(撮影:1999年)
やぎりんコメント
「マニュアル公害」のことには大変共感しましたので
大きな文字にしています。
マニュアル通りの対応しかできないので
人間性が著しく低下している。
それは、
コンピュータの導入が原因でもある。
コンピュータの都合で人間のすることが決まる。
本来は逆だろう。人間の役に立つために
コンピュータがある。
そのほか、本文内で大きな文字のところは
ボクが大変共感したところです。
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川柳は 五・七・五の自画像
佐 々 木 晃 彦
(九州共立大学名誉教授)
はじめに
2011年3月に65歳定年を迎え、4月からは
客員教授など非常勤の身分で前期2大学、
後期2大学に出講していた。常勤が解けたことで
自由時間ができ、念願のビッグバンドで30年ぶりに
トロンボーンを吹きながらの大学通勤であった。
演奏は好きだが、
全ての日曜日がステージや音合わせで潰れた。
日曜日以外にもパートの音合わせが入り、
窮屈なスケジュール下にあった。そこで
2017年5月21日を最終日として、一旦、
トロンボーンを離れることにした。
今までが“音さがし”なら、
これからは“言葉さがし”を、と
無謀なことだが川柳(注1)創作に身を投じている。
①日野本町 川柳会
①-1言葉さがし
私に日記をつける習慣はない。しかし、その折々の
想いを川柳で詠むことができれば、過去を振り返り、
その時時の感情や様子を思い出すことに
繋がるのではないか・・・そのような期待があった。
2017年6月1日、私は日野本町川柳会に入り、
主宰者の市川一先生(注2)に師事することに決めた。
市川先生は、大正〜昭和にかけて活躍した六巨頭の一人、
村田周魚の孫弟子にあたる方であった。
先生は柔らかな物腰で「私は生き方が下手で・・」と
自虐的な自己紹介をし、“見る目の新鮮さ、そこから紡ぐ
面白い表現”をするよう私に求めた。約10人いた仲間の
平均年齢は78歳で、71歳の私は最年少の若者であった。
初心者であり、取り敢えず言葉を5・7・5に
収めることから始めることにした。なお、
本文中の川柳は全て、市川一編の月刊
『川柳ダイジェスト』に掲載済み拙句である。
浅薄な句が散見されるが、詠み始めて7年経った今も
日々学習の身であり、どうかご容赦戴きたい。
体重は? 耳にしみいる医者の声
記憶にはない に嘘ない健忘症
議論好き勝つたび友が去って行く
言うことはデカイがコマイ金遣い
半音下げ のんびり暮らそう これからは
「17文字しかないんだから、説明し過ぎないように」
「詰め込みは駄目ですよ。読む人の想像力を
信用して省略できるところは省略して下さい」
「少し漢字が多過ぎます。ひらがな、カタカナも使って
バランス良く、読みやすく」。
市川先生からは色々な角度から厳しいご指導を受けた。
「現代川柳は川柳に依る自画像。作者自身が
脚本・監督・主演で映画を作るようなもの。
喜・怒・哀・楽、特に《怒り》と《哀しみ》を
恋、家族、人生の舞台で表現するのが
現代川柳」(杉山昌善)とも学んだ。
愛そそぎ 金もそそいで 子は彼方
子のあとは 定年パパに 手がかかる
『金貯まる本』買い続け貯金消え
口数は多いが 言葉足りぬ人
ファミレスはファミリーレスのヨタヘロ族
杉山が現代川柳のテーマで暗に指摘しているが、
周りを見渡しても楽しいことばかりに
囲まれ過ごしている人、過ごしてきた人はいない
でしょう。そこに句材は転がっている。
換言するなら、日常会話、テレビ、ラジオ、新聞、
雑誌や、味覚、聴覚、視覚、臭覚、触覚からの
情報を含め、あらゆる人間関係、社会情勢を通した
体験や思いを、ユーモアで包み込む。その上で、
丁寧に年を重ねることの素晴らしさを詠むことに尽きる。
例えば、体が多少辛くても笑って過ごす、
スマートエイジングを掲げたい。
人生の第4コーナーから静かに忍び寄る老化。
様々な形で浮き出る加齢現象を、
嘆くふりをしながら寧ろ訪問者として歓迎する。
そして川柳を詠み、笑い飛ばす。
つまり;
川柳は 文字がスイングする舞台
川柳は 十七文字の社会劇
川柳は 文字駆け回る晴れ舞台
川柳は 文字転ばせて映像化
であることが一つの理想である。
①-2 川柳の3要素
詠み手は口語調の言葉遣い、誰にも分かるテーマを
心掛けなければならない。そして、その時時の感情、
空気、場面を捉えた描写を映像化できることが
望ましい。
あらゆる角度から見て本質をついている穿(うが)ち、
自然に“クスリ”と笑いが零れる笑い、
サラリと詠んで深味がある軽(かろ)みのある
言葉遣いが欲しい。権力者にはチョッピリ歯向かい、
時には多少の品性が欠けることが許される、
それも川柳と思っている。
永遠に変わることのない人間の資質を
味わうことができ、詠み手と読み手が一緒になって
共有性の高い世界観を創る。
こうして世の移ろいをレコード化していくのが
理想です。
“ていねい”と“寄り添って”にも新定義
生活に困らん奴の政(まつりごと)
マイナンバー俺はいらない牛じゃない
税金は 年貢じゃないよ 総理殿
東京五輪 裏が際立ち おもてなし
元理事の四度の逮捕は五輪新
聖火消え 不審火残る五輪村
バッハさん ソナタは解せぬ 要変調
トランプが「エースは俺」と譲らない
我が国はUSAの離島なの?
新年の祝砲止まぬ北の空
ミサイルの墓場になりそう日本海
青かった地球このごろ青ざめて
①-3川柳に顕彰制度
川柳教室を主宰する市川先生は、私たちが
川柳創作に挑戦するなか心が折れそうになり、
創作へのモチベーションが低下することを心配され、
2019年1月から顕彰制度を設けて下さった。
毎月『川柳ダイジェスト』に掲載される約30人の
教え子の作品、約180句から、月間秀句を
3句選び顕彰してきた。
「川柳に文才は必要ない」
「川柳は世界で一番短く、自由な文芸」
(川柳家の水野タケシ)と言われているが、
始めたばかりの私は、広辞苑、類語辞典、
カタカナ新語辞典が手離せない。
いつもそれらを開きながら、ゴールの見えない
言葉さがしに励んでいる。しかし、取り組むほど
奥行は広がり、一つ探すのにも手間取っている。
近年は、容子、国母、しの、隆の栁号を持つ
4人の仲間と詠んできたが、以下、
月間秀句に選んで戴いた拙句を紹介すること、
どうかお許し願いたい。
幸せをたくさん詰めた妻の腹
(平成31年1月)
痩せサンマ妻と分け合い酒うまし
(令和元年1月)
ていねいに官僚のメモ繰り返す
(令和2年6月)
新聞とテレビにコロナ根をおろし
(令和2年9月)
見たふりし考えたふり読めたふり
(令和3年1月)
ペーパーレス目指す会議の紙資料
(令和3年4月)
絶妙に妻が操る火の車
(令和3年9月)
防衛費 増えるほど減る安堵感
(令和4年7月)
気球から街見下ろして鳥になる
(令和4年10月)
処理水は魚にも聞き決めましょう
(令和5年4月)
寒い日のラジオ体操耳でする
(令和6年1月)
散歩後の うがい手洗い皿洗い
(令和6年2月)
句の下に
『ダイジェスト』への掲載年月を付したが、
令和5年4月の句は時事川柳(注3)で、
当時の時代状況が読み取れる。中国は処理水を
「核汚染水」と呼び、日本産水産物の
全面輸入禁止措置を継続(2024年8月現在)している。
将来的な解決への目途が立たない重いテーマである。
そこに大谷翔平の爽やかな語りを借用した。
その1か月前の3月、WBC決勝を
アメリカと戦う直前のロッカールームで大谷は、
「アメリカにはトラウト、ベッツなど皆さんが知る
有名選手がいる。しかし、現在の私たちは、
そのアメリカと試合をしようとしている。だから、
今日だけは憧れるのをやめましょう」と
優しく語り掛けた。
大谷の人柄を示す言葉遣いとして話題になった
“時の言葉”である。
“当事者”の魚を意図的に入れて拝借した。
② 川柳講座教材
②-1節目の百号
月刊『川柳ダイジェスト』は令和5年4月号で
発刊100号となった。私は
市川先生から依頼を受け、100号に祝意を示す
一文を寄せる機会を戴いた。以下、転載したい。
川柳ダイジェストNo.100 令和5年4月号
祝百号―私の路標― 佐々木晃彦
『川柳ダイジェスト』の発行が百号を迎えた。
その編集から製本まで担ってこられたのは、
主宰者の市川一先生である。400字詰め原稿用紙で
月約10枚あることから、8年4か月で約1000枚、
書籍2冊に等しい文字原稿に向き合われたことになる。
そのご苦労に敬意を表したい。
川柳会当日、『ダイジェスト』を戴き、
先ず開く頁は編集後記である。
先生の最近1か月の政治、経済などへの所感、
時には怒り、昔日への思い出も綴られている。
「2時間もパソコンを頑張ると心身ともに疲弊する。
山道を3時間歩く方がずっと楽」(70号)には、
パソコンが苦手な私も合点がいく。
それから最初の頁を開く。
作句歴が浅い私は、多くの川柳仲間や先人の
秀句から学んできた。『ダイジェスト』に
掲載下さった拙句は、浅草芸人と私を結ぶ、
若菜春夫の編集に依る「楽夢」紙に転載して貰い、
内外の知人・友人に送信してきた。
『ダイジェスト』が繋ぐ絆である。
川柳を学ぼうと思った切掛けを辿りたい。
1970年前後は、
二代目桂小南師匠(1920〜1996)宅に居候していた。
師匠からは
「誰でもするお喋りでお代を頂戴してるんだ」と
言葉の大切さを諭された。そして2000年、
30年ぶりに演芸界と関わる。
牧伸二師匠(1934〜2013)とカラオケに行った時
「話し上手になろう」と言い含められた。
言葉の価値が下がり始めていた当時、
双方に見られたのは〈ことばの力〉であった。
さて、先生は常々
「句材・着想が良く、表現が適切であることが理想」
(84号)と説いておられる。
これからも『川柳ダイジェスト』は私の路標である。
②-2怒りを替え歌に
1〜2年前は、アイヌ民族への侮蔑的な投稿、
マイナーカードのトラブル、フランス研修問題、
洋上風力発電事業を巡る汚職事件、
衆議院議長の不誠実な会見対応、
物価高騰・・・などで政府与党への不満は頂点でした。
最近も裏金事件、勤務実績のない公設秘書給与を
議員が国から搾取、有権者に香典を違法に配る・・
延々と続く不祥事に、言葉は悪いが
「あなたたちは犯罪者集団ですか?」と
問いたくなります。
法的根拠を欠いたままの安倍氏の国葬強行、
原発の最大限活用、
マイナ保健証の実質義務化・・・
「聞く力」とTVカメラの前で掲げた
「青いノート」は政権に就くための
方便だったのですか?
思い起こせば、政府のコロナ対策も
酷いものでした。第1波、第2波の反省をせず、
第3波以降は医者にかかれない患者が溢れ、
自宅で亡くなった方が沢山おりました。
この有様に、
「国民にお願いとか、
あなたたちは何を言っているんだ」
(倉持仁・インターパーク倉持呼吸器内科院長)と
現場から怒りの声が上がったのをご記憶だろうか。
倉持先生は
「肝心な時に診て貰えない、
国民皆保険制度を崩壊させた」と、
政府の新型コロナウィルス対策を批判しました。
感染者が爆増した第6波流行時の
「症状がある人は自分で抗原検査をし、
症状が軽ければ自宅で治るのを待って、
元気になったら活動再開を」、
これって何ですか!
かような、軽症者に医療は不要とする考えは、
医療機関にかかれずに亡くなる人を
続出させました。
当時の拙句です。
プチ散歩 コロナの今は これも旅
ウイルスは 好き嫌いなく みんな好き
声がする マスク姿に ♪君の名は
薄味を コロナになったと騒ぐ妻
巣ごもりで家飲み続き依存症
マイナンバー彷徨いヤバイ なんまいだ〜
腹が立ちテレビに向かい意見する
絡み合う国・親・子ガチャ時代ガチャ
金がない それで良いのだ 被害ない
そして、不謹慎の誹りを免れ得ませんが、
替え歌を作り発表しました。
ささやかな私の抵抗と思って下さい。本来は、
作詞 千家和也、作曲 浜圭介、
唄 奥村チヨの名曲です。
令和の終着駅
♪(1)コロナが舞い散る夕暮れは
あちらもこちらもひと気なく
そして今日も一人 明日も一人
命が消えていく
(2)政府が送ったこの布は
目かくし口封じのマスク
そして今日も一人 明日も一人
命が消えていく
(3)協議に調整続く日に
すり合わせてからまた協議
そして今日も一人 明日も一人
命が消えていく
市川一編『川柳ダイジェスト』(令和2年5月号)
②-3言葉が規定する個性
私たちは“川柳を創る”と言います。“
創”は創作の“創”ですから、事実から離れた虚構が
入る世界です。川柳は17文字の創作劇として、
そのドラマを楽しむことになります。他方、
真実が全くない世界は人の心を動かすことが
出来ません。どのような文芸にも、全てが
フィクションで描かれた世界はなく、
作者が【真】と【虚】を程よく混じり合わせることで
読み手の心を動かすことが可能になります。
「オールフィクション、あるいは
オールノンフィクションの川柳はなく、
真実が3、虚構が7の時はじめて、
川柳に命が宿る」(杉山昌善)と言われる所以です。
ニューヨーク博覧会の開催時、
サルバドール・ダリ(1904〜1989)は
自分の作品が並べられたパビリオンが
造られたので、わざわざオープニングに来て
講演しております。ダリは意味不明の話をして
煙に巻いた後、
「狂人と私の唯一の違いは、私は狂っていない、
ということじゃ!」と叫び、演壇を降りました。
このスピーチを聞いた来場者の半数は
「矢張り、ダリは素晴らしい」と感激し、
残りの半数は「矢張り、ダリは気違いだ」と
納得したという。
ダリのような発言が一般人に難しいのは、
凡人の常識が邪魔するからでしょう。
多種多様な民族が集まる社会で顕著に表れるのは、
発出される言葉の調子と言葉を使う個人の
ライフスタイルが一致していることです。
個人の特性は、
その人が使う言葉によって
学ぶことが出来ます。
言葉はその人の魂に内在する
全てを含みます。
それ故に川柳は、
詠み手が表現する最上位の投影となるのです。
買い物は値引きシールを探す旅
日帰りで遊びに行きたい天国へ
公園でゴルフに興じるG(爺)7
飽食で太った人が飢えを書く
朝小言 昼は戯言 夜寝言
目の玉で花粉戯れ鼻便り
花粉症嫌いだけれど ♪は〜るよこい
記憶力なくて良いのだ再放送
導眠剤 忘れ眠った母起こす
③洞察とユーモア
③-1 妻をモデルに詠む
職務教育や訓練が徹底され、マニュアル化された
社会を垣間見ます。経験豊富な人も新人も
マニュアル通りに働かせ、マニュアル通りに
考えさせることを善しとしているのです。
すると、
マニュアルに頼って
自ら考えることを
放棄する人が続出します。
マニュアルに使われて
人間性が度外視された人が
放棄する人が続出します。
マニュアルに使われて
人間性が度外視された人が
最前線に立つ
“マニュアル公害”です。
川柳創作の過程でも、
マニュアルや規則を振りかざし、追い込んで
困らせていることに無頓着な人がいます。
そこには自己と他人の間の温かい関係が
ありません。お互いに尊敬と理解を保ちながら
接する関わりです。残念なことですが、
そこに洞察とユーモアの能力を見ることも出来ません。
制服の源流は軍隊にあります。
私ども世代が中・高時代に着用していた学生服も
その流れにありました。
指揮官、或いは先生の思い通りに動く姿は異様で、
人間のマニュアル化そのものです。
制服(ユニフォーム)はマニュアル至上主義が
シンボル化されたもので、
時には人間らしさを圧殺します。
再認識したいのですが、
川柳創作の上で大切な要素は、
物事や人情に隠された真の姿に触れる〈うがち〉、
ユーモアを感じさせる〈おかしみ〉、
小気味よく爽快に詠むなかに深味や
広がりを出す〈軽み〉です。
さて、雑詠なら避けて通ることができても、
題詠(注4)ではそうは参りません。
そこで家族の協力が必要になります。
朗妻には創作であることを理解して貰い、
モデルをお願いすることになります。
妻の腹 見せる勇気と見る勇気
化粧より 化粧回しが似合う妻
俺が行く 妻がまた行く先 トイレ
夏バテで 俺は冷麦 妻鰻
食べて寝て テレビ観て寝て 妻実る
朗妻が獣のように吠える日々
顎二重 腹は三段 令和四年
良い母を演じた後の恐い妻
賑やかな妻を黙らす三面鏡
朗妻は喋り出したら山本リンダ
③-2言葉による自分づくり
毎日24時間、365日を積み重ねる現実は、
余りにささやかで慎ましい。
科学技術の発展は社会環境を瞬時に変える力を
持っているが、
「人間」は、そう変わらないのではないだろうか。
そこで問われるのが「自分づくり」である。
周りの、時には不条理な変化に惑わされず、
流されず、
時には変化を巧みに利用して取り組む
「自分づくり」です。
新しい発想を生み出しながら楽しく生きる、
そこに自分づくりの極意があります。
それを支えるのが豊かな想像力であり、
基となるのが言葉です。
好むと好まざるとに関わらず、私たちは
現代を直視して生きている。
目をそらすことは許されない。
そらしたら川柳は創れません。
そらした時からご隠居扱いとなり、
オブザーバーとして社会の外に
置き去りとなります。
その発言は老犬(私は戌年生まれ)の戯言になる。
言葉に命を吹き込む作業は綿々と続けたい。
カメラメーカーに勤めていたことを思い出し、
例えるなら、標準レンズで一点だけ見つめるのでは
不十分です。望遠レンズを装填して遠くを見たり、
広角レンズや魚眼レンズに換える必要もあるでしょう。
それをファイル化し、
リズム感のある言葉を紡ぐのです。
歌人の俵万智さんは
「人は言葉によって関係を築く。
言葉は一番大事な生きる力だと思う」
と語っている。
「丁寧に生きるなかで歌が生まれ。
歌のおかげで丁寧に生きていることができる」
とも。
ケーナ奏者の八木倫明さんは訳詞家の顔も持つ。
「ふるさとのナナカマド」「コンドルは飛んでいく」
「思い出のサリーガーデン」「広い河の岸辺」など
膨大な曲を訳しておられる。
言葉の力を良く知るお二人です。
他方、
周辺では曖昧な表現が氾濫しているのも事実です。
世代を跨ぐ言葉が成立しにくくなっているのです。
またサンマ? そんな時代が懐かしい
♪ピンポーン さあ宅配か集金か
ギター弾く 妻は指先 俺口先
医者通い これがなければ引き籠り
風邪ですか? 医者のあなたが決めること
注射よりマジ痛いのが薬代
医療費のupで家計give up
歯の治療 削り埋め立て 工事中
そっと乗り 怒って降りる体重計
桜観て 入学入社 俺入院
制服が厭 と不服の新入生
部屋に鍵 心に鍵の反抗期
窓際族ふえて会社の窓足りず
窓際はまだまし 窓の外もある
先を読め!叱った上司リストラに
骨埋める積りの会社 骨になる
川柳は小さな紙片と鉛筆だけで事足りる。
その上、愚痴や不満、怒りを
川柳に詠むことができれば心の掃除に繋がります。
脳の活性化を促しますから健康にも良い。
教室で気心の通じる友人ができれば
作品の出来栄えに評価を貰える。
何より川柳を始めると、
周辺の細かなことに関心が及ぶようになります。
小見出しに「自分づくり」などと
大上段に構えましたが、川柳の効用は、終局、
柔らかい心を取り戻してくれることにあります。
この夢に定年はありません。
③-3 言葉に吹き込む命
作詞家の阿久悠(注5)が
「知識としてのヴォキャブラリーは、
幾らたくさん知っていても使えない」と語っていたが、
分かるような気がする。
私の小さな体験ですが、
『公営競技の文化経済学』(芙蓉書房出版)を
執筆する際、
全国の競馬、競輪、競艇、オートレースの各場を
丹念にまわりました。必要な資料はあったのですが、
体全体で現場を知りたかったからです。
主宰者の配慮で、厳しく管理されている選手宿舎や、
選手が利用する食堂、浴室・・にも入れて戴きました。
「ここからは主宰者の私たちも入れないんです」と、
一人、私を、選手しかいない場所に
入れて下さいました。
彼ら・彼女らと一緒に食事を戴き、
プライベート空間を体で感じながら、
他愛のない会話を楽しみました。
オートレーサーの元スマップ、森且行が
機材調整している所にも行きました。
森の行くレース場に若い女性が押し寄せ、
赤ちゃんのオムツを変える女性専用ルームを
新設したレース場もありました。
(えぇっ!それ聞くの?・・・
女性専用ルームに・・入りました)。
「競輪に乗ってバンクを走りたい」
「ボートに乗りたい」などと
主宰者に言っては困らせました。
しかし、この体感から、その場にしかない空気、
色、臭い、人が分かってきます。
紙資料を幾ら積み重ねても、
そこには限界があります。言葉を使って
何かを訴えようとする時、本を開く、
映画や芝居を観る・・それでは不十分です。
閉じ籠って言葉探しをするだけでは、
言葉に命を吹き込み、その生きた言葉を
川柳で使えるようになるのは難しい。
例えば「経営学」を教えるなら企業経験が、
「貿易実務」を講じるなら海外取引の
実務体験があった方が良いように。
経営学 教えるところ火の車
香港の雨傘 いまや骨がない
早起きし 何もしないで早く寝る
何はしゃぐ いつも我が家は連休よ
都会人 過疎地を秘境と大騒ぎ
今日もまた 記憶の箱の鍵探し
吸って吐く 生きるって ♪ただそれだ〜け〜よ〜
ふれあいの広場は 人のいない場所
職業が元〇〇は いま無職
上記の句のなかで、
「鍵」のお題で創った拙句を市川先生は、
「これ良いねえ」と褒めて下さった。
先生自身も「鍵」で作句をトライしたが、
「どうも巧いことまとまらなかった」と
嘆いておられた。
褒められたことなど滅多にないので、
当時を思い浮かべている。
④日野本町川柳会の閉鎖
④-1先生から届いた便り
前略
何時までも多忙・繁忙から解放されないのは、
生きることが根っこから下手なせいであろう。
30代も60代も、80代になっても、
1週間が短くて苦戦しています。
病気もせず働けるうちは良いのですが、
怪我でもするとエラいことになります。
つい先だって、
そのエラいことをやってしまいました。
屋内事故による左脚骨折は重傷で、
いつ靴が履けるようになるか分かりません。
ドクターストップがかかりました。
脚の痛さが避けられません。この年になると、
何ヶ月で完治するかも分かりません。
急なお知らせで申し訳ありません。
そのため、
5月9日(木)の予定は休講とさせて戴きます。
6月以降も無理なため、残念ながらこれで
講義終了とさせて戴きたく、
伏してお願い申し上げます。 早々
2024年5月1日
市川 一
市川先生主宰の日野本町川柳会は、
2024年4月4日(木)が最終日となった。
私が参加した初日の2017年6月1日(木)には
12人いました。それからの7年は
結構な人の出入りがありました。引っ越して
東京を離れた方、老々介護でやめた方、
亡くなった方も私が知るだけで3人います。
最終日は4人であった。
句会にはベテランと私のような初心者が
入り混じっていた。従って、先生には教えることの
難儀さがあったと思う。しかし、
いつも穏やかでした。指導者が必死になり過ぎると、
管理し始めたり、最悪は暴言の温床になる。
先生は私たちの句に点数を付けることをしなかった。
そのような学習環境が、
7年も続けることができた要因と考えている。
虫の声 聞いてる母は 虫の息
母の日の 他の日すべて オイラの日
披露宴 祝辞ほどほど嘘を言い
汗かいてビールを飲んで振りだしに
深いわけ聞かない 聞くと金かかる
行く所なくて自宅で三つ揃い
隣りから溜息漏れる試着室
現世は 寄り 抜け 横と 回り道
絶好調!今朝も日課のウイスキー
④-2日野栁友会に入会
私たちは皆平等に年齢を重ねているのに、
人生が次第に愉快になる人と、日々、不平不満が
募る人に分かれる嫌いがある。
人生は9回まである野球や長距離ランナーに
たとえられる。句会も一緒で、
自分のペースで途中を楽しむことに尽きる。
違う環境で挑戦してみようと意を決し、
2024年6月2日(日)に多磨平交流センターに出掛けた。
そこでは毎月、第一日曜日に「日野栁友会」
(創立:1988年4月)が句会を開いていた。
日野本町川柳会では成績評価を下し、
点数化して序列化することはなかった。しかし、
日野柳友会では2か月前に出された各お題二句ずつ、
計4句創って句会の前に提出する。
集まった句は印刷されて配られる。
そこに作者の名前はないので、
誰がどの句を詠んだのか分からない。
その状態で参加者一人ひとりが“自分が良いと思った
句”を選び、点数化して成績を競う。
隣に座ったベテラン女性が
「自分の句が一番と思っているのに、
選ばれないのよね」と
小さな声で自虐的に呟いた。
自分の句に自信がある方には、
チョットしたストレスになっている様子が伺える。
『川柳かわせみ』第433号
(2024年7月)から拙句が掲載されている。
☆☆妻の料理に実る腹
生い先を知らずに泳ぐ出世魚
右腕と 頼る相棒 左利き
ヒトは熊 熊はヒト見て胸騒ぎ
論破して詮なく荒む隙間風
無駄遣い駄目よ と無駄なお小遣い
ウオーキング コツ・コツ・がコツ 骨貯金
珍しい 栄一さんのご来宅
珍しい髪型ですね かつらです
言い訳も謝罪もメモを読む政治
やっとこさ四季守ってる地球村
留守電は居たって出ない居留守電
おわりに
フランス人は日常的に、
C’est la vie(セ・ラ・ヴィ)と言う。
南フランスのAix-en-Provence
(エックス・アン・プロヴァンス)に2年、
パリ郊外のRueil-Malmaison(リュエイユ・マルメゾン)
に5年住んでの実感です。
日本語では「これが人生」と訳されるが、
かの国では様々な場面で使われる。
思い通りことが運ばなかった場合の諦めや
慰めのc’est la vieには
「仕方ないさ、これも人生だよ」となり、
成功や幸運に巡り合った場合の
c’est la vieには「これぞ人生!」
「人生バンザイ!」となって状況は真逆である。
良いこと、悪いこと全てを素直に受け入れ、
楽しもうとするお国柄が
c’est la vieに凝縮されている。
そして川柳には、
このc’est la vieが溢れていると思う。
努力が実った人生、溜息混じりの人生、
ホッコリする情景、人間関係の難しさなど、
c’est la vieの呟きとともに詠み手の揺れる
心を表現する。
確かに、川柳は、五・七・五の自画像である。
【注】
(注1)連歌の付け句の規則を、逆に下の句に対して
行う前句付けが独立したもの。
季語や切れの約束がなく口語が主体で、字余りや
句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られ、
言葉遊びの要素もある。
呉陵軒可有が1765年に、前句付の秀句集
『誹風栁多留』初編を発行した際、
選者が柄井川柳であったことから、
この文芸を川柳と呼び今日に至る。
(注2) 市川一(1937年生)は神奈川県横浜市出身。
1984年に読売多摩川柳クラブ創立。同年、
月刊『川柳さわやか』発刊。1992年から
読売新聞多摩版選者。同年から2014年まで
読売カルチャー八王子講師。句集に、
川柳作家ベストコレクション
『市川一』(新葉館、2018)、
『めいあん』(川柳文庫、2022)ほか。
(注3) 川柳には他に、シルバー川柳、介護川柳、
夫婦川柳、健康川柳、サラリーマン川柳、
つぶやき川柳、スポーツ川柳、アート川柳、
IT川柳などがある。規律に捉われない言葉遊びもある。
「先人を崇め祟りを免れる」
「分別がつかず分別ぐちゃぐちゃに」
「惚れたんよ惚れて惚れ抜き惚けたんよ」
「再値上げ続き我が家も再音上げ」
(注4)雑詠は課題に依ることなく、詠み手の自由な
裁量で詠む方法。他方、題詠は現実の体験と関わりなく、
予め決められた〈題〉によって詠む創作方法。
題から想像できる虚構の世界観が詠めるので
“題詠が創りやすい”と考える人が多い。
(注5)阿久悠(1937〜2007)は兵庫県洲本市出身。
作詞家・放送作家・小説家。
日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として
最大の5曲。尾崎紀世彦「また逢う日まで」(1971)、
都はるみ「北の宿から」(1976)、
沢田研二「勝手にしやがれ」(1977)、
ピンクレディー「UFO」(1978)、
八代亜紀「雨の慕情」(1980)。
菊池寛章、紫綬褒章受章。
プロフィール 佐々木晃彦(ささき・あきひこ)
山形県生まれ。九州共立大学名誉教授(文化経済学)。
「お笑い台本」の世界を経て2017年より
市川一に師事、川柳創作に取り組む。
作品は
『川柳さわやか』No.401
(読売多摩川柳クラブ、2018)、
市川一編『川柳のあしあと』(川柳文庫、2022)、
市川一編『日野本町川柳』
(2017年7月号〜2024年5月号)、
『川柳かわせみ』
(日野栁友会、2024年7月号〜9月号)に収録。
初出
(財)昭和経済研究所 Webマガジン(2024年9月)
“マニュアル公害”です。
川柳創作の過程でも、
マニュアルや規則を振りかざし、追い込んで
困らせていることに無頓着な人がいます。
そこには自己と他人の間の温かい関係が
ありません。お互いに尊敬と理解を保ちながら
接する関わりです。残念なことですが、
そこに洞察とユーモアの能力を見ることも出来ません。
制服の源流は軍隊にあります。
私ども世代が中・高時代に着用していた学生服も
その流れにありました。
指揮官、或いは先生の思い通りに動く姿は異様で、
人間のマニュアル化そのものです。
制服(ユニフォーム)はマニュアル至上主義が
シンボル化されたもので、
時には人間らしさを圧殺します。
再認識したいのですが、
川柳創作の上で大切な要素は、
物事や人情に隠された真の姿に触れる〈うがち〉、
ユーモアを感じさせる〈おかしみ〉、
小気味よく爽快に詠むなかに深味や
広がりを出す〈軽み〉です。
さて、雑詠なら避けて通ることができても、
題詠(注4)ではそうは参りません。
そこで家族の協力が必要になります。
朗妻には創作であることを理解して貰い、
モデルをお願いすることになります。
妻の腹 見せる勇気と見る勇気
化粧より 化粧回しが似合う妻
俺が行く 妻がまた行く先 トイレ
夏バテで 俺は冷麦 妻鰻
食べて寝て テレビ観て寝て 妻実る
朗妻が獣のように吠える日々
顎二重 腹は三段 令和四年
良い母を演じた後の恐い妻
賑やかな妻を黙らす三面鏡
朗妻は喋り出したら山本リンダ
③-2言葉による自分づくり
毎日24時間、365日を積み重ねる現実は、
余りにささやかで慎ましい。
科学技術の発展は社会環境を瞬時に変える力を
持っているが、
「人間」は、そう変わらないのではないだろうか。
そこで問われるのが「自分づくり」である。
周りの、時には不条理な変化に惑わされず、
流されず、
時には変化を巧みに利用して取り組む
「自分づくり」です。
新しい発想を生み出しながら楽しく生きる、
そこに自分づくりの極意があります。
それを支えるのが豊かな想像力であり、
基となるのが言葉です。
好むと好まざるとに関わらず、私たちは
現代を直視して生きている。
目をそらすことは許されない。
そらしたら川柳は創れません。
そらした時からご隠居扱いとなり、
オブザーバーとして社会の外に
置き去りとなります。
その発言は老犬(私は戌年生まれ)の戯言になる。
言葉に命を吹き込む作業は綿々と続けたい。
カメラメーカーに勤めていたことを思い出し、
例えるなら、標準レンズで一点だけ見つめるのでは
不十分です。望遠レンズを装填して遠くを見たり、
広角レンズや魚眼レンズに換える必要もあるでしょう。
それをファイル化し、
リズム感のある言葉を紡ぐのです。
歌人の俵万智さんは
「人は言葉によって関係を築く。
言葉は一番大事な生きる力だと思う」
と語っている。
「丁寧に生きるなかで歌が生まれ。
歌のおかげで丁寧に生きていることができる」
とも。
ケーナ奏者の八木倫明さんは訳詞家の顔も持つ。
「ふるさとのナナカマド」「コンドルは飛んでいく」
「思い出のサリーガーデン」「広い河の岸辺」など
膨大な曲を訳しておられる。
言葉の力を良く知るお二人です。
他方、
周辺では曖昧な表現が氾濫しているのも事実です。
世代を跨ぐ言葉が成立しにくくなっているのです。
またサンマ? そんな時代が懐かしい
♪ピンポーン さあ宅配か集金か
ギター弾く 妻は指先 俺口先
医者通い これがなければ引き籠り
風邪ですか? 医者のあなたが決めること
注射よりマジ痛いのが薬代
医療費のupで家計give up
歯の治療 削り埋め立て 工事中
そっと乗り 怒って降りる体重計
桜観て 入学入社 俺入院
制服が厭 と不服の新入生
部屋に鍵 心に鍵の反抗期
窓際族ふえて会社の窓足りず
窓際はまだまし 窓の外もある
先を読め!叱った上司リストラに
骨埋める積りの会社 骨になる
川柳は小さな紙片と鉛筆だけで事足りる。
その上、愚痴や不満、怒りを
川柳に詠むことができれば心の掃除に繋がります。
脳の活性化を促しますから健康にも良い。
教室で気心の通じる友人ができれば
作品の出来栄えに評価を貰える。
何より川柳を始めると、
周辺の細かなことに関心が及ぶようになります。
小見出しに「自分づくり」などと
大上段に構えましたが、川柳の効用は、終局、
柔らかい心を取り戻してくれることにあります。
この夢に定年はありません。
③-3 言葉に吹き込む命
作詞家の阿久悠(注5)が
「知識としてのヴォキャブラリーは、
幾らたくさん知っていても使えない」と語っていたが、
分かるような気がする。
私の小さな体験ですが、
『公営競技の文化経済学』(芙蓉書房出版)を
執筆する際、
全国の競馬、競輪、競艇、オートレースの各場を
丹念にまわりました。必要な資料はあったのですが、
体全体で現場を知りたかったからです。
主宰者の配慮で、厳しく管理されている選手宿舎や、
選手が利用する食堂、浴室・・にも入れて戴きました。
「ここからは主宰者の私たちも入れないんです」と、
一人、私を、選手しかいない場所に
入れて下さいました。
彼ら・彼女らと一緒に食事を戴き、
プライベート空間を体で感じながら、
他愛のない会話を楽しみました。
オートレーサーの元スマップ、森且行が
機材調整している所にも行きました。
森の行くレース場に若い女性が押し寄せ、
赤ちゃんのオムツを変える女性専用ルームを
新設したレース場もありました。
(えぇっ!それ聞くの?・・・
女性専用ルームに・・入りました)。
「競輪に乗ってバンクを走りたい」
「ボートに乗りたい」などと
主宰者に言っては困らせました。
しかし、この体感から、その場にしかない空気、
色、臭い、人が分かってきます。
紙資料を幾ら積み重ねても、
そこには限界があります。言葉を使って
何かを訴えようとする時、本を開く、
映画や芝居を観る・・それでは不十分です。
閉じ籠って言葉探しをするだけでは、
言葉に命を吹き込み、その生きた言葉を
川柳で使えるようになるのは難しい。
例えば「経営学」を教えるなら企業経験が、
「貿易実務」を講じるなら海外取引の
実務体験があった方が良いように。
経営学 教えるところ火の車
香港の雨傘 いまや骨がない
早起きし 何もしないで早く寝る
何はしゃぐ いつも我が家は連休よ
都会人 過疎地を秘境と大騒ぎ
今日もまた 記憶の箱の鍵探し
吸って吐く 生きるって ♪ただそれだ〜け〜よ〜
ふれあいの広場は 人のいない場所
職業が元〇〇は いま無職
上記の句のなかで、
「鍵」のお題で創った拙句を市川先生は、
「これ良いねえ」と褒めて下さった。
先生自身も「鍵」で作句をトライしたが、
「どうも巧いことまとまらなかった」と
嘆いておられた。
褒められたことなど滅多にないので、
当時を思い浮かべている。
④日野本町川柳会の閉鎖
④-1先生から届いた便り
前略
何時までも多忙・繁忙から解放されないのは、
生きることが根っこから下手なせいであろう。
30代も60代も、80代になっても、
1週間が短くて苦戦しています。
病気もせず働けるうちは良いのですが、
怪我でもするとエラいことになります。
つい先だって、
そのエラいことをやってしまいました。
屋内事故による左脚骨折は重傷で、
いつ靴が履けるようになるか分かりません。
ドクターストップがかかりました。
脚の痛さが避けられません。この年になると、
何ヶ月で完治するかも分かりません。
急なお知らせで申し訳ありません。
そのため、
5月9日(木)の予定は休講とさせて戴きます。
6月以降も無理なため、残念ながらこれで
講義終了とさせて戴きたく、
伏してお願い申し上げます。 早々
2024年5月1日
市川 一
市川先生主宰の日野本町川柳会は、
2024年4月4日(木)が最終日となった。
私が参加した初日の2017年6月1日(木)には
12人いました。それからの7年は
結構な人の出入りがありました。引っ越して
東京を離れた方、老々介護でやめた方、
亡くなった方も私が知るだけで3人います。
最終日は4人であった。
句会にはベテランと私のような初心者が
入り混じっていた。従って、先生には教えることの
難儀さがあったと思う。しかし、
いつも穏やかでした。指導者が必死になり過ぎると、
管理し始めたり、最悪は暴言の温床になる。
先生は私たちの句に点数を付けることをしなかった。
そのような学習環境が、
7年も続けることができた要因と考えている。
虫の声 聞いてる母は 虫の息
母の日の 他の日すべて オイラの日
披露宴 祝辞ほどほど嘘を言い
汗かいてビールを飲んで振りだしに
深いわけ聞かない 聞くと金かかる
行く所なくて自宅で三つ揃い
隣りから溜息漏れる試着室
現世は 寄り 抜け 横と 回り道
絶好調!今朝も日課のウイスキー
④-2日野栁友会に入会
私たちは皆平等に年齢を重ねているのに、
人生が次第に愉快になる人と、日々、不平不満が
募る人に分かれる嫌いがある。
人生は9回まである野球や長距離ランナーに
たとえられる。句会も一緒で、
自分のペースで途中を楽しむことに尽きる。
違う環境で挑戦してみようと意を決し、
2024年6月2日(日)に多磨平交流センターに出掛けた。
そこでは毎月、第一日曜日に「日野栁友会」
(創立:1988年4月)が句会を開いていた。
日野本町川柳会では成績評価を下し、
点数化して序列化することはなかった。しかし、
日野柳友会では2か月前に出された各お題二句ずつ、
計4句創って句会の前に提出する。
集まった句は印刷されて配られる。
そこに作者の名前はないので、
誰がどの句を詠んだのか分からない。
その状態で参加者一人ひとりが“自分が良いと思った
句”を選び、点数化して成績を競う。
隣に座ったベテラン女性が
「自分の句が一番と思っているのに、
選ばれないのよね」と
小さな声で自虐的に呟いた。
自分の句に自信がある方には、
チョットしたストレスになっている様子が伺える。
『川柳かわせみ』第433号
(2024年7月)から拙句が掲載されている。
☆☆妻の料理に実る腹
生い先を知らずに泳ぐ出世魚
右腕と 頼る相棒 左利き
ヒトは熊 熊はヒト見て胸騒ぎ
論破して詮なく荒む隙間風
無駄遣い駄目よ と無駄なお小遣い
ウオーキング コツ・コツ・がコツ 骨貯金
珍しい 栄一さんのご来宅
珍しい髪型ですね かつらです
言い訳も謝罪もメモを読む政治
やっとこさ四季守ってる地球村
留守電は居たって出ない居留守電
おわりに
フランス人は日常的に、
C’est la vie(セ・ラ・ヴィ)と言う。
南フランスのAix-en-Provence
(エックス・アン・プロヴァンス)に2年、
パリ郊外のRueil-Malmaison(リュエイユ・マルメゾン)
に5年住んでの実感です。
日本語では「これが人生」と訳されるが、
かの国では様々な場面で使われる。
思い通りことが運ばなかった場合の諦めや
慰めのc’est la vieには
「仕方ないさ、これも人生だよ」となり、
成功や幸運に巡り合った場合の
c’est la vieには「これぞ人生!」
「人生バンザイ!」となって状況は真逆である。
良いこと、悪いこと全てを素直に受け入れ、
楽しもうとするお国柄が
c’est la vieに凝縮されている。
そして川柳には、
このc’est la vieが溢れていると思う。
努力が実った人生、溜息混じりの人生、
ホッコリする情景、人間関係の難しさなど、
c’est la vieの呟きとともに詠み手の揺れる
心を表現する。
確かに、川柳は、五・七・五の自画像である。
【注】
(注1)連歌の付け句の規則を、逆に下の句に対して
行う前句付けが独立したもの。
季語や切れの約束がなく口語が主体で、字余りや
句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られ、
言葉遊びの要素もある。
呉陵軒可有が1765年に、前句付の秀句集
『誹風栁多留』初編を発行した際、
選者が柄井川柳であったことから、
この文芸を川柳と呼び今日に至る。
(注2) 市川一(1937年生)は神奈川県横浜市出身。
1984年に読売多摩川柳クラブ創立。同年、
月刊『川柳さわやか』発刊。1992年から
読売新聞多摩版選者。同年から2014年まで
読売カルチャー八王子講師。句集に、
川柳作家ベストコレクション
『市川一』(新葉館、2018)、
『めいあん』(川柳文庫、2022)ほか。
(注3) 川柳には他に、シルバー川柳、介護川柳、
夫婦川柳、健康川柳、サラリーマン川柳、
つぶやき川柳、スポーツ川柳、アート川柳、
IT川柳などがある。規律に捉われない言葉遊びもある。
「先人を崇め祟りを免れる」
「分別がつかず分別ぐちゃぐちゃに」
「惚れたんよ惚れて惚れ抜き惚けたんよ」
「再値上げ続き我が家も再音上げ」
(注4)雑詠は課題に依ることなく、詠み手の自由な
裁量で詠む方法。他方、題詠は現実の体験と関わりなく、
予め決められた〈題〉によって詠む創作方法。
題から想像できる虚構の世界観が詠めるので
“題詠が創りやすい”と考える人が多い。
(注5)阿久悠(1937〜2007)は兵庫県洲本市出身。
作詞家・放送作家・小説家。
日本レコード大賞での大賞受賞曲は作詞家として
最大の5曲。尾崎紀世彦「また逢う日まで」(1971)、
都はるみ「北の宿から」(1976)、
沢田研二「勝手にしやがれ」(1977)、
ピンクレディー「UFO」(1978)、
八代亜紀「雨の慕情」(1980)。
菊池寛章、紫綬褒章受章。
プロフィール 佐々木晃彦(ささき・あきひこ)
山形県生まれ。九州共立大学名誉教授(文化経済学)。
「お笑い台本」の世界を経て2017年より
市川一に師事、川柳創作に取り組む。
作品は
『川柳さわやか』No.401
(読売多摩川柳クラブ、2018)、
市川一編『川柳のあしあと』(川柳文庫、2022)、
市川一編『日野本町川柳』
(2017年7月号〜2024年5月号)、
『川柳かわせみ』
(日野栁友会、2024年7月号〜9月号)に収録。
初出
(財)昭和経済研究所 Webマガジン(2024年9月)