前回は→その19        最初は→その1

 

 歴史が苦手な方にも解り易く言いますと、これは鎌倉幕府の時代になります。

弘安3年(正確には1278年から1287までの期間)当時59歳だった日蓮が、身延にて諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)という書物を書きました。

 

 今回は、彼が書いた書物という事を考え、尊重する為に難しい原文をそのまま、載せます。当然ですが現代人の我々には読めませんので現代語訳を載せてきます。

この内容非常に面白いのです。そして読んでいて「たかちほは、ある重要な事に気がついたのです」これは・・・・・仏教関連者の方が驚くかもしれません・・・・とある場所と言われていものが、とある場所じゃない可能性も感じる文章です

 

 

 

 

 

()では行ってみましょうノLet's\(≧∇≦*)/go!

諌暁八幡抄かんぎょうはちまんしょう(別名『諌暁書』)1530頁より引用します
第二十章 仏法西遷の定理を明かす
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国

 

 

 

 

(ふそうこく)をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相

 

 

 

 

(ずいそう)なり」

弘安三年太歳庚辰十二月 日 日 蓮 花 押

 

解釈は、訳者によって若干の違いが有りますが。大意を総括すると・・・・・

まず太陽と月を比べ、日が昇るように仏が出現するという国だと意味から日本という国の名前なのだと解釈しています

 

(天竺国(てんじくこく)を月氏国というのは仏の出現し給うべき国名である。扶桑国(ふそうこく)を日本国という)

そして、仏教を月と太陽の運行に例えているんです。

月がはじめは西天に現れ、それが東の空に移っていくように、釈尊の説かれた仏法が、月氏より東へ流れて中国、日本に至りました。

日が東より出ることは、日本に出現した大仏法がやがてインドヘ弘まってゆく瑞相である記しています。


日蓮が言っているのは、日本から出た仏法の教えは太陽のごとき仏法であり、東の日本から興って、東洋へ、全世界へ流布していくと主張しているのでしょう。

東の日本に出現してインドに還っていくと述べられている。

これを仏教西還という。

 

ここでのキーワードは

扶桑国=日本

天竺

大月氏

です(*´ω`*)ここを分析すると、私を含め多くの人が思い込んでいる先入観が崩壊します。

そして謎も解けますから楽しみにしていて下さいね。

 

続きは→その21