さんのご友人の
菅原みきこさんが出迎えと
見送りをしてくださいました。
「今までいろんな方々が来て、
ステージでやってくださいましたが、
みんながこんなに静かに聴いたことは今までなかった」
とおっしゃっていました。

音の大きさよりも大切なことがあると、
改めて実感しました。

「高田一中での演奏を是非!」と
旅費をカンパくださった
同市ご出身の伊藤博人さん
(月刊『ぶらあぼ』編集長)や
最初のきっかけとなった佐々木さんの
お気持ちにも応えられたのではないかと思います。

★愉快なおじさんとの出逢い★
池山とやぎりんは、初日の山田町の移動は
宮古市在住の中村国雄さんの
先導車に乗り込みました。
(楽器は今野強さんのワゴン車に)
中村さんは70歳くらいです。
現役時代は岩手医大の研究員として細菌の研究を
されていたそうです。
「わたし ばい菌大好きなんですぅ!」という
超~面白いおじさんで、すぐ友達になりました
周りの人を楽しくさせようという
気持ちが押さえきれない
とにかく愉快なおじさんでした。

初日の5回の演奏をぜんぶ聴いてくださった
中村さんはすっかり
デュオ・ケーナルパのファンになりました。
2日目の大槌町では、
先導は大槌町の方にお願いしていましたが、
中村さんは今度は奥様を連れて
自主的に「追っかけ隊」となり、
大槌町での4か所でも、会場設営や、
プログラム配布など
お手伝いをしながら、
演奏も楽しんでくださいました。

★感謝★
たくさんの出会い、避難所の方々の温かい笑顔に
励まされた二日間でした。
みなさんのご支援ありがとうございます。

今まで、デュオ・ケーナルパを通して
『愛とヒューマンのコンサート委員会』に送られた
カンパ (『葉っぱ塾』による呼びかけもふくむ)は、
36万円に達しています。
(これは6月初旬現在の金額で、
いまは43万円に達しています)

写真報告はこちらです。