前回は→その5           最初からは→その1



実はね・・・・


日本にも同じ様な話しが有るんですよ(*^^)v


※難しい事が嫌いな人は緑色の文字だけを見て下さい。

『宮下文書』の内容の一部です。

世界の中心は日本の富士山麓に置かれた

富士高天原王朝の神人のルーツは、ペルシアの北方、起源を持ち、即ち、トルコとイランの国境にあるアララット山方面であり

①「天之峰火雄神=ノア」だと言えるだろう。

②天之高火男神

③天之高 地火神

天之高木比古神

天之草男神

⑥天之高原男神

⑦天之御柱比古神

が続き、以上七代 の神の治世を総称して「天之世」という


         ここから代々伝わって・・・


これ 以降、十五代に渡る神々の治世を「天之御中世」という。

【豆知識】

天之御中主神は天津日嗣の大御 神の紋章として十六の条光を持つ日輪を定めた。これは天皇家の紋章・十六条菊紋の起源 説話であろう(天皇家が実際に菊紋を用い始めたのは鎌倉時代以降)。


天之御中世第十五第の高皇産霊神


はい今回はこの高皇産霊神についてが重要と思われます。


約6400年前に「高皇産霊神」7人の皇子が各地に離散し、その内の

「国常立尊」

「国狭槌尊」

「高皇産霊神

が父の「高皇産霊神」と共に日本の富士山麓に来た。

が共に富士山に渡来した。

龍人の七人が船で世界中を回ったと言う事。




これが日本の国の始まりであり、「神の国」の由来だ。 この日本の国造りは第三神朝時代と呼び、合計7代の神皇で507年間続いた。 日本神話で、天地開闢(かいびゃく)のとき、高天原(たかまがはら)に出現した神。


高皇産霊神は太陽神

そしてこの「高皇産霊神」についてこの様な記述を見つけました。
デジタル大辞泉より引用→こちら


天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)

神皇産霊神(かみむすひのかみ)とともに造化の三神の一。


天照大神とともに、高天原の至上神。

生成の霊力を持ち、太陽神としての性格ももつ

別名、高木神(たかぎのかみ)。たかみむすびのかみ。


ここでイースター島にあてはめて考えて見ましょう。

上の緑の字を見て下さい。

元来はマケマケが信仰されて居た島です。

つまり太陽神!

そして、七人の皇子!

はい今回もぴったり辻褄が合いましたよ~(*^^)v


あともう一つ日本にある伝説ですね。

これは吉備国今の岡山県にある伝説です。

【七王子の伝説】

 時代は明確でないが、都から7人(あるいは8人)の王子が新天地を求めて、この地にやってきた




船は宇籐木、あるいは引網あたりに上陸し、適地をさがしているうちに中央の盆地(今の由加)を発見し、児島干拓の根拠地としたという。さらに王子たちは由加山から唐琴、渋川に連なる山系にそれぞれの地を開いたといわれ、日応神社、瓶割参上などに名前が残っている。  
 彼らは由加神社を祭り、その子孫は今なお由加神社を氏神として信仰し「提灯棒」という行事を残している。これは由加大権現の祭りの日の真夜中、棒の先に提灯をつけて山坂を越えて由加参拝をする行事であるという

七王子、八王子、また王子権現といわれるものである。

~以上が引用です~ 


はい出ましたね。八王子・・・つまりはニギハヤヒのお子様達では?とほのめかしてもいる感じです。



はい(*^^)vこれら全部の話しをまとめると解ってくることが有ります。

つまり七人、とか八人って吉備国の話しもあいまいな人数

「高皇産霊神」の七人の皇子

ニギハヤヒの八人の皇子

この両方の話しが混ざってしまって民話になってる可能性が有るのではないでしょうか?


それかもしくは、「高皇産霊神」=ニギハヤヒの可能性だってあります。

皇子たちは各地に分散して散らばったと有りませすので、その場所によっても着陸した人数が違う可能性だってあります。

※つまり7人でも8人でもおかしくないし、3人でも良いわけです。


私は、やはり世界を治めていたのは天皇ではないかと思っています。

上の話しを全部まとめると・・・。


天皇に七人、あるいは八人の皇子がいて・・・

船に乗って世界中を周り、その地を治めて回った。


という事だけは少なくとも言えると言う事ででしょう。


なので、たかちほは、このイースター島もその対象の土地であった(*^^)v


その様に仮説を立て、そしてそれが真実では?と考えて居ます。


次はモアイの体にある色々な秘密です。




続きは→その7