今から考えてみると、今年の御正月からそれは始まっていたのです。
私は御正月前後からどうした訳が鶏肉も一切食べられなくなりました。今まではたまになら平気でした。
それが見ただけでも駄目になり、受け付けないのです。
現在では鶏肉も食べませんが。通信を研ぎ澄ます為だったのでしょう。何かを見ようとする時。私は肉を完全に断ちますので。
1月8日・・・・・
転びがちだった兎兄貴が、とうとう転んだまま立てなくなりました。
そして、餌を食べに行けないという問題が有るので、病院で強制給餌とかをもう一度確認したりしようかなと思いました。
お腹も少し下し気味でした。
病院では、腎臓が少し悪いようだから治れば何とか持ち越すから頑張りましょうと・・・
いいえ私は解って居ました・・・・・。
足が一旦萎えて奇跡的な回復をしてたのです。2度目は無いだろうなと。
むしろこの1年がおまけのようなものだったと・・・・。
それに半年前にも見て貰っていて、持病と言うものは無かったですし。
餌の食べる量が減っていたので当然栄養が少し足りず、点滴を打ちました。
その間も立てず、子供と私が体を支えます。
子供「お兄ちゃんがんばれー!!!」
という声だけが病室をこだましています。
「今日が峠です。何が起きるかわからない状態です」
覚悟は出来て居たつもりでした・・・。
でも・・・。
神様もう少しだけ・・・
と思ってしまう自分が居ました。
夕方、大事に抱えて帰り帰宅しました。
兎兄貴は水を余り飲もうとしません。
7時・・・。
心配になった私は兎兄貴を抱き上げ、水を強制給餌します。
こちらを見上げて兎兄貴が言います。
兎兄貴「もういいよ・・・ママ。僕の体はもう駄目だから」
私の頬を大量の涙がぽろぽろこぼれ落ちます。それを兎兄貴は朦朧とした悲しそうな目で見上げて居ます。
ママ「そんな事言っちゃダメ!早く飲みなさい!」
兎兄貴は悲しそうな眼差しでこちらを見上げながら口を少し開けました。そしてこぼしながら飲み干します。
私はずっと・・・数時間抱きしめたままでしました。
そして・・・10時子供も寝てしまい。
すると兎兄貴がこちらを見上げて言うのです
兎兄貴「お願い。何時もと同じ様に僕を寝かせて下さい」
そうなんです。私達は3人、いいや正確には二人と1羽ですが、ゲージを横に並べて川の字で毎日仲良く寝て居たのです。
ウサギ兄貴の大きな親父臭いいびきには、良く笑わせて貰った思い出が走馬灯のように頭をよぎります。
兎兄貴をケージに寝かせると私も床につきます。
そして度々様子を見ながら12時・・・。確かにまだ息をしていました
まだ大丈夫かなぁと思って寝て
朝6時・・・ケージを覗くと、そこには何時もと変わらない姿勢で眠る冷たくなった兎兄貴が居ました。
1月9日 兎兄貴永眠する。
そのタイミングで子供が不思議にも飛び起きてきました。
そして言うんです・・・
子供「ママ!お兄ちゃんと一緒に寝たい」
ママ「だってお兄ちゃんは死んじゃったんだよ」
子供「解ってる!でも一緒に寝たいの」
子供は、いつも一緒に寝て育ってきたのです。
私はタオルにくるむと、子供の横にそっと兎兄貴を寝かせました。
子供は幼稚園に行かなければいけませんでした。
私はウサギ兄貴と一番最初に出合った時にした約束
「赤ちゃんの時から墓場に行くまで大事にするよ。」
守らなければいけないと思いました。だって私は兎兄貴のママだから。
そして葬儀の予約を取ったら、その日の夕方に決まりました。
そして私達は葬儀場に向かいます。
その日にも不思議な事は起きていきます。
その不思議な事とは・・・
続きは→その23